正しい弓道教本:引分

では、教本二、三巻の引き分けの解説に入ります。

教本の引き分けの文章も、

・縦の線が伸びるように横方向に伸びる

・大三では押手を強めにおせ、それで左右均等に力をかけて

と記されています。

?????これじゃちょっと、よくわかりませんよね。

これらの内容を一発で理解できるように解説します。

一つお願いがありますが、この内容を読む前に必ず

広い足幅、広い角度で足踏みをする

ことを意識してください。

これをやらなければ、これから説明する引き分けは理解できません。

広く足を開かないと、弓を引く時に働かせたい筋肉を使えないからです。

必ず、広い足を開きの角度で行ってください。

両腕をより合わせて、上腕を外側に回してください。

楽に伸び伸び高く打起こししてください。

すると、次のように引き分け動作ができるようになります。

いないいないばあで楽に強く弓を引ける

とわかります。

この動きで教本の文章もほぼ全て理解できます。

まず、掌を自分の顔に向けてください。

次に、両拳で小指側の面を当ててください。お互い両肘を近づけるようにします。

次に、その状態で両腕を上に上げていきます。

この状態で、両肘が目線の高さくらいにくると、両腕がきつくなると思います。

両腕をパカっと開くように、両腕を外側に開いてください。

これで、OKです。実際の弓の動作で解説していきます。

まず、打起こしで両腕をそれぞれ「時計回り」に回してください。

左腕の場合、半時計周りになりますね。

そして、両肘をパカっと開くように外側に開きます。

これで、左手を押していきましょう。左肘が外に自然に開くので、楽に左手を的方向に押して行けますね。

さらに、右肘が外に開くので、右手が自然と弦に引かれますね。これで大三完了です。

この両腕の動きを覚えれば、弓を楽に引けるようになります。

その理由は3つあります。

・弓が浮き上がる分、押しやすくなる

・左手を少ない力で弓の中に回せる

・右手首、右前腕を楽に伸ばせる

弓が浮き上がるので押し開くのが楽になる

いないいないバァの動きを行うと、両肘が斜め上に動きます。

これと同時に、弓も上方に上がるので、「弓の重さがゼロ」になります。

ものを動かす時、

浮いているものを動かすのは楽で、止まっているものを動かすのは大変です。

止まっている物体ほど動かすのに力を要します。

弓を引き分ける動作でも同様であり、弓は上に動いている最中に左拳を動かすと、楽に押し開けます。

このように大三をとると、

縦方向の力の伸びが徐々に斜め、横方向に変化していると言えます。

もしくは、背中の筋肉が伸びながら大三が取れて、肩と腕の筋肉も楽です。

また、呼吸も楽です。

いないいないバァで両肘をパカっと外側に開くと、胸が開いて肺から酸素を取り込みやすくなります。

引き分けの最中、息が詰まって苦しくなりにくいです。

その時に、両拳は反橋の軌道を描くように動きます。

いないいないバァで両肘を外側に開くと、両拳の位置が並行に揃います。

この状態で引き分け動作に入っていくと、両拳が最初は真横に進み、お互いに斜めに降りるようになります。

つまり、反橋の軌道で両拳が動きます。

なぜ、大三で肩や腕がきつく感じるか?理由は、拳をいきなり横に動かすからです。

打起こしで一度両拳の動きを止めてから、大三動作に移ると、左手首に急に力が入って負担がかかります。

ですので、左拳は、

最初は上に

次に、肘を使って斜めに、

徐々に横方向に

伸ばすようにすると、両拳に負担がかからずに大三動作に移れます。

いないいないバァの動きは両肘が自然に開くので、腕に負担が少ないです。

もう少し、両腕の負担が減る理由を、左右に分けて解説していきます。

まず、左手は

左腕を回しながら左手を動かすと楽に入る

とわかります。

いないいないバァでは、左の上腕は外に自然に開きますね。

この左上腕が斜め外に開く力を利用して、一緒に左前腕も伸ばします。

すると、左前腕を楽に伸ばせます。

なぜなら、左上腕が外に開いたと同時に、左前腕に遠心力がかかるからです。

この力を利用すると、左腕を腕力ゼロで楽に伸ばせるのです。

もし、左腕を伸ばして、左手首だけ回すと、左手に強く力がかかります。

いきなり左手を弓の中に入れようとすると、手先に力がかかってしまいます。

そうではなく、

最初にいないいないバァで上腕を外に開き

その勢いを使って、左前腕を伸ばしていき

最後に左手を弓に押し回していくように押していきます。

そうすると、左手は「ジワジワー」っと圧力が徐々にかかるようになります。

そうして、指も弓の圧力にしたがって締まっていきます。

次に、右肘を解説します。こちらの原理は簡単です。

右手は、いないいないバァをするだけで綺麗に形が整う

右上腕は、いないいないバァの動きで上方に上げたあとに外に開くようにします。

右拳は力を抜いてそのままにします。

すると、右肘は外に開いて張られるように動き(B)、右拳は弦によって的方向に引かれるように動きます(C)。

右肘は外に張られるように動き、右手は弦の力で伸ばされるようになります。

こうすると、右手首は伸ばされるため、右手首の力は抜けます。

あるいは、右手首の伸ばす力も右上腕で支えているため、「弓の反発力を右肘で受ける」ような感覚になります。

世間の大三の教えでは、「右肘は固定させて、そこから位置が動いてはいけない」と指導されますが、

右肘の位置を固定する大三は無駄な力が入る

本当に右肘を固定すると、常に右肘から右肩に負担がかかります。

そのため、右手首が伸びる感覚があるにしても、同時に、右肘、右肩に強い負担がかかる感覚があります。

だから、大きく引けません。

では、右肘の位置が動かない大三の本当の意味は何でしょう?

