正しい弓道教本:会

次に、会の内容を説明していきます。

その前にこれまでの内容を振り返りましょう。

まず、引き分けで

・いないいないバァをして両肘を外側に開く

そして、

・そのまま両腕を開き続ける

ここまで解説しきました。

上記の内容を実践できれば、もう「安定した会」を構築できます。

教本を開くと、会の項目には

充実した会、深い会と浅い会、骨法、気力の充実、息合いと伸びあいの一致・・・・・・・・・

と抽象的な言葉が多く載っています。

多くの人が「どう言うこと?」「何やればいいの?」と混乱します。

中には、弓道の先生も「会は難しい」と印象を持ちますが、

そんなことはありません。会ではやるべきことが決まっており、内容も極めてシンプルです。

では、みていきましょう。

これら抽象的な用語は

「右肘を深く」入れれば、全ての会の言葉の意味がわかる

と理解してください。

やることはたった一つ。

いないいないバァで両肘を外側に広げ続けましょう。

その流れで両腕を開いていき、矢の長さいっぱいに引きましょう。

右肘を右肩より後方にくるように引き込んでください。

そうすると、適切な会の状態がわかります。

それは

身体にかかる負荷は大きいが、両腕にかかっている負担が小さい

状態です。

いっぱい引いているけど、腕にかかる負担が少ない。

この状態を作れば、スムーズに矢を放つことができ、的中を得られます。

「身体にかかる負担が大きい」とは「弓の反発力が強く身体にかかっている」ことを指します。

この状態を作れば、離れで右拳を抜きやすくなってスムーズに矢を離すことができます。

そして、的中を確実に得られます。

この「体はきついが腕は楽」な状態は、大きく引き分けることで構築できます。

詳細をイラストにして解説します。

例えば、

小さい引き分けは、腕に負荷が集中する

ことがわかります。

引き分けが小さいと、弓と腕が身体より前に出るからです。

弓の復元力が腕に集中してしまいます。

だから、姿勢が曲がったり肩が上がったりして、射形が悪くなります。

引き分けが小さいと、体全体にかかる負荷は少ないですが、腕に負荷が集中してしまいます。

だから、綺麗な姿勢を維持して引き続けるのが難しくなります。

一方、引き分けが大きいと、身体にかかる負荷は大きいですが、腕の負担は減ることがわかります。

なぜなら、矢の長さいっぱい引くと、右肘は肩より後方に入り、肩、首、脇にも弓の反発力がかかるからです。

他の部位にも弓の反発力がかかるため、相対的に右腕の負荷が減ります。

ダンベルを3kgを片腕だけで持つと、片腕に負荷が集中し、「きつい」と感じますよね。

しかし、6kgのダンベルを抱えるように持つと、体全体に負荷がかかりますが、頭で「きつい」と感じにくいです。

身体全体に負荷がかかれば、頭は腕の筋肉が「きつい」と感じにくいです。

だから、離れで右拳を真っ直ぐに出しやすくなり、余計な姿勢のブレなく矢をに真っ直ぐに放せます。

大きく引くほど、広範囲に反発力に対抗するための筋肉を使えるため、腕にかかる圧力が相対的に減って離れで拳を出しやすくなります。

もちろん、姿勢が崩れれば、離れで思わぬ体のブレが発生する場合もあります。

しかし、大きく弓を引き続けていけば、弓の負荷によって各部の筋肉は強化されて、体のブレは少なくなってきます。

ポイントとなるのが、

1、身体全体の筋肉を使っているのに、

2、それぞれ各部の筋肉にかかる弓の負荷が少ない

3、さらに、身体にかかる弓の負荷はどんどん上がっていく、

この三つを理解すると、会での様々な用語の意味がわかるようになります。

まず、

大きい引き分けで、胸が開くような感覚が得られる

ことがわかりますね。

チェックする箇所は「胸」と「左右の拳」。

矢の長さいっぱいに引けば、腕以外に肩、そして胸の筋肉も働き「胸筋が開く」感覚を得られます。

両肘を背中より後ろに押し回しましょう。

