尾州竹林では、「四部の離れ」「鸚鵡の離れ」以外に他に4つの離れがあると説明しています。この四つの離れを頭に入れておくことで、離れの理解をさらに深めることができます。
この四つの離れは使用目的がそれぞれありました。遠くを射たいとき、鉄兜を射たいとき、昔は近的以外に弓を射る目的がありました。尾州竹林ではこの四つの離れを「切」「払」「別」「券」と説明しています。
四つの離れ「切」「払」「別」「券」
離れに威(いきおい)を含み、左右の力みなく、矢束いっぱい引き収め五部の詰めから轄割にて石火の出るような離れがあり、これを「切る離」と言っています。
遠的に使用するとき、肘の力を剛みを持たせて、その剛みを持って剛弱所の延びを増して左右に離れがあり、これを「払う離」と言います。
他に指矢(堂射:120メートル先の中物を射ること)に適した離れもあり、左手の剛弱所の剛みを持たせて、右手は大筋違の懸口いっぱいに弦が抜けるようにします。これを「別れる離」と言います。
そして、近的に適した離れが最後で、左右片釣りなく、よく引合い、よく澄まし、八方詰めを行っているうちにその満ちる瞬間に「四部の離れ」で離れます。これを「券(ちぎる)離」と言います。
この四つの離れの目的をまとめると、「切る離」→「鉄兜など堅物を射るとき」、「払う離」→「遠的のとき」、「別れる離」→「堂射のとき」、「券の離」→「近的のとき」となります。
紅葉重ねの別の解釈
尾州竹林でも紅葉重ねの説明がありますが、他の流派と説明として引用される場所が違います。
他の流派では紅葉重ねは「手の内」の説明で使われますが、尾州竹林では「離と残身」の説明で使われます。
その意味は、筋骨が十文字に延びて余韻が八方に行きわたってみごとな残身となり、あたかも嵐に散った紅葉が重なって錦のように美しい形になるという意味です。
春楓秋の木末(梢)ぞ冷(すさ)まじき紅葉重ねに嵐吹くなり