いないいないバァで開けば、右肘の位置は動かない

ことがわかります。

いないいないバァの動きで、大三の段階から右肘を外に開くのです。

そうすると、最初は右拳が的方向に流されますが、後になって右肘が外に開く力が加わりますから、

外に開く右肘の力と流される右拳の力がそれぞれ釣り合って、結果として右肘の位置はほとんど変わりません

上記のように、右肘の位置は結果的に「静止」します。

つまり、いないいないバァの大三では、右肘は静止はしているが、停止はしていないと言えます。

右肘を固定して筋肉が伸びているわけではありません。

さらに、いないいないバァの大三は右手首は弦に引かれ続け、右上腕は開き続けるように働きます。

つまり、形は静止しても、筋肉は伸び続けています。

このように、いないいないバァで両上腕を外に開けば、肘の位置は静止して筋肉の活動を止めることなく大三動作ができます。

もう一度、いないいないバァの大三の取り方を振り返ります。左右の拳は

左拳:左上腕→前腕→拳の順で動かしていくため、力のかかり方は「ギューっと」徐々にかかる

右拳:弦に引かれて、右手首の力が伸びる

とわかります。そうすると、

矢束半分開けば、釣り合いが取れて、押大目、引き三分一の状態を取れる

とわかりませんか?

・矢束半分押し開く

・均等に引き分ける

・押大目、引き三分一になるように押し開く

これらの内容は全てつながっております。

よく弓道の世界では、

左腕を大目に押せと言っておきながら、左右均等に引き分けろとよくわからない話をします。

なぜ、左腕を多めに押しながら、均等に引き分けるなど、矛盾する話をするでしょうか?

それは、根本的に大三の意味を理解していないからです。

正確にいうと次のようになります。

いないいないバァ大三で両上腕は外に開きます。すると、

1、上腕にかかる負担は均等になるため、左右の上腕に力は均等にかかります

2、右手首は伸びて、左手にも力を加えていないので、左腕は伸びていますが、左右均等に力はかかっています。(左右均等の釣合)

3、しかし、右手首は伸びてストレスが減っているので、相対的に左手にかかる圧力が右手より大きくなります。

4、結果、左右均等に両腕の筋肉は活用しているが「押大目、引き三分

一」の状態になります。

まず、「右肘を固定する」大三をやめましょう。大三は左右の両肘を外に開くようにします。

すると、両肘をそれぞれ外側に開いているため、左右にかけている力のバランスは取れています。

すると、左腕は伸びているけど、弓の圧力はそれぞれ左右均等にかかった状態になりますね。

しかし、上記の図のように、右手首は伸ばされるため、右手にかかる負担は減ります。(引きが少な目

すると、左右の拳で比べると、左手は右手より「大目」に圧力がかかります。

あくまで相対的に「左手に多く圧力がかかっている」ように感じるだけであり、

本当に左腕を強めに押すわけではありません。

そうすると、左右の力のバランスが崩れるため、弓を楽に開けません。

だから、大三は

押大目引き三分一(大三)