そうして、胸の筋肉が開いた感覚を得られます。

そうなれば、矢の長さいっぱいに引けているとわかります。

この姿勢を「胸前開き、背肉縮む」の姿勢ともいわれます。

大きく弓を引けば、弓の反発力は体の後ろ側にもかかります。そのため、前の皮膚が開いて伸びて、後ろの皮膚が縮んで締まる感覚を得られます。

そして、矢の長さいっぱいに引き、他の肩、首、背中などに負荷がかかれば、相対的に、

左右の拳に力みが少なくなる

ことがわかります。

弓の負荷が体幹部にかかっているならば、左腕にかかる負荷も軽減されます。

したがって、左拳にかかる無駄な力みも少ないです。

矢の長さいっぱい引いていますが、左拳が徐々に締まった感覚になります。

一方、矢の長さいっぱい引けば、右手先以外に、右上腕、右肩と言った筋肉も弓を開くのに使われます。

つまり、右肘は後ろに引き続けられ、右拳は伸びる感覚を得られるとわかります。

つまり、大きく引いているんだけど、右拳は徐々に締まっていくとわかります。

会の時に、両拳は強く力みません。

・徐々に締まっている感覚になる

とわかります。

これを弓道の指導者は、何も考えずに、

・会では肩甲骨を寄せるようにしろ

・右手首の力を抜け

と教える先生がいますが違います。矢の長さいっぱいに引けば、自然に肩甲骨が寄るのです。そして、右手首が伸ばされるのです。

自分から肩甲骨を寄せたり、右手首の力を抜こうとしてはいけません。

つまり、大きく弓を開けば、

・胸は開いて、左右の拳の力みは少ない

とわかります。

なぜ、胸が開き、左右の拳の力を使わずに、大きく弓を開いて会を安定できるのでしょう。それは、

筋肉ではなく骨で押す

ように弓を開いているからです。

「骨で押す」とは、「骨を射る」とも表現されますが、

「筋力を最小限に抑えて、関節を支える力だけで押せている」状態を指します。

例えば、腕の筋力が10発揮できるとして、8の弓の反発力がかかったとします。

この場合、腕の筋力を8使えば、弓の反発力に対抗できます。

しかし、会では、常に弓の反発力がかかります。一度使った筋力は持続的に保てないので、筋力だけでは会を持てません。

解剖学的に、筋肉が持続的に力を発揮できる時間は20−30秒程度です。1射2射であれば、筋力だけで引いても問題ないかもしれませんが、続けていけば、体力が持たず、弓を引けなくなってきます。

つまり、筋力だけでは、いずれ疲弊します。

そこで、矢の長さいっぱいに引き、腕以外の箇所の筋肉も使って、腕を伸ばす力2、3程度で8の弓の反発力に対抗できたらどうでしょう?

先ほど説明したように、大きく引いて、様々な筋肉を広範囲に使えば、このような状態を作ることはできます。

それは、腕以外の筋肉を活用するのです。

そうすると、筋肉以外の骨、関節も伸び、それらを「押す」力として働かせることができます。

腕以外の筋肉を活用し、筋肉以外に骨、関節も伸ばすようにします。

すると、「筋力をセーブして楽に押せている」状態を構築できます。

「骨で押す」とは、意識して行うことではありません。

矢の長さいっぱい引くと、腕以外の筋肉が働き、各部位の筋力をセーブできます。

筋力を抑えていますが、実際に弓を開けています。

その時「腕力ではなく腕の骨、関節で支えて弓を押している感覚」を得られます。

その状態が骨で押すと言う意味です。

骨で支えるように弓を押せれば、

・楽に会を長く持てます(時間)

・より奥底の筋肉に弓の圧力をかけられます(場所)

・時間をかけてしっかり弓を開くことに向き合えます(心の持ち方)

と言った、会での時間・場所・心の持ち方と言った要素が「深く」なっていることがわかります。

この状態を「深い会」、そうでない会を「浅い会」とも表現されます。

(注意:ただ、「尾州竹林弓術書を見ると、深会と浅会の定義は少し異なります。概ね意味は合っていますが、言葉の定義が異なります)

