足裏に均一に体重をかける方法を理解する

教本2、3巻を観察すると、「足踏み」における心持ち、具体的な立ち方について解説しています。ただ、この文章を見た人ならわかりますが、正直何が言いたいのかがわからない印象を受けると思います。

ただ、きちんと文章を読めば、足踏みの説明は「脚の筋肉に余計な力を入れない」という内容に集約しているのがわかります。足の踏み開く幅、角度など、あらゆる決まりがありますが、そのような教えにこだわりすぎないようにしましょう。文章をよく読むと、「足踏みでは、脚に力を入れないで」と書いてあるのがわかります。

その具体的な内容について解説していきます。

足踏みの基礎知識と、その内容に頼りすぎてはいけない理由

長く教本を勉強していると、次のような足踏みの知識を知っている人がいます。

・足踏みでは、60度に踏み開くようにする
・両足先は的の中心線に合わせるようにする
・脚の開き幅は、自分の矢の長さと同じようにする

このような知識も知っておいて損はありません。ただ、昔の弓道の本を見ると、足踏みでは「できるだけ脚部に無駄な力みをかけない」ことが大切であるのがわかります。なぜなら、教本の足踏みの文章を見ると、「60度」「脚の開き幅」ではなく、立っているときに「できるだけ力まない」ことが重要であると解説しているからです。

では、その根拠について教本を引用して解説していきます。

脚に力が入ると、あらゆる状況に想定できなくなる

まず、射を行うにあたり、大切なことは「的中させること」ではありません。的中も大切ですが、そのことより優先しなければいけないことは「できるだけ身体の無駄な力みを抜き、柔軟に弓を引くこと」です。

理由は、弓を引いているときに脚部のどこか力が入っていると、あらゆる状況に想定できないからです。

現代の弓道の書籍を見ると、弓を引く際の前提が「近的場」として引き方を解説することが多いです。なぜなら、今の弓道で大会も昇段審査も「近的」で引くからです。しかし、昔の弓道の書籍を見ると、近的で書かれていることは少なく、むしろ他の状況を考慮した書き方がされていることがわかります。

例えば、有名な書籍として、「平家物語」の那須与一の話があります。那須与一が62m先の扇子を矢で射貫いたとき、足踏みで60度に開き、目的物の中心から自分の立っているところに仮想線を引いて、きちんと踏んでいたという記述はありません。想像するに、その場ですぐに開き、弓を構えて狙いを定めて、矢を放っていることがわかります。

つまり、昔の文章を見るときには、足踏みにおける形式的な知識ではなく、そのときの時代背景を観察しないといけません。なぜなら、当時の時代背景を想像しながら文章を読まないと、その文章の意味を取り間違えてしまうからです。

そうして、昔の文章を読み、当時の弓道家のように引き方を実践するためには、「脚によけいな力みを入れたり、力をこめることはむしろしてはいけない」ことがわかります。脚に力を入れてしまうと、近的では、良い射ができるが、その他の状況に対応できないからです。

昔の弓道家も脚に力入れないことを強調している

実際に、弓道教本二、三巻の先生は足踏みにおいて、「余計な力を入れない」ことを説明しています。

足踏みを行うときの動作は、立つという気持ちではなく、大地に足を置く感じが良い。天地人一体の境地であるから、体は天地の一部分であるのが理想である。~千葉次範士~

 
足は最初から力を入れない。うなじをのばすと両肩が落ちて開き、ヒカガミを伸ばす~神永範士

足踏みがしっかり行えているかは足裏で確かめます。特別な部分に力が入っていたり、凝っている部分があるときはその足踏みは失敗です~佐々木範士~

人は、足裏の重心の収まる場所によって、体幹部の筋肉の張る場所が異なります。例えば、つま先付近に重心を置くと、太ももの裏側や背筋が張ります。反対に、かかとに重心を乗せすぎると、腹部の筋肉が張ります。つまり、重心の位置、意識の仕方をおろそかにしてしまうと、脚には力が入りやすいです。

加えて、弓の反発力が身体にかかったとき、脚の踏ん張る力が自動的に働きます。そのため、弓を引く段階ではできるだけ脚の力みはないようにします。もし、足踏みに力が入ってしまった場合、弓の反発力が体幹部にかかった際に、胴体を脚によって支えられなくなります。したがって、無駄な脚の力みは入れないようにすることが大切です。