と呼ばれていますが、

本当に左腕を右手より強めに押せと言っているわけではありません。

結果的に左手に弓の圧力が右手より大目に残るように、左右均等に開けとお話しています。

いないいないばぁをします。

左右均等に上腕を開きます。

右手は伸ばされます。左腕を的方向に伸ばします。

そうして、左右均等に開けば、右手首の力が抜けて、相対的に押大目引き三分一になります

これを今日の弓道の指導では、

・左側の筋肉は右側の筋肉より弱いから強めに押すべき

・左腕が発射の土台だから、左腕を強めに押して固定すべき

とわけのわからない解釈をします。

それでは、左右均等に開く弓道の稽古はできません。

そうではなく、左右均等に開きましょう。いないいないバァのように両肘を外側に開きましょう。それによって、バランスを取りながら、弓を開けます。

次に、

こうすると、いないいないバァの大三は取れない

具体例を挙げます。

・弓構えで両腕を伸ばす

腕を前方に伸ばしすぎると、肩関節が内に巻かれて猫背になります。この状態で両腕を外に開こうとするとかえって力が入ります。

・弓構えで両肘を張る

肘を張ると、肩の上部にある三角筋が緊張し、肩が浮き上がりやすくなります。この状態では、いないいないバァで外側に開けません。

・両腕を伸ばして遠く高く打起こしをする

拳と身体の距離が遠すぎると、猫背になりやすく肩が緊張します。これで両肘を開こうとしても、力が入らず弓を押せません。

上記のように構えると、逆にいないいないバァの大三動作がやりにくくなります。

だから、弓道連盟の人はこの引き分け動作をやると、

高橋の言っている引き分けの取り方をやったらむしろ力が入る。あいつは間違った引き方を教えている

と思いたくなります。

それは違います。

上記三つのやり方で大三を取れば、高い確率で肩に力が入るため、

「停止ではなく静止した大三」「押大目だけど左右均等に開く」大三ができなくなります。

体感として筋肉が硬くなりやすい大三になると考えられます。

一方、いないいないバァで大三をすれば、左右均等に、押大目引き三分一で、胸を開いて呼吸が整いながら、反橋の軌道で、右肘の位置が結果的に静止して大三が取れます。

加えて、いないいないバァの大三の取り方で実践すれば、

・肘の位置も定まる

・右手首も伸びて、左右の拳の高さも揃う

・両肘が外側に開き、両肩の高さも揃う

ため、弓道連盟が求める大三動作の射型にもなりえます。

だから、

足開き広く

両腕をより合わせる

上腕を外に回して、

弓を上にあげていないいないバァ〜

で大三をとります。こうすることで、

・両肘が斜め上方に動き、弓が浮くため、左手で押しやすくなる

・両肘が斜め上方に動くため、背筋が自然に伸びる

・両肘が開き、胸が開くため呼吸もしやすい

・左手は左肘が的方向に動くことで、一緒に的方向に動かされる

・徐々に左手に弓の力がかかって締まるようになる

・左手が押されることで、右手が的方向に引かれる

・右肘は外に動いているため、自然に右肘が吊り上がるように動く

・右手首が伸ばされるようになる

・左右の腕共に一緒に伸ばされるため、自然に大三動作が静止する

ようになります。

これで大三をとりましょう。どんどん弓を引けるようになります。

ここまでは、大三のお話をしましたが、

引分も同様です。

いないいないばぁ大三で両肘を外に開くようにすれば、

両肘と両肩の線が一直線に揃う

ようになります。

図のように両肘、両肩のポジションにすると、引き分けで肘に力を込めやすくなります。

だから、引き分けがスムーズに楽に行えます。

「肘打ち」という技がありますよね。

肘打ち動作は肘を両肩の線上と同じ線上におくと、威力が上がります。

両肩より前に右肘を置いてください。その状態で肘を動かしても、力強く肘を押し出せないですよね。

しかし、右肘を肩と同じ線上に置いてください。すると、右肘を少ない力で、速く強く動かせます。

これと同じ原理を用いて弓を引きます。

引き分けの時に、いないいないバァの動きで両肘を開きます。右肘を引き分けの段階で両肩と同じ線上に置いてください。

すると、右肘をそこから横に動かしやすくなります。会で右肘が肩より後方に回り込みやすくなります。

こうして、充実した会の形が構築できます。

これらの大三、引分動作は私のオリジナルの考えではありません

いないいないバァで大三を取れと範士の先生たちが解説している

とわかります。

すでに、言葉を変えて、教本二巻の先生がこの大三の取り方を説明しています。

では、証拠をお話していきましょう。

まず、千葉範士の文章を読んでください。

千葉範士:「引き分け」にかかる時は、善悪に囚われず、その時の状態でベストを尽くす

・・・・何時引き分け初めたか分からぬように上に伸びる力が左右に移行するのである(二巻、p114)

(神永範士:似た表現の文章記載。二巻、P121)

上に伸びる力が左右に伸びるためには

いないいないばぁの引き分けをすればいいんじゃないの?

先ほどお話したように、いないいないバァは両肘が斜め上方に上がりながら、左右外側の方向に動きます。

あたかも上に伸びる力を横方向に転換するかのように力を加えられます。

ので、いないいないバァで大三をとりましょう。

ただ、この文章だけでは説得力はないと思います。

いないいないバァ大三の動きをはっきり解説している先生を紹介します。

神永範士です。

教本二巻のP115ページに全てが記されています。

神永範士:弾力体の弓を動かすのであるから、身体も弾力体を保つことが肝要で、中力の時、前膊が硬直せず柔軟にし、弓懐の心持ちを失わないように(二巻、P115)

まず、引き分けで「腕の筋肉を柔らかくします」と言ってます。

その上で、次の文章をみてください。

神永範士:この時、弦と左腕とは約35度くらいの角度をなし、(二巻、P115)。

弦と左腕の間の角度って小さくなるんすか?

じゃあ、いないいないばぁをやって両肘を外側に広げるしかないですよね

なぜなら、いないいないばぁをすると、肘が自然に吊り上がるからです。

神永範士の打起を見ると、腕と弦の角度は45度でしたよね?

(教本神永範士の打起こしの角度は見る限り、額より拳二個分であるため)

これが、引き分けの時には、弦と左腕の角度が35度

こうするためには、肘が身体に近づけないといけません。

そこで、いないいないバァの大三をとってみましょう。

肘が自然と身体に近づきます。

これで、弦と右腕の距離が近くなって、弦と右肘の角度が45度から35度程度に落ち着きます。

さらに、神永範士は右肘の動きについて、

神永範士:右肘を外に開くようにすれば、肘が後ろに引かれて(二巻、P122)

右肘を外に開く=いないいないバァ。もうそのままお話されています。

だから右肘を外に開きましょう。

そうすると、右拳が外側に開くように働きますよね。

大三では、右手は弦に引かれます。

しかし、引き続き、右肘を外側に開けば、右拳は外に開くように働きます。

これを神永範士は「艫と舳の関係」と説明しています。

大三で右肘を外に開くようにすれば、引き分けで右拳が外に開くように働き、さらに右肘が後方に入ります。

神永範士:この時に、右手の動きは、例えばともと舳の関係で、拳をとも、肘を舳とすれば、ともが外へ動けば舳は内へ動くのである。

弽の外側の線を外に張って弦を押すような具合で外に働かせば、肘は自然に内側(後方)へと働くのである(二巻、P122)。

松井範士:三巻、P124にも同様の内容記載。

つまり、引き分けでもいないいないバァの「右肘外開き」の運動を続けていけば、右拳も外側に開くように動きます。

その動きが右肘をさらに後方に入るように働きを助けてくれるそうです。

であれば、この原理使いたいですよね?

だったらいないいないバァの動きをやりましょう。

ちなみに、爪先に体重を乗せて、胸を前方に出していないいないばぁをしないでください。

いないいないばぁの動きを拇指球荷重で行ってしまうと、かえって胸部を圧迫させてしまい、上半身に力が入るからです。

さらに、いないいないバァの大三を推奨している先生をもう一人紹介します。

高木範士。

高木範士:「正面打起し」からその平面内で左手を的の方に押し回し、右手は肘から先を弦に引かれるままに左手をつけて(二巻、P117−118)

平面内で弓を押し回すには、いないいないバァをして、両肘をつり上げるしかありません。

平面とは、肩関節と口割についた矢を結んだ線でできる平面のことです。

ここで重要なことを忘れないでください。

高木範士の引き分けの取り方は、「正常姿勢」を前提にしています。

正常姿勢とは、以下の図のように、背中がまっすぐのびた姿勢です。

と言うことは、高木範士の言われている平面とは、めっちゃ身体に近いと言うことです。

この平面に両肘を近づけるには、いないいないバァの大三、引分で取る必要があります。

先ほどの神永範士の文章で説明した通り、

いないいないバァの引き分けであれば、自然と両肘は近づきながら、両腕を伸ばせます。

さらに、高木範士の引き分け文章の原文「本多流弓術書」においても、

高木範士:右拳は前額の辺で眉の辺より高くなるように、左拳は打起の時の平面内を的の方に運んで(本多流弓術書、P281)