筋肉だけでなく、骨で弓を押し開くのに活用すれば、楽に弓を開けて、より深い会を構築できます。

次に、良い会の時は、気力が充実すると説明されますが、

気力は、矢の長さいっぱい引くことで充実する

ことがわかります。

大きく引くほど、気力もどんどん充実してくるとわかります。

大きく弓を引くと、腕以外の筋肉が働きます。特に、背中の筋肉に負荷が強くかかります。

すると、背中を介して、脳に多くの血液が流れ、脳の働きが活性化します。

そうして、心が意欲的な状態になります。

矢の長さいっぱい引くと、「心が心地よく生き生きしている状態」を作れます。

このような心理状態は、「小さい引き分け」で作れません。

弓の反動力に比例して、集中力が上がってくる感覚を得られます。

さらに、矢の長さいっぱい引き続けると、

詰合い・伸合いの用語の意味がわかるようになります。

詰合い・伸合いの正確な用語説明

もし、大きく引けば詰め・伸びの言葉は次のように決まります。

・「詰め」とは、ある筋肉に弓の反動力が「詰まる」感覚

・「伸び」とは、その反発力がかかって筋肉が働き、関節が伸びる感覚

となります。まず、大きく引くと、腕以外の筋肉に力がかかります。

そこで、肩甲骨周辺にある「前鋸筋(ぜんきょきん)」が弓の圧力によって縮むと、肩甲骨が外側に開きます。

この筋肉が縮むと、腕関節に力を入れずとも、左右の方向に伸ばし続けることができます。

ここで、脇が詰まって、肩甲骨が開くことがわかります。この働きが「詰め」

次に、肩甲骨が外側に開くと、肩甲骨と背骨の間は左右に伸びます。

つまり、肩甲骨が左右に伸び、背骨も縮むことなく、上方に伸びる感覚を得られます。これを「伸び」といいます。

つまり、脇が詰まって、背中が伸びることを「詰合・伸合」と言います。

この現象は、相互に関係しています。詰合いと言う現象は単独で起きないとわかります。

詰まる感覚がある時は、伸びる感覚があります。この詰める部分と伸びる部分が相互に働くと、その関節の部位は安定し、動きとして静止します。

この状態を「収める」と言います。

「収まる」とは、詰まる力と伸びる力が均等になって動きが収まることを指します。

例えば、脇の筋肉が詰まり、肩甲骨が開く(伸びる)と、右肘の骨がより後方に動きます。やがて、脇下の筋肉の収縮しきったら、肩甲骨が開く長さが決まり、右肘の骨の動きが静止します。

つまり、右肘の骨の動きが「収まった」とわかります。

つまり、大きく引き続けることで、筋肉が詰まり、関節が伸びて、それぞれの関節の動きが収まるのです。

これを、今日の弓道の指導では、

自分で筋肉を固めて静止しているのを「関節を詰める」と説明し

自分で筋肉を固めて、関節を固定することを、「収める」と解釈する先生がいます。

だから、右手首を捻って、あえて右腕全体の関節の動きに制限をかけて、関節の動きを固めることを

筋肉がガッチリ固まって骨が動かない状態を「詰め」とし

そこから、無理やり筋肉に伸ばそうと無駄な意識を持たせるのを「伸び」とし

関節の位置を固定するのを「収める」と解釈する人もいます。

だから、弓道の世界では、会に入ったら、

・大きく引こうとすると引きすぎと言い

・手の内を握って形を崩さないよう指摘し

・右手首を捻るように解説する先生がいます。

違います。それでは、何かが「伸びる」感覚はどのように得るのでしょうか?

「詰め」とは、弓の反発力を身体のどこかに「詰まる」の「詰め」です。

自分から関節を固める行為が適切なら

なぜ、打起こしでは「どこまでも伸び続ける感覚」を良しとし、大三では「停止はダメで静止するのは良い」と言っているのにもかかわらず、

会で関節や筋肉を固めるのはよしとするのでしょうか?

