各流派で射においての理想形があるように、本多流でも射の目的があります。
この目的は、日置流で飛、貫、中、弓書で中り、矢早、花形の三つの重視しているのと同じであり、本多流では正射、善中、品位の三つとしています。
・正射、善中、品位
正射とは足の先から頭の先まで、両手の端から端まで、縦横十文字がルールにかない、正しく美しくある射のことです。こうした外形的な面だけではなく、鍛錬を重ねることで生まれる「冴え」と精神の充実による「自信」を持った射を持って努力する必要があります。
善中とは「よくあたる」ことです。的にかけて練習する以上、「あたる」ことは必要条件です。あたらない場合は何から条件にかけるところがあるからで、真の意味で正射と言いません。
正射の結果はあたりであり、かといって、単に的に「あたる」ことで一喜一憂しても心の動揺した偽物の射になります。
弓道では古くから、「外体直く、内志正しい」ことを強調しており、いかなる場合であたりはずれで感情が揺れるのではなく、表面に出さないように平常心を保つことが大切とされています。そうした心の修練から生まれたものであれば、たとえあたらぬ射であっても正射に近いものです。
さらに中りには価値があります。それは「飛、貫、中」と重んじているように矢の飛び方、威力も中りには重要であり、まっすぐ飛んで、貫通力のあり、よく中ることは射の最上の価値です。
射の品位とは以上(中り、善中、価値)の三つがそろって自然に表れるもので、弓道修練の結果です。季節で春夏秋冬、人間では少年、青年、壮年、老年に分かれます。
春の発芽、弓を初めて習う初心者。夏の目の繁った最盛期、弓の修練の最高潮になり。秋、丸々とした豊かな身を結ぶ、このとき射の技術も的中も全く確実になったとき。冬全山の葉も落ち赤裸の姿となり、射もまた円熟であるが、人の心に打つ射になってくる。
このように、年を重ねるにつれ、射の深みがまし、最高の品位になっていくことを理想をしています。
・五味七道とは
本多流では身体上の働きを7つに分けて七道、精神上の働きを5つに分けて五味と呼んでいます。
五味とは一、目付(めつけ)二、引き込み(ひきこみ)三、抱え(かかえ、伸び合い)四、離五、見込み(みこみ)の5つを言います。
一、目付的とするものの見方
二、引込弓を引き込むときの左右押引の力のつりあい
三、抱え(伸び合い)左右の手が縮んだり弛んだりせず、心気筋力ともに伸合うこと
四、離れ手先の技術的な離れ方ではなく、内面的に心気が伸びて離れること
五、見込矢が離れた後の姿勢と心気の働き。小笠原流でいう「後の澄まし」
これらを七道の場合に当てはまると
①足踏み、②胴づくり、③弓構え(①~③を過去身と呼ぶ)・・・・目付
④打ち起こし、⑤引き取り(中力)、⑥会(④~⑥を現在身と呼ぶ)・・・引込、抱え(伸び合い)
⑦離れ(付)残心(⑦、付を未来身と呼ぶ)・・・離れ、見込
・弓術という言葉の現代における誤解
昔は弓術、射術等といって、弓道とは言いませんでした。近代は芸能的なものでも武術的なものではなく、術という言葉を避けて道という字を用いるようになりました。
道は最初は具体的なミチであったが、のちに抽象的な心的な面を意味するようになり、したがって、剣術も柔術も剣道、柔道になりました。
しかし、弓術といったからと言って精神上の心的な面を軽視したのではなく、精神的な裏付けは当然考えられていました。指導や修行が古人が骨身を削り、命がけで行ったことを思えば、いかに精神に打ち込んでいたか理解できるでしょう。
心身を打ち込んで、真実を追求すべく鍛錬するところに真に道にかなった弓道が生まれるのです。