と「右拳も額」つまり身体に近くなっているとわかります。

さらに、右手の説明については

高木範士:左手を先導として、過不足なく幾分右手をかぶる気持ちで、左右に押し引き分けて(二巻、P123)

祝部範士:三巻、P115に「耳の上に被さるように引きとれ」と記載あり

と記されています。

右手が頭をかぶるように動かすには、右肘を身体に近づける必要があります。

そのためには、いないいないバァで右肘を近づけるのが適切です。

正常姿勢で平面内で左手を押し回し、

右拳を額に近づけて、

右拳を後で大きく身体に覆いかぶさるように動かす

この三つを行うために、いないいないバァの大三を行うのが良いでしょう。

ただ、注意点があります。

高木範士は終始一貫、正常姿勢を前提に解説されています。

打起こしに置いて、平面内の定義を解説し、C体勢で背筋が伸びると解説しています。

だから、引分動作も正常姿勢で平面内に則って大三取るべきです。

しかし、教本になると、この文章は編集切り取りで違う内容に変わっています。

教本の高木範士の胴造の説明を見ればわかりますが、教本では「胴造は正常姿勢から前屈みにした姿勢が理想」と適した姿勢が変わっています(原文は、正常姿勢が理想の姿勢と記載されています)。

しかし、教本では、その理想の姿勢の定義が変わったままで、記載されていますので、

原文を尊重しましょう。

書き換えられた内容は、本当の意味ではありません。

だから、千葉範士、神永範士、高木範士の文章の内容の本質は、

いないいないバァをやると実践できる

とわかります。

では、いないいないバァで左右の肘を外側にいきましょう。

そうすると、まず、左右の腕の状態を

左上腕が先に動き、左前腕が伸び、最後に左拳が弓の中に回るように動きます。

左腕が突っ張らないから楽になる

ことがわかりますね。

神永範士:大三の時、左腕はまっすぐに伸びて入るが肘をカチッとはめないで例えば豆一粒位の柔らかさを保持し、(二巻、P116)。

神永範士:左肘に弓懐の気持ちを残し、肘をクッションのように働かすことを主眼としたのであって(二巻、P116)。

宇野範士:左肘を突っ張らず、余裕を持ってゆるやかに押しのばすこと、押しの操作は左手首を主とせず、(二巻、P124)。

冨田範士:左手を伸ばし切ってツクに突っ張ることは悪い。多少の余裕を残すことが寛容である(三巻、P131)

あるいは、左腕が伸び伸び伸ばされるため

右手首は弦の力で伸ばされる

ようにもなります。

高木範士:左手を的の方に押し回し、右手肘から先を弦に引かれるままに左手につけてやる気持ちで右肘で弦の働きを受け止める。(二巻、P117)

高木範士:右手は弦に引かれるのを受け止めるような気味にし、(二巻、P118)

高木範士:右手の取り懸けも堅く掴まぬようにしたり、右肘から先を或る程度の弾力を持たせて(二巻、P123)

(宇野範士:同様の内容記載、二巻P124)

(松井範士:同様の内容記載三巻P117)

また、右手首が伸びると、親指は下ではなく、少し上向きに反るようになります。

浦上範士:右手は拇指を弦にひきかけた(弦からみと言う)だけで、力を入れず、指先を上へそらしつつ(二巻、P126)

千葉範士:爪先は反って弽帽子の上辺に当たるようにする。(二巻、P118)

ちなみに、このように右手首が伸ばされると、右手が大体地面に対してほぼ並行の状態になりますね。

高木範士:右肘から先は「弓構え」「打起こし」のときとは異なって、前膊の二骨(橈骨・尺骨)のなす平面がほぼ、水平に(二巻、P120)

このように、右手は前腕が水平になるように、少し内側に捻られます。そうすると、弓は脇正面から見て左に傾きます。これを、「弓が照る」とも言います。

これを抑えるために、左手は小指を締めて、弓が照らないようにします。

すると、左前腕が少し内側に捻られる感覚を得られます。

高塚範士:弓を徐々に開きつつ、前膊を捻り気味に、弓は照らず体勢に添い伏さり気味に(三巻、P118)。

高塚範士:三巻、P122にも同様の内容記載。

つまり、大三では、

・左腕が突っ張らずに押せていること

・右手首に力が入らず伸びていること

が大切になります。

しかし、自分で自分の大三が左腕がきちんと伸ばせているか?右手首が伸びているかわかりませんよね?

それを確かめる方法が「左手」です。

左手に圧力が徐々にかかっているようであれば「左腕、右手首、共に余計な力みなく大三が取れている」と判断しても良いでしょう。

大三で左腕が突っ張ってしまったら、左手に「グンっ!」と圧力が強くかかります。

かと行って、右手首で弦を引っ張ろうとすると、また左手に「グンっ!」と圧力がかかりすぎてしまいます。

これも右拳で弦を引くばかりに、弓の圧力がダイレクトに左手にかかっているとわかります。

しかし、右手首を伸ばして、右肘で弦の力を受ければ、左拳にかかる圧力はジワジワーと徐々にかかるようになりますね。

なぜなら、弓の圧力が直接かかりすぎないからです。

つまり、大三で

左手が徐々に力が入っている=左腕に力が入らず、右手首が伸びている

と判断できます。

だから、古来弓道における大三は

・押手が特に大切である

・大目に押しても、左手はジワジワ圧力がかかっている状態にすることが大切

と解釈されてきました。

祝部範士:引分の場合、左右同時に行動はするが、左に全ての命令権があって、左が先んじてない、右がこれに従うと言うことを心得ておくべきである(三巻、P116)。

高塚範士:この中力(大三)を日置流では押大目引三分一(おしだいもくひきさんぶいち)と言い、小笠原流では、大切三分の一と言うて(三巻、P131)

左腕を楽に回していけば、左手は遠心力によって、伸ばされますよね。つまり、

左手:徐々に締まるようになる

感覚を得られます。

千葉範士:90度転廻しながら、手の内が定まるようにする。まず第一に中指以下の三指の爪揃いに注意する。(二巻、P118)