会でも、筋肉や関節が伸び続けるように体を使うのが適切であり、

その状態を具体的に説明するために「詰め・伸び・収める」といった言葉があると考えるのが自然です。

ちなみに、大きく引いた結果、弓の圧力は「左右の肩」「胸」「右肘」「左拳」の五箇所に詰まります。この状態を、「五部の詰め」と言います。

さらに、より楽に弓を引き続けるために腰・左右の脚といった「下半身」の筋肉・骨も活用できるようになります。これを「八部の詰」「総部の詰」と言われます。

このように、引き続けると、上半身・下半身の筋肉・関節共に上下左右に伸ばされ続けます。すると、全身の皮膚が引っ張られ、全身に刺激が行き渡った状態になります。

この状態を「総体がしまった姿勢」と表現されます。あるいは、体全体に意識が行き渡った「隙のない状態」とも表現されます。

このように、大きく引き続ければ、

・脇の筋肉が詰まって、肩甲骨と背骨が伸びて、

・右肘の関節の動き続けた後に収まって

・特に5箇所(左拳・左右の肩・胸・右肘)に弓の圧力は集まり

・さらに楽に引き続けると、8箇所(上記の五箇所以外に腰・左右の脚」に圧力が集まり

・全身の筋肉に刺激が行き渡り、「全体が締まった隙のない状態」

を構築できるとわかります。

さらに、大きく引いて、脇が詰まって肩甲骨が開けば、

呼吸動作も楽に続く

こともわかります。

会での呼吸動作を、「息合い」とも呼ばれます。

大きく引けば、弓の反動は腕以外にもかかり、脇の筋肉が縮みます。

すると、肩甲骨を外側に開いて、肺まわりにスペースが生まれます。

酸素が体内に取り込みやすくなり、息を吐く動作も楽にできます。

つまり、大きく引いている最中は、肺周りが詰まっていないため、酸素の出入りがスムーズになり、呼吸しやすいです。

弓の反発力が腹部にかかると、腹、肺に満たされた酸素はスムーズに外に出され、息を自然と吐き続ける状態を作ることができます。

これまでの内容を聞いて、一つのことがわかります。それが、

詰合い・伸合い・息合いが一致する

とわかります。

大きく引くことで、腕以外の筋肉、肩・脇・首・背中・腰などの筋肉が詰まります。

体全体の筋肉に少しずつ負荷がかかるため、一部の筋肉は詰まらず、筋肉全体で見ると、のびのびしている感覚を得られます。

これは、あなたが大きく弓をひこうとし続けたら、会の最中ずっと詰まり続けますよね。

次に、肩甲骨や背骨が上下左右の方向に開き、伸び続けますが、この伸びる働きも続きますね。

さらに、肩甲骨が開き、肺周りにスペースが生まれれば、息も吐き続けることができますね。

このように、「筋肉が詰まり続ける」「関節が伸び続ける「息が吐かれ続ける」の「〜〜続ける」の部分が一致しますね。

筋肉の働きも、関節の働きも、呼吸も同じように「ゆったり、長く」続きます。

これを「詰合・伸合・息合」の一致と言われます。

「一致」とは、複数の活動の様子が「同化していく」という意味で使われていると解釈できます。

あるいは、「弓・身・心」の三位一体とも表現されます。

あなたが、大きく弓を引き続けようと言う「心」を持てば、

・弓も大きく開き続けようとします

・そして、圧力が筋肉にかかり、筋肉も縮み、関節が伸び続けます

・そして、息を吐く運動が楽に持続し続けます。

・全身に負荷がかかっているので体全体の筋肉を伸び続ける運動も楽に持続し

・身体にかかる負荷もバランスよく、ストレスを抑えながら弓を引き続けられます。

すると、弓を引こうと言う「心」、開き続ける「弓」、動き続ける「体」の状態が一体化しているのがわかります。

これを、「弓・身・心」の三位一体。とも表現されます。

正しい、詰合い・伸合いの一致は、その働きが「続く」ことによって、成り立ちます。

しかし、今の弓道の世界では、

間違った詰合い・伸合いの一致のさせ方

を教えているのがわかります。

それは、「詰合い、伸び合い」の一致と言う言葉を

会の最中に、射型が整う時、筋肉の良い働き、良い呼吸の状態の「タイミングを合わせる」と説明している人がいます。

それはおよそ不可能です。

ちょうどいい案配、タイミングが個人の主観によって異なり、判断できないからです。

多分、そのように解釈する人は、

合わせ離れのことを「伸び合い、詰め合い、息合いが一致した」と考えている可能性があります。

ある程度、矢の長さ引いた時、引き続ける動作を止めたとします。すると、体に力が溜まってきて「ここで離すと離しやすい」という拍子(タイミング)が出てきます。

その自分が「都合の良い」タイミングを感じて離すのを「合わせ離れ」と言います。

この離れの良いところは、自分の都合の良いタイミングで離すので、「感触が良い」と思いやすいです。

だから、その瞬間を「伸び合いと詰め合いが一致」していると勘違いしやすいです。

ただ、合わせ離れは欠点があります。

その離す良いタイミングがはずれてしまったら、的中しない上に、弦がかけ溝からスムーズに外れず、暴発や弦で腕を払うなどの問題が起こります。