足踏みで不必要に力を入れると、足裏に強い圧迫がかかる

特に、足に無駄な力みがかかっている場合、「足裏」の状態でわかります。具体的には、足裏のどこか一部に力が入っていると、脚に強く筋肉が張っていると判断できます。

例えば、足踏みの説明で千葉範士は次のように説明しています。

足踏みは、立つというのではなく大地に体を置く感じがよい……~千葉範士~

足踏みの説明にもかかわらず、なぜこうした抽象的な説明にしているのでしょうか。この「大地に足に置く感じ」とは、脚に力を入れないで、立つときに地面の反発力を適切に受けるよう説明しています。

弓道において、立っているときは地球上から重力がかかり、それに対抗するように「地面からの反発力」がかかります。この地面からの反発力は身体にかかりますが、足踏みに余計な力みが入っている場合、「脚部」に強い張りが発生します。この反発力をきちんと受けるように、「地面に脚をおいているだけ」の状態を作ります。

例えば、足に力を入れて立ってみたり、足指に力を入れてみてください。すると、足裏に強い圧迫感を感じます。これは、足に力が入ったことで、地面からの反発力を吸収できず、足裏に力が残っている状態です。この状態で弓を引こうとすると、引き分けで下半身の力みがより強くなります。

そこで、足裏への体重の乗り方を変えます。足を開いた後に、首を伸ばして両肩を落とします。頭を10センチ上に持ち上げるようにし、両肩を耳元から垂直に落とすようにして、上半身をゆったりさせて立ちます。すると、体重は足裏全体に均一にかかり、なおかつ強い圧迫感が減ります。全体に軽く圧がかかっているように立つようにします。

これは、脚に無駄な力みが入っていないため、地面からの反発力が「足裏」に残っていないのがわかります。つまり、上半身の姿勢を伸ばし、上体の力みがなくなれば、結果として下半身の力みが抜け、地面からの反発力を足裏全体で受けているのが体感できます。

足踏みは部分的に力を入れるのは好ましくない。足裏は床面(床面)にピッタリ、フンワリとつくように置くが、しいて押さえつけず、フンワリしたのが良いと思う。~千葉範士~

膝関節、足首関節も硬くせず、バネのようにゆるやかなのが良い。足指も脚も特に力を入れずフンワリとした感じにしておけば、弓を引くに従ってその力に相応じて自然に緊張してくる。~千葉範士~

なお、この「大地に足を置く感じ」、つまり余計に脚裏に力を入れずに、立つことは他の弓道の先生も違った表現で解説されています。
「土踏まず」にやや含みを持たせ、ちょうど中くぼみのゴムが床面に吸い付くようにし~宇野範士~

それは、足の裏全体を平にふんわりぴったりつけるようにする~高木範士~

前者のように、体重を拇指に乗せるようにしたり、指先に力を入れたりすると、下半身に無駄な力みがはいり、膝関節や足首関節に余計な緊張が入り、正しくつながった関節のつながりにズレが生じます。この状態で射を行うと狙い目のズレにつながります。足裏という、射を行う際の「土台」に隙間があってずれていたら、矢は真っすぐに飛びません。

後者のように立つと、膝関節、足首関節に無駄な力みがないため、上半身に無駄な力みが取れて、全身がゆったりした状態で立つことができます。

一見、教本の足踏みを見ると、「ずらずら抽象的なことが書かれていて、よくわからない」ような印象を受けます。しかし、このように観察すると、言っている内容は「脚に無駄な力を入れない」ことを言葉を貸せて説明していることがわかります。

足踏みの開き幅が明確に決められたのは最近のことである

足踏みで優先しないといけないことは「余計な下半身の力みをかけないように、素直に立つ」ことが挙げられます。このように聞くと、多くの人達は「でも、俺たちは範士や教士に足踏みの立つ角度、開く幅を教えられた」というかもしれません。実際に、私もそのように足踏みの知識を先生や先輩に習いました。

ただ、その知識が正しいとあまり思いすぎない方が良いです。なぜなら、足踏みの開く角度、開き幅が具体的に決まったのは、最近だからです。

例えば、以下は教本二巻の文章における文章を引用したものです。

足踏みの角度は、教本にも一応六十度と規定されており、一般にも左様に信ぜられているが……~宇野範士~

「爪先の間隔は矢束の長さに従い、爪先は約九十度位が安定してよいと思う……~~神永範士~

よく見ると、「一応~「「~と思う」と主観的な表現になっているのがわかります。ちなみに、この文章を書いた人たちは、当時、強い弓(30kg以上の弓)を引いていた方たちです。このような人たちが、文章で一つの足踏みの説明をするときに、断定的な表現を避けているのがわかります。