「転廻しながら」=左手が回りながら、形が決まる=徐々に左手に圧力がかかっていると解釈できます。

神永範士:中指以下の三指の先が右側木に爪立になるように接し、・・・握り革に吸い付くように締まってくる(二巻、P119)

高木範士:手の内は中指・薬指・小指の三指が一枚の柔らかなゴム板のようになって(二巻、P120)。

柔らかなゴム板=左拳に力をいれず、柔らかい状態に保っておく=徐々に左拳に力が入っていますと

高木範士:手心に幾分丸みを持たせて握り革に吸い付くような気持ちで押し回す(二巻、P120)

高木範士:手のひらの皮が幾分よじられるようになる。このよじられ方があまり強いと、弓の働きを弱めたり握り出して弓の形を損したり(二巻、P120)

浦上範士:左手は弓を押すとともに外へひねる気持ちでまっすぐに伸ばし(このように意識すると、左手を徐々に入れやすくなります)(二巻、P126)

松井範士:同様の表現記載(三巻、P116−117)

冨田範士:正面より徐々に左方に移し、(三巻、P118)

高塚範士:弓手は徐々に弓を押し開きつつ(三巻、P118)

祝部範士:正面打起の場合は、肘力に運ぶ間に空中にて手の内の工作をして(三巻、P119)

冨田範士:拇指の根が内竹の右角に弓を摺りながら移行し、・・・・拇指先の腹は、次第に弓の右側の側木に慣れついていく。(三巻、P120)

冨田範士:あたかも弓が拇指と人差し指との股に吸い付けられた心持ちとなる。(三巻、P120)

高塚範士:三巻、P122、9ー10行目同様の表現記載

7人の先生が左手は徐々に押し開きつつ、大三の最中に手の内が完成すると記されています。

そうするためには、いないいないばぁ大三が必要です。

徐々に左手がしまっていけば、左手にも、右手首も力みがなく、左右の上腕にそれぞれ圧力がかかっています。

この時、

左に大目に押しているが、左右のバランスが取れている

と言えます。

このことをよく、「釣り合い」と表現されます。

形は左右非対称ですが、力のかかっているバランスは左右整っていると解釈できます。

松井範士:弓手右手の力合と釣合を計する感所と、その得意とする約束がある(三巻、P116)。

冨田範士:中力に内臓される意義に二つある。一つは五重十文字及び総体の規矩・気力・左右の釣合い等に対する反省である(三巻、P130)。

では、本当に押大目、引き三分一の大三をとった時は、矢束半分に引き分けている状態になるのか

はい、なりますのでみていきましょう。

左手を多めに押せば、矢束半分をとったことになる

例えば、下の写真を見てみます。

この写真を見ると、均等に開いているのかと思いたくなります。

弓弦の間の矢尺の方が、外側の矢の長さより長いからです。

実際に測って見ます。

13インチのPCで教本の神永範士の写真を最も拡大して広げた状態で定規を当てて測って見ます。

すると、元々の矢尺が61センチ、弓弦の間の矢尺が35センチ、まだ引けていない矢尺が26センチです。

この数字だけ見れば、34センチ引いて、外側は26センチしか残っていません。

矢尺半分より9センチも長く押し開いていますので、大三で矢束半分以上引いているように思います。

しかし、現実は違います。

弓弝の部分はすでに矢尺に含まれてしまっているため、この分を引かないといけません。

そうすると、弓弝の部分が13cmあるため、ここの部分を引かないといけません。

そして、神永範士の会の写真より、矢尺が2.5センチ余るため、この分を引いて、

大三で引いた矢尺は22cm, まだ引けてない矢尺は23.5 cmです。

大体、矢束半分とっているとわかります。これは、違う先生でも完璧に半分にはなりませんが、ほぼ均等に引き分けていることがわかっています。

ついでに、「押手三分の二、妻手三分の一」の用語の意味も解説しておきます。

よく、吉見純正射法訓の「弓手三分の二弦を押し、妻手三分の一弓を引き」のことを

教本+弓道連盟の指導では、「弦を押し」「弓を引き」という用語を切り取って、「弓手三分の二、妻手三分の一」という所だけ強調して

「押手を大目に押してください」と解釈したがります。

冨田範士:引分けの際における左右の力の配分は、左手三分の二、右手三分の一の割合である・・・・・5分と5分の力にて引き分けんとするときは、弓手引き負け離れも右手離れとなって弱く(三巻、P124)。