さらに、弓を引き続けるのをやめてしまい、結局「小さい引き分け」になりがちです。

弽のかけ溝の部分をみてみてください。もし、かけ溝周辺に弦を引っ掻いたような後がついていたら、それは合わせ離れをやりすぎている証拠です。

ちょうどいい機会を待って離しても、うまくいかないことが多いです。そのため、大きく引くようにしましょう。

大きく弓を引けば、肩甲骨も外に開き、肺周りも広がり、その働きは長く楽に持続できます。

ここまでの内容を振り返ると、「大きく弓を引く」ことを続ければ良いとわかります。

右肘が肩より後方に入るくらいに、大きく弓を引き続ければ、

・腕以外の筋肉に負荷がかかります。それによって、弓の負荷総量が上がっても、会を保てます

・胸が左右に開く感覚が得られ

・左右の拳は力みなく締まり続け

・筋力以外に「骨」で押しているようになり

・引き続けるごとに、脳に血液が言って「気力」が充実し

・弓の圧力が脇の筋肉に「詰ま」り、肩甲骨が開き、背骨とともに「伸び」

・上半身、下半身ともに、弓の圧力が詰まって、総部が締まった感覚を得られて

・肺が開いて、呼吸動作も楽に続き

・筋肉が詰まる・関節が伸びる・呼吸も続いて働きが「一致」する

とわかります。

他の弓道教本の先生も皆同じことを揃えて言う。

では、私のお話している内容は妄想でしょうか?

ほぼ全ての弓道教本の高段者は「矢の長さいっぱいに引くべし」と記しています。

矢の長さいっぱい引くことで、「伸び合い」が実現する。

まず、矢の長さいっぱい引くように解説している先生を解説します。

千葉範士:伸び合いは、弓手に定め妻手に締め。

千葉範士:これは、至誠を尽くした不断の鍛錬によって初めて生まれる

持満とは、矢束一杯ひきつめて、放れ際まで息にさはらじ(二巻、P130)

ハッキリ書いてありますね。

矢束一杯にひきつめよと

「不断の鍛錬」と

じゃあ、そのようにしましょう。

宇野範士:左右の肩甲骨が両方から詰め合うように全力を挙げて十文字形に伸び合う(二巻、P134)

神永範士:弓の力が十ならば精神力は十二分に働き、(二巻、P138)

安沢範士:つまり、「大三」より左・右・丹田と三点を結んだ正三角形の無限延長であり(三巻、P145)。

高塚範士:会は引き分けの延長で、整った身心各部の機能が合致し伸びきった頂点が会であり、離れである。(三巻、P150)

祝部範士:大の一は会における矢尺である。ここでは、細説は避けるが、引けるだけ引くことである。(三巻、P151)

引けるだけ引いた矢は、右手の拇指根の外側は、右肩の突角すなわち図示したように、いわゆる肩の外れの点まで来ていて、右腕は背後の方に引き廻した姿を構成する。(三巻、P151)。

教本三巻P151から引用

全力を挙げて十文字形に伸び、精神力は十二分に働き伸びきった頂点右腕は背後の方に引き廻した姿・・・・・・

ほかの先生も「矢の長さいっぱい」引くように解説しているとわかりますね。

この文章を「軽い弓で引きすぎないように加減して引いている人」が実践できるでしょうか?

これだけの先生が弓や全力で引け、伸びあえと言っています。なら引きましょう。

宇野範士:二センチ、三センチも矢束を引きながら放つようではこれはまだ十分「詰合い」ができていらぬ証拠で(二巻、P134)

この文章の記された通り、二センチ、三センチも引ける余裕があるのにもかかわらずそれで離しているのも「伸び合い」ができていませんよね。

であれば、矢の長さ一杯引きましょう。

矢の長さいっぱい引くように高段者の先生は話していますので、その通りに行っていきましょう。

そうして、弓を引くと、身体の各部に負担が分散されますね。

矢の長さいっぱい引いたら、まず

腕〜胸、背中まで負担が分散される

ので、神永範士のように、「前面の筋肉が伸びて、後ろの筋肉が締まる」ような感覚を得られます。

神永範士:体が弓に寄せられながら前面が開いて来るので、これによって後ろ面の張りに対して両肩がはまるのである(二巻、P132)。

安沢範士:背向に無限の働きをするからである、決して矢なりの方向に動くのではない(三巻、P146)。

これはつまり、胸が開くくらいに右肘を外へ外に伸ばすようにしましょうと解いています。そうすれば、胸が開くように力がかかっていると高木範士も解説されます。

高木範士:「真の矢束」とは、離れの時に右拳が会の時の位置より前方を通ることなく、その点より右で幾分後方まで開くような所まで引いた矢束を「真の矢束」と言う。

会の時の弓矢と力の関係を考えると上図のようになる。両肩の骨(S)を支点とし、このSを含む水平面と頬付けのところの矢(P)よりの垂線との交点をPとし、

Pを含む水平面とSよりこの平面の垂線との交点をS’とすると、会の時の力はPS’とPP’の二つの力の合力の方向、すなわち、PSの方向に働いて釣り合っていることになる。