なぜ、このように断定していないのでしょうか。理由は、足踏みは自分の稽古で使用する弓によって、足踏みの角度や開き幅が変わるからです。そのため、断定的に「足踏みの角度は●●、幅は▽▽」と言い切れないのです。そのため、断定的な表現を控えて文章に記しています。

では、そのように、足踏みの角度が60度、と決まったのはいつごろでしょうか?この内容の理解に役立つ情報として、「石岡範士八段」が解説した資料があります。

石岡範士は、本多流と呼ばれる流派を習い、弓道文献などの調査もされた弓道家です。その方が弓の歴史を解説した資料の中にのようなものがあります。

足踏みは昔は、左足を開く踏み、右足を狭く踏むような習わしがあり、実践もしていた、しかし、戦後になって「左右対称」の考え方がよいと考えられてきたため、両足を開く角度を60度と選定するようになった~石岡氏の弓道資料より引用~

以上の文献から察するに、足踏みにおいて具体的に角度や開く幅について具体的に数値化されてきたのは「戦後」と判断できます。それ以前はそのような決まりはなく、むしろ、足踏みの開き幅や立つ位置などを変えて、自身の射型に合わせてきたと考えられます。

そして、60度にしている根拠は「左右対称にした方が、きれい」という解釈でした。ただし、ここまで読まれた読者なら想像しやすいと思いますが、人間の身体は左右対称にできていません。左右の腎臓のついている位置も違えば、体内にある臓器も左右で違います。加えて、左右の筋肉の量にも差が出ます。

そのため、あまり左右対称にこだわりすぎると、かえって左右対称に押せない可能性があります。そのため、足踏みは「角度、両足幅は60度と決まっているがこだわりすぎなくていい」「なによりも脚に力を入れないこと」が大切であるとわかります。

扇の規矩の本当の解釈は「脚に力を入れない」ことである

教本二巻を見ると、「扇の規矩」と呼ばれる教えがあります。扇の規矩の文章を引用すると、

扇の規矩
外八文字は丁度十二軒の軍扇を八軒に開いた角度で、およそ八、九十度位になると思う。~浦上範士~

各自の骨格によって定まるから、各人各様であるが、内側はほぼ、六十度乃七十度位が適当であろう。古く「扇の規矩」とか「蜘蛛の曲尺」とかというのは、これをいったのである。~高木範士~

このときの外八文字とは、両足の外側の線によってできる八文字と仮定します。すると、かかとと中指先を結んだ線によって、両足の八文字の形を作る場合、だいたい六十~七十度程度と説明できます。

このように、扇の規矩は「両足の角度を60~70程度に開く」と説明されます。しかし、昔の文献を複数みると、扇の規矩の解釈が異なっているのがわかります。

なぜなら、古くの弓道文献、つまり古文書において「扇(おうぎ)」の漢字のは「風がなびいた様」という意味を持つからです。

昔の文章は、当時と違う「旧漢字」を用います。旧漢字を用いる理由として、その漢字一つ一つに意味を持たせ、文章で言いたい内容をより正確に解説していました。

つまり、ここでお話ししている「扇」とは、扇の開いた状態からたとえた「足の開き」だけではありません。実際は、扇のように「風になびくように、無駄な力みなく、すらりと立てている様」という意味が含まれています。

そして、扇には、羽を抑えるための「中心」が存在します。扇の羽の部分が「脚」とすると、この中心は丹田(下腹付近)であると解釈できます。つまり、足踏みで立って、前から押されても、後ろから押されても柔らかくその衝撃を吸収できる、脚の状態を指してます。この柔らかい状態は「扇が風を送るようになびいている」状態と同義です。

もし、扇の規矩が「開き方の説明」である解釈であれば、千葉範士含め、神永範士の教えに矛盾が生じます。適切に足を70度程度に開くためには、頭でそのことを意識し、足に力を入れなければいけないからです。さらに、そのような基準に当てはめてしまうと、軽い弓の場合は引けますが、強い弓であると引けない可能性があります。

そのようなことから、脚に余計な力を入れないことが大切であると考えます。扇の規矩を含め、弓道の教本の教えには「矛盾した意味」含まれているものがあります。初心者が見ると、一見納得してしまう内容になっていますが、よく文章を観察し、きちんとその内容を調べることが大切です。

以上の内容を理解することで、足踏みの内容について深く理解ができます。これらの内容を理解し、適切に弓を引くようにしましょう。さらに、「足踏みにおける礼射・武射の違い」について深く理解することで、適切な足踏みについて学ぶことができます。

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