はっきり「均等に引き分けると、押手が負ける」と書いてありますね。

ではなくて、右手首が伸び、左手に大目に圧力が残ることで結果大三になります。

「押手三分の二で押しなさい」と「押手三分の二弦を押し」とでは全然意味が違います。

弦を押しとは、弓を押しながら、弦を引くこと

弓を引くとは、弦を引き込みながら、弓を押すことです。

つまり、弓を押しながら弦を引いてください。

弓を押すときは、弦を引きながら弓を引いてください。

押手3分の2、弦を押し」という意味は、

押手に三分の二の弓の圧力が残るように、弓を押しながら、弦を引く

という意味です。

だから、本当に左手で弓を大目に押し込むのではなく、

弦を引きながら、左手、右手の圧力のかかり方を比較して、結果的に左手に「三分の二の力」が残るようにしなさいという意味です。

妻手三分の1弓を引き」とは、

・弓を押しながら、弦を引いて

右手が伸ばされて、結果的に三分の一程度しか右拳が圧力が残らないように引きましょう。

つまり、右手首を伸ばして弦を引いてという意味です。

ちなみに、浦上範士の説明にも「弓引く矢を引く差別の事」とありますが、

弓を押しながら弦を引きそれを、左右共に続けていくと、弓で矢を擦るように引くことができます(弓引く)。

補足:最初に左腕を伸ばして、矢を右手で引いていく引き方を「矢を引く」と表現されます。

だから、これらの意味を合わせると、

弓を半分押し開いたとき、

左手に3分の2程度、大目に圧力がかかるように押し

右手に3分の1程度、引かれて少なめに圧力が残っている状態で取りましょう。

シンプルにいないいないバァのように両肘を均等に開いて取りましょうという意味です。

ですので、

冨田範士:道歌にも

  如何ほどに、強きを好め押す力、引くに心ありと思えよ

  とあって、左手の押す力は充分強くあれと教えている(三巻、P125)。

冨田範士:三巻、P132の6行目に同様の内容記載

と記載されて、本当に押し手を強めに押そうとしないでください。

それは、「弓手三分の二弓を押し、妻手三分一弦を引き」になっています。

「弓手三分の二弦を押し」「妻手三分一弓を引き」ではありません。

冨田範士は、尾州竹林派の弓道家です。吉見純正も紀州竹林派という尾州竹林派と同じ系統の流派の弓道家です。

であれば、吉見純正と解釈が同じにならないと意味が通りません。

無意識によくわからない用語をすっ飛ばして、「本当に左手を多めに押す」のはやめましょう。

さらに、左右の力のバランスが取れていると、

足先の向いている方向に両腕が揃うようになります。つまり、

足踏みの方向に左拳、右肘が揃う

ようになります。(若干の誤差が出る時もありますが)。

神永範士:大三の時に、左手の位置は左足踏みの向きの上に揃えるが良い。また右手も肘までは右足踏の上に揃えるようにする。(二巻、P116)

高木範士:矢が足踏みの線で平行で水平になるようにし、矢束の約半分を押し分ける(二巻、P117)

さらに、ここまでの話を振り返ると、

・右肘は、開いた方が楽だから、外に開きます

・右拳は、弦の力によって、的方向にひかれ続けます。

つまり、二つの運動は続くし、

左右の腕、拳はどこまでも伸ばし続けられる

ようになりますね。

千葉範士:形の上では止まっていても、内面の力はどこまでも伸びていかなければならない(二巻、P114)

引き取りはげに大鳥の羽をのして・・・・

と詠んで、いかにもおおらかに伸び伸びとした動作を理想として讃えている。(二巻、P115)

神永範士:両方に伸びる力があるから降ろして来るのが楽である。(二巻、P121)

そして、両腕を伸ばす力が働き続け、拳の動きは静止はします。しかし、

動き自体は静止しているが、停止はしない

とわかります。

中力をとる理由

高木範士:外見上心ともに運動が一時停止したかに見えるが、これは最後の反省の機会であるから、静止しても停止してはいけない。(二巻、P124)

冨田範士:外見上一時進行が中止されたような状態で、これは力の淀みである。決して中断されるのではない。(三巻、P130)

もしも、そのまま左右肘を外に開いていけば、

両拳の軌道は反橋の軌道を描く

ように動きます。

宇野範士:竹林派では、棒引きに一直線に引き込むことは好まず、反り橋が良いとしている。古い教歌に

打ち起こす烏兎の架け橋直なれど、引き渡すには反橋ぞ良き

と「引分け」の際の力の方向を教えている(二巻、P126)

祝部範士:右手は浅い円を描いて引出されなければならないはずである。古人もこれを知っていて、にじの架け橋と教えていた(三巻、P115)

祝部範士:軽い円を描いて耳の上をかぶさるように引き取れと言う教法が成り立ったわけである(三巻、P115)。

それにしても、実際問題、

なぜ大三で動作は静止しても内面は「筋肉が伸び続けている感覚」を得られるのでしょうか?その秘密は

両腕を伸ばし続けられるのは、脚の力で支えているから

いないいないばぁ大三をやれば、右手首は伸びています。左腕全体にも負担なく押せています。

では、両腕だけではなく、体幹部などの筋肉も活用して弓の圧力を支えていることになりますよね。

つまり、弓の力を左腕の押す力で支えているのではなく、弓の力を「左腕でいったん受けて、体幹部を通じて、脚を地面で押し返す力」で受けていると解釈できます。

だから、伸び続けられる感覚を得られます。

両腕で押し伸ばしているのではなく、「両腕で弓力を受けて、脚で支えている」のです。

だから、両腕は硬直しません。

高木範士:右肘から先を或る程度の弾力を持たせて、一本に左手の働きに追随させるようにしたり、種々の心構えが必要で或る

この時の左右の関係を述べると

A:角見から二方向に働きは通じる。一方は角見→左肘の後ろ下・左上膊の後ろ側へ通じ、左肩・左脊柱から腰へ行き右足の裏へ納まる。

B:弽からも同様に、一方は弽→右肘の後ろ下、右上膊の後ろ側へ行き、右肩、右脊柱から腰へ通じて左足の裏へ納まる。(二巻、P123)

そうして、脚で支えているから

上半身に無駄な力をかからない=胸周りにも無駄な力はかからないですね。だから、

呼吸も楽になる

平生な息合になります。

宇野範士:打起こしで「引き分け」を3分の二位までは平生の息合で、後の三分の一のところで静かに気息を丹田に収める(二巻、P128)

神永範士:呼吸は自然にまかすが、胸を用いないで(二巻、P128)

高塚範士:気息もまた弛やかに和して(三巻、P122)

冨田範士:息詰まる時は息なし、平なる時は息有り。詰むる時は目も心も手前も目あて物に奪われて眺み見えず(三巻、P127)

冨田範士:平息とは常の息なり(三巻、P128)冨田範士:三巻、P130、12行目に同様の記載有り。

常に腕が伸び続け、呼吸もゆったりになっているため、引き分けにおける

拳のスピードも緩やかになる

宇野範士:「打起こし」から「引き分け」に移る時は極めて静かに、而してなだらかに押引を進めるように心がけねばならぬ。

鈴木範士:三巻、P114八行目、同様の表現記載

高塚範士:三巻、P122四行目、同様の表現記載

そうすると、

右肘を開くのが重要であって

右肘を固定して、右手首を伸ばす大三をしてはいけない

です。それをやると、大三動作で右手首の力みが取れても、引き分け動作で手首の力が入ってしまうからです。

松井範士:肘尻をそのままにして手首だけの所作で位置を変えると、矢を押し出したり、あるいはしがんだりするから、懸け口はどこまでも紐付けで応える心持ちで(三巻、P118)