絵で表すとこういうことですね。

つまり、身体に向かっていくように力がかからないといけません。

そうして、一番胸が開いた状態を作ると、右手の角度が上からみて60度くらいの開きになります。

教本三巻、P153から引用

祝部範士:この時の右手の角度は60度、すなわち胸の一番開く形勢でなければならない

ここで注意点があります。胸を開こうとした時に、両腕に力が込められず、がくんと落ちるような感覚が出た場合、その会は失敗です。

それは、胸が開いているのではなく、胸が前に出ているからです。体重を後ろに乗せて、弓を開くようにしましょう。

神永範士:ガクンと落ちない心遣いが必要で両手の下筋を効かしていなければいけない(二巻、P133)

さらに、矢の長さいっぱいに引けば、弓の圧力がどんどん身体にかかっていきます。

こうなると、弓の負荷は背中、肩、首などに分散され、左右の手にかかる負荷は相対的に減ります。

つまり、よく引けている会のときは、

弓の反発力が全身にかかり、腕に集中しないから

左拳は徐々に締まり

右拳も徐々に締まり、

左右の前腕も負荷少なく、伸びる

とわかります。

左拳は自然と締まっていく

神永範士:手の内が吸い付いてしまって来るほど(二巻、P131)

宇野範士:「詰合い」で手の内が握り革に吸い付くように全体で締めるので、部分的に色々工作したりしない(二巻、P145)。

浦上範士:矢をまっすぐ飛ばすには、小指をしっかり締めて弓の本弭の反発力を手前に引くようにしなければならない(二巻、P146)

松井範士:拇指根を中心に握り、全体が内側に締まる心持ちでなければならぬ。(三巻、P167)

冨田範士:拇指と中指の締め具合の味わいが大切で(三巻、P169)。

もう少し、具体的にお話すると、小指が締まることで、左手首が少し浮きます。

親指の付け根により深く弓があたり、親指は「少し浮くような状態」になる人もいます。

松井範士:拇指の爪は、鵜の首の如く反り(三巻、P168)

冨田範士:拇指の根を強く押しかけ、拇指の第二関節を反る心持ち(三巻、P169)

この時、親指は的方向に突っ込んではいけません。そうすると、親指に弓の反発力がかかりすぎてしまい、小指が締まらなくなるからです。

と、浦上範士もお話しています。

浦上範士:親指を伸ばし、中指のところを摺るように押すと、骨にこたえて押した形となる。(P146)

同様に、徐々に右手も

右拳も締まって余計に力を加えない

ように引けます。

神永範士:両拳は力が凝らず、軽やかに右肘右肩の働きで弦枕に感じてくれば。少しも間隙がなく、右肩が弽下の脈所を押しているような感じになり

宇野範士:この時、右小指に力が入り、右母指が薬指を突っ張るようになり、指先の末端がよく働くのである。(二巻、P146)

つまり、

左右の前腕の力も抜けている

とわかります。

前腕は自分から力を入れず、バネのように柔らかければ、腕ではなく、体全体で弓の力を受けて押し開いていると言えます。

神永範士:上腕(二の腕)は静止線で前膊は活躍線であるから、前膊はバネの作用をする(二巻、P132)

ここで前腕に力が入ってしまうと、右拳、右手首に力が入りすぎているのがわかります。すると、矢を引き続けることができなくなり、離す時に拳がぶれます。

前腕(前膊)の力みが抜けて、肘に力が籠もっている状態を肘力と言います。

冨田範士:懸に心を通ぜず、右手肘に力を加えて抱え惜しむのである、ただ抱えると言うも、肘力に惜しむことがなければ緩みとなり、早気となる(三巻、P160)。

左腕に限って言うと

左腕は、左肘の皿が垂直にむく

とわかります。

左腕全体の力みが抜けていれば、左上腕を内側に回すことができ、左肘の皿が垂直に立ちます。

すると、左肩が会の時に浮き上がりにくくなり、楽に弓を押し続けることができます。

高塚範士:打起し・引分けにあたっては、両腕の位置は当然変わるのであるが、前膊の尺骨と橈骨とが上下に重なるように整えた両腕は、射の終わるまで前膊がいずれにもよれたり戻してはならない。(三巻、P171)

