胴づくりの外形的な準備がそろったら、次に内面的な準備を行います。胴づくりでの気息を整えるときは、静かなゆるやかな気持ちになることが大切になります。
上気したり、びくびくしない、いわゆる、喜怒哀楽のような感情的障害が内心に起こらないようにすることが大切です。それはこれらの感情が射の微妙な点に影響するからです。
そして、それら内面にかかわる感情を整えるにはどうすればよいのでしょうか。ここでは、胴づくりにおいての心の整え方を解説していきます。
感情を整える一つの方法
これら射に影響する感情を整えるポイントは胴づくりの重心にあります。
胴づくりにおいて、上半身の体重、重心を腰回りに乗せる、つまり、上半身の体重がしっかり下半身に乗るように体重を乗せ、上半身を楽にします。
そうすると、お腹に力が自分で意識的に入れなくても自然と入ります。この状態は臍下丹田に力を込める状態と同じになります。
この状態になると、腹が据わり、どこにも曲がった部分のない、力の残った部位のない状態になり、筋骨ゆるやかに泰然とした気持ちになります。
このようにあたかも動かぬ山のように、外的条件に惑わされることなく、気は天地四方に満ち溢れ、足の力は地の底まで打ちぬくごとく、頭は中天に反り立ち、心豊かくなった姿勢を「大日の規矩(日月身)」と呼びます。
陰陽に例えた胴づくりの心の持ち方
この胴づくりの心の持ち方で昔の弓術書はいくつか自然や仏教に例えて説明しています。
日月身とは、何も恐るる所もなく、余に日月ほど尊き物なく、何も恐るる処、憚る所ない構える心を言います。
このように、昔、胴づくりの恐れる心の持ち方を仏教の言葉を用いて、「目中に用日月身と呼び、心は我が大日如来と思ふべし」と言われています。
易の世界で陰の陽があります。この陰と陽の中心が大日如来と言われてます。弓道においては弓の末弭を陽とし、本弭を陰とします。そして、「天地」を表すために弓を射るときは陰と陽の間に自分の身を身に置きます。故にわが身を大日如来と思ふ心と説明しています。
この意味はすなわち、陰と陽の間に入って、自分の体の前にて何も恐るることはないと説明しています。
恐れが入っているときは、芸も悪くなり、また目線が落ち着かなくなります。
このような仏教的な表現をしているのは昔、いろんな状況、環境で弓を使用されていました。しかし、その状況でも常に恐れる心を持て、高尚に、立派な姿勢でいる事が重視されていました。
馬乗りするとき、戦場で船に乗って前後左右に揺れるとき、非常に高所で弓を扱うとき、そういった心が恐れ、揺れる状況であっても自分の心を保つことを説明しています。
この文章に出てきた「日月身」とは「日や月のように、物を恐るる概念がなく、心豊かに渋る滞る所があってはいけないこと」を意味します。
「日」や「月」は何物にも恐れることはありません。世界の至るところに赫々とした光輝を放ち、草木稟獣までも養育するという義務を遂げています。弓を射るときも胴づくりの規矩に従って、態度を定め、形を作るべきことはもちろん、日月の心を以て胴づくりを行うことが大切です。
このように、重心や心の持ち方を理解することで、心の落ち着いた胴を身につけることができます。