だから、いないいないばぁで大三をしましょう。

そうすると、右手首が伸びるように大三が取れます。

というわけで、ここからは説明仕切れなかった内容の補足説明に入っていきます。

・鈴木範士の迎え肩の引き方は老年齢しか合わない

・息を吐いて下腹に収める方法、吸って収める方法の具体的説明

に入ります。

まず、いないいないバァの大三は右肘を外側に自然に広げることができるため、

右手首が楽に伸びます。

そのため、

鈴木範士の迎え肩の引き分けにはリスクがある

とわかります。

鈴木伊範士:やや迎え肩にすると良い。このとり方は、第一に強い弓も比較的楽に引けるだけでなく、離れに好結果を来たし(三巻、P114)。

と記されていますが、

これは、右肩を少し内側に巻くようにすると、良いと解説されていると思われます。

理由は、鈴木範士は自身の説明で、足踏みで右足を狭く踏む半丁字の足踏みを推奨されています。

そのため、右肩が少し内側に巻かれやすくなります。

確かに、この迎え肩は、大三では右手首が伸びる感覚もあるし、強い弓も多少引きやすくなります。

しかし、「右肘の位置」が固定されてしまうため、後の引き分けの初動で右手に力が入ります。

(だから、鈴木範士はその後に「納まりも堅固になる」と言っています)。

こうなります。

確かに、大三では右肘関節の位置は安定します。肩関節にも力がしっかり入ります。

しかし、その状態で引くと、右側の筋肉に力がこもりすぎてしまい、結果右拳に力が入ります。引き分けに入るにつれて、弓の圧力がどんどん右拳に集中します。

ですので、鈴木範士は、

鈴木範士:弓は最初から最後まで拳で引くものであって、肘や肩や背中はそれを助け、・・・・・

種となるのはあくまで拳であり、副は肘であり、肩であり背中である。(三巻、P123)

と、拳で引くことが大事と解いています。

それは、前屈みにしたから拳に力が込めやすくなっただけであり、拳に力が込めることが自体が良いわけではありません。

実際に、鈴木範士のようにすれば、引きやすくはなりますが、それ以外の問題が発生します。

実迎え肩にした結果、首が前に出て、物見が向きにくくなります。

こうなると、頭が前に出やすくなるため、矢を最大限自分の体に近づけることができません。

つまり、自分の狙いがちゃんと的に対して真っ直ぐみれているかがわからなくなります。

もし、しっかり物見が向けていれば、首筋に大きな一本の筋肉が縦にとおるのがわかりますが、この写真からはそれが見えません。

このようなリスクがあるため、この手法は用いないのを個人的におすすめします。

実際、私は35kgの弓を使って引いていますが、迎え肩で弓を引いたら、右拳に強く力がかかりすぎてしまい、結局大きく弓を引けないことがわかっています。

だから、この方法は強い弓を引くには推奨しません。「比較的強い弓でも対応できる」と書いてありますが、会で右拳にめちゃくちゃ力が篭ります。

万人に使える方法ではありません。加えて、本人も言うように、

鈴木伊範士:拳が内側で曲がって止まるのは、肘で引き肘で離れた証拠であって、拳で引き拳で離れた者は、拳が一直線の形状をなして止まる(三巻、P123)。

というように小離れを推奨しています。

この引き方は、弓道連盟で推奨される大離れを想定して考えられた文章となっていません。

迎え肩の状態で大きく離そうとすると、拳があらゆる方向にぶれる可能性があり、的中を出すのが難しいので、離れが小さくなります。

あるいは、右肩が内側に巻かれると、両腕を外側に開けなくなります。

一度迎え肩にし、肩を内側に巻き込むようにしてしまったら、そこから大きく引いて、肩の力みがほぐれることはありません。

ずっと右肩が前に巻かれた状態で引かなければならず、その状態では、体全体の筋肉を使えず、左右に伸び続ける構えを作りずらいです。

さらに、拳に力をいれる引き分けは拳を動かすスピードを調整するのが難しくなります。で

鈴木伊範士:徐々に引き開くべきかと言うと、早きに味がなく、遅きは軌道を失い(三巻、P114)。

と記されているように、拳の動くスピードにも気を使わないといけません。

迎え肩で弓を引く方法

ただ、一つだけ、大三で迎え肩になっても、最後までしっかり引けて離せる方法があります。

それが、宇野範士の「右腕を外側に回して、右肩は上肩にして迎える方法」です。

右腕を外側に回すと、後で引き分けいくにつれて、右肩が下がりやすくなるからです。

そのため、弓を開いていった時に、上に上がった右肩が元に戻ってくるため、離れもスムーズに出ます。

実際に、本多先生も、日置流の書籍でも、この弓の引き方を文章で解説されています。

だから、宇野範士の「右腕は外巻きして、右肩を上肩で受ける」ことを文献で解説されています。

で、弓道教本と言うと、なぜか「右腕が外巻き」という部分だけ記述が抜けて記載されています。

ちなみに、今日の弓道の指導では、「左右対称に動作をする」という理由で右肘も内側に捻らせる指導をする場合が多いです

したがって、本当に右肩だけ上げて大三を取ると、右肩と右拳に強く負担がかかって弓を楽に開けません。

したがって、弓道教本だけを見ると、間違った「上肩」解釈をしてしまい、鈴木範士のように、狙い目も右拳の無駄な力みといろいろな問題が起こります。

ちゃんとその先生が解説された通りに文章を記載しましょう。

部分的に真実の内容をちりばめるのは「嘘」を見つけずらく、誤解が生じます。

次に、

引き分けで、下腹を意識する方法

を解説していきます。

宇野範士:強弓は息の出入りを許さぬからそれでは困難で、はく息と吸う息を一気に引き取る(二巻、P128)

と息を止めるように解説していますが、

・息を吐いて腹に圧力をかける(吐く息を一気に引き取るパターン)