教本三巻 P171から引用

では、矢の長さ一杯に引き続けると、どこまでの筋肉に負荷が分散されるでしょう。

大きい引き分けは、腕を通じて、脇腹、腰、お尻、脚の筋肉まで活用して弓を引ける

と高木範士が説明しています。

高木範士:身体については中力の時に述べた角見・左上膊後脚・脊柱・腰・右足の裏と右肘・右上膊後側・脊柱・腰・左足の裏と言う働きと角見・左上膊後側・右肘と言う働きがほとんど平衡状態である(二巻、P139)。

両腕の筋肉に弓の圧力を詰めることを「五部の詰」、また上半身、下半身の筋肉にまで筋肉を詰めることを、「八部の詰」「総部の詰」と言います。

鈴木範士:すなわち、頭の天辺から足の爪先まで、殊に肩と胸と両腕の正しい力の均衡のことで、満身の力が弓と調和し、どの部分にも少しの隙も歪みもない円満平衡の状態のことで、これが身の合一である(三巻、P144)。

此の中で、特に左右の腕の筋肉を最大限伸長させて、関節を締めることを「五部の詰」と言います(冨田範士・三巻P160、高塚範士・三巻P166用語記載)。

さらに、鈴木伊範士は、この「身の合一」をするための具体的な内容を次に書いてあります。

鈴木伊範士:引き取ってきた両拳が、その最終点に到達したとき、なお一層筋肉の伸合いによって堅持する(三巻、P144)。

この文章、矢の長さいっぱい引かないと体現できませんよね。なお一層伸び合うために矢の長さいっぱい引いてください。

そうして、矢の長さいっぱいに引いて、弓の負荷が腕ではなく「体幹部、脚」に分散されているとするならば、

離れる手前で両拳を動かしやすくなります。

つまり、少しの意識で「楽に離れが出せる」ようになります。

祝部範士:引き取った右手は、次の離れにおいて、単に右臂を開くだけで、既に全身射が形成し、しかもそれは放しやすいはずである(三巻、P154)。

引き分けが小さければ、右腕にかかる圧力が大きすぎてしまい、離しにくいとわかります。

こうして、矢の長さいっぱい引き、左右の拳が徐々に締まっていけば。

引き続ける気持ちと伸び続ける筋肉の働きが一致する

ようになります。

宇野範士:修練により体のこなし、技に狂いがないように心懸けねばならない。その出来栄えは「息合」「詰合」の一致によって定まる。(二巻、P131)

神永範士:形と精神がぴったり合致するところである(二巻、P131)

形=伸び続けきった形

精神=伸び続けようと言う気持ち

高木範士:身・弓・意(三業三心)が全き調和の状態になって、静止しているように見えるだけである(二巻、P132)

浦上範士:引かぬ矢束とは、矢束いっぱいに引き満ち、技と気が一致して伸び合い、形の上には見えないが、少しも矢束の緩まないのを言う(二巻、P136)

神永範士:心はジワジワと締まっていき心技一本の感じである。弓の力により気合が射形に会合する。(二巻、P138)

神永範士:会として望ましいのは伸びられる会で、(二巻、P138)

神永範士:弓は形がなく心であり弾力であるから、心の働きがなくてはならない。・・・・・精神気力が射形に会すれば、その瞬間に離れるのであって会すなわち離れである(二巻、P141)。

高木範士:真の矢束を引き得て、全身の働きが気力・骨力を旨として整備され(二巻、P144)。

高木範士:二巻、P145に同様の内容記載

高木範士:心気、骨力は意識しなくても少しでも真の矢束に近くべく、身・弓・的が全く良き調和の状態になれるように努める(二巻、P132)

これらの文章は決してスピリチュアル的なことを言っているのではありません。

極めて実践的に、いっぱい弓を引きましょうと解説しています。

シンプルに、いっぱい弓を引き続ければ、ほかの要素も「続く」からです。

そうして、大きく引くと、腕だけではなく背中にも力がかかります。

つまり、腕の筋力を抑えて弓を引けます。

結果として「筋力を抑えて、骨で押し開きしている」感覚を得られます。

高木範士:筋力を主とせず、専ら骨格の力、すなわち骨力を旨とし、筋力は最小限にとどめて用いることが肝要である(二巻、P134)