・息を吸って、取り込んだ息を腹部に入れて、腹に圧力をかける(吸う息で一気に引き取るパターン)

両方とも「呼吸」か「胸肉」を使うことで、腹に圧力をかけます。

まず、息を止めるのと収めるの違いを言います。

息を止めるのは単純に呼吸動作を止めることです。これはただ苦しいだけ、

一方、息を収めるとは、吸った息を腹部に凝縮させて、腹に集めることを指します。

宇野範士:息合いは正座法によると、息を吸いながら下腹に収めるのと、息を吐きながら収めるのと、(二巻、P128)

上記のように、息を吸ってその酸素を下腹に集めるようにすると、意識が下腹に集中します。

これが「息を吸いながら下腹に収める」呼吸法です。

次に、息を吐くと胸が緩み、胸郭が下に下がって、内部に腹圧がかかります。これによって、下腹に意識が集中します。

これは、吐くことで、意識を下腹に収める呼吸法です。

神永範士も二巻P128に、「下腹に思いを置いて、根息を収める」と記されています。これは宇野範士の「息を吸って収める方法」と同様の内容です。

安沢範士の場合、胸を緩めて「息を吐いて下腹に収める」方法を解説しています。

安沢範士:上部(胸)の息気を吐いて、胸が虚になることによって横隔膜が下がり、丹田の力が益々充実し(教本三巻P126)

どちらの方法でも、丹田を意識した状態を作れます。

しかし、この内容も呼吸を意識するのではなく、自然とそうなる姿勢を構築してください。

そのためには、いないいないバァの引き分けをできるようになりましょう。

なぜなら、いないいないバァの引き分けで胸筋が左右に伸ばされます。よって、

・胸を開いておいた方が、酸素が体内に入りやすくなるため、息を吸って下腹に収めやすくなる

・胸を開いた方が、引き分け中に息を吐いて、胸を緩めやすくなるため、下腹に収めやすくなる

と二つの下腹を収める姿勢を作りやすいのです。

この呼吸法を行えば、弓弦の抵抗力がかかっていますが、胸部が圧迫されないようになります。

そして、その両方がいないいないバァの引き分けで胸を開くとやりやすいです。

呼吸に関しては、冨田範士、星野茂則氏が言うように、「平常の息」を基礎とするのが大切で(三巻、P128)

そういう意味では、

多田範士の呼吸法の文章は読んではいけない

とわかります。

理由は、言っている内容が不透明で矛盾が多すぎて、実践するのがおよそ不可能だからです。

以下、不透明で矛盾がある箇所について記載しておきます。

多田範士の呼吸の文章(P131ー141)

ほかの先生と内容合わせて合っている所

・無理な息をしてはいけない。(P135、5行目)

・日常の呼吸(P135、10行目)

間違っている所

・P1366の7行目に「腹式呼吸」が大切と解く。しかし、その3行後に、

「腰骨をグッと伸ばすことを第一、腹は前に、尻は後方に張り、膝屈は伸び」

と記述されている。この姿勢では、出る尻鳩胸になってしまい、胸式呼吸はしやすくなるが、腹式呼吸にするのが難しい。

かつ、2行前に記されている「上半身の筋骨最も軟らかに」と記載されているが、上記の姿勢では、上体を柔らかくにしにくくなる。

・上記の姿勢で引き分けで「腰骨は天へ膝屈は地へ、無限に天突き地突きに伸びるように」と記述。出る尻鳩胸の姿勢でこれを行うと、背筋に力が入ってしまい、両足で地面に体重をしっかり乗せる動作ができない

・P138ページの4行目に「横は左右に自由に働ける」と記されている。主語が不明確ですが、出る尻鳩胸の姿勢では、横方向に肩甲骨も腕も肩も伸びない。

・吸うた息を吐いて仕舞うてはいけない。また止めてもいないから、前に述べた日常の呼吸の吐く息の途中と記されているが、この表現自体が「日常の呼吸」になっているかが不明。

・竹林派弓術秘書に「張合い・釣合い・息合い」と記されているが、原文となる尾州竹林弓術書には、この三つの用語自体の記載がない

・上記の説明が記されている竹林の秘書があるなら、それは公開する必要がある。少なくとも、原文の「尾州竹林弓術書」魚住文衛氏の「四巻の書の解説書」にも、「張合い・釣合い・息合い」の記述は存在していない。

・魚住文衛星氏の四巻の書の解説には、「息合」という表現自体は存在するが、内容は多田範士のものと異なる

・現段階で、多田範士の言われる「尾州竹林弓術秘書」の「秘書」がどこの文献で、誰のものを参考にされたのかわからない。

・P141「間断なき天地左右の伸長」と記載。何が伸び続けられるか?主語がわからないですが、筋肉に限って言えば、上記の姿勢では不可能。

なお、尾州竹林の原文ですら、「張合い」もなければ、「息合い」の説明も存在しません。しかし、多田範士はこういった内容を「秘書」とだけ記載されています。

真偽のわからない上に、調べようがないため、この内容を勉強する意味がなくなってしまいます。

加えて、多田範士の言われるように

多田範士:ただ習う外に上達はないと思う如きは愚である。(三巻、P141)

このように、我流で読み続ければ、必ずよくわからなくなります。

だからこそ、説明するときは不透明な内容を出すのではなく、きちんと根拠となる文献を提示して、謙虚に受け止める必要があるでしょう。

不透明な内容と個人の主観は、読んだところでわかりません。

多田範士しか「秘書の内容」がわかりませんし、それが正しいかどうかもわかりません。

「腹は前に、尻は後方に張り、膝屈は伸び」

「上半身の筋骨最も軟らかに

こんなことが本当にできるのか解剖学的に、かつ体で実証できるのか、

最も古い原文になくて「秘書」に存在する文章が本当にそもそも存在するのかの確認をとってから、文章を読むのをおすすめします。

改めて一人事を書きます。こうした事実を踏まえて、教本に記された射法の内容全体が正しいものか?自分で十分に検討し、ご判断されてください。

次に、「」の内容に入っていきます。

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