冨田範士:持満とは、引き満ちて骨を養うことで、筋力のみで引き伸びることではない。(三巻、P161)

あるいは、関節をはめて、押しているとも表現できます。

松井範士:正に爆発寸前の姿である。従って各部の骨節もその規矩にはまり、完全に一致して動かざること山のごとく、静かなること林の如き(三巻、P148)

そうして、矢の長さいっぱいに引こう引こうと思い続ければ、胸郭も左右に広がり、肺の圧迫も取れるため、

呼吸も整ってくる

ようになります。

宇野範士:「息合い」と「詰め合い」の一致によって定まるもので。

冨田範士:会の充実は、伸び合いと気力の充実で、また息相の充実である。(三巻、P166)

そのように、筋肉を伸ばし続ければ、

左右に筋肉が詰まっていき、背中が伸びる

こともわかります。

脇が詰まることで、肩甲骨が左右に開き、背骨が上下に伸びることを「十文字」に伸び合うと解説しています。

宇野範士:左右の肩甲骨が両方から詰め合うように全力を挙げて十文字に伸び合う。(二巻、P134)

また、「詰合い」と「伸合い」とは切り離すことのできないものであるとわかる(二巻、P135)。

宇野範士:会に置いて胸の中筋を縦の中心として、上下左右に伸びあって(二巻、P135)。

そして、矢の長さ引いて、「脇」を詰めて「背中」を伸ばすことができれば、

矢の長さいっぱいに引き、「腹の力」も使っている

会で息を吐き、肺の中にある空気は外部に出されると、胸郭がすぼみ、下に沈みます。

これにより、上からお腹の内部に圧力がかかり、「腹の力で引く」とも表現されます。

宇野範士:呼吸一つで締まるので、矢束は伸びも縮みもせず、腹力で行うものである。(三巻、P135)

神永範士:下腹に思いを置いて、水中の息で伸びあえば(二巻、P138)

安沢:左・右・丹田の三点を結んだ正三角形の無限延長である(三巻P145)。

安沢範士は三角形の無限延長と解説されていますが、

身体を用いて図で表すとこんな感じですね。

テンションも徐々に上がっていく

ようになりますよね。

高木範士:見たところ何も苦もなく伸び伸びと、しっかりと気高く収まることを念願とすべきで(二巻、P134)

松井範士:心の伸合いは、内に脈々として張る旺盛なる気塊と、充実たる精神力を必要とすると(三巻、P148)。

安沢範士:「武道」、すなわち「弓道」においては対決の方向を外より内部に向け、我自身と対決するのである(三巻、P146)

このように、矢の長さいっぱいに引くときは、引くことに集中するので、

無駄なことを考えている暇はなく、煩悩は消える

ようになりますね。

矢の長さいっぱい引いて、身体を使えば、脳で無駄なことを考えることはありません。

頭の中は「いっぱいに引き、開く」ことだけに集中しています。

だから、無心であり、一つのことを考えているので、「有心」とも言えます。

宇野範士:会から離れに移るとその間に煩悩が起こる。このとき空になって離れれば、その矢勢は強くなんとも言えない(二巻、P131)

宇野範士:気を澄まし心を収め、あらゆる邪念妄想を離れ、虚心にして至誠の心を尽くし(三巻、P149)

古人の言う「初心に帰れ」の誠めの如く、無邪気な心構えでありたい(三巻、P149)。

安沢範士:ここにおいて「的と自己」との対立は解消し、彼我一体、絶対の境地となるのである。この境こそ、深遠解脱の境で(三巻、P146)

このように、煩悩もなく、集中できて、全身の筋肉に刺激が行き渡った状態は、

「体に隙のない姿勢」を構築できている

と言えます。

鈴木伊範士:どの部分にも少しの隙も歪みのない円満状態のことで、これが身の合一なのである。(参巻、P144)

あるいは、此の状態を動かない山と静かな林の状態を合わせもった姿勢とも表現されます。(松井範士、教本三巻、P149記載

このことが、あたかも動かない山のような姿勢を構築することにつながります。

そして、内面は矢の長さいっぱい引くことに集中し、没入している様子は、より深い静かな状況に入っているとも言えます。

大事なのことですので、もう一回念押しで注意しておきますね。

「平衡」「釣合」→力を加減しろと言う意味ではない

なぜか、弓道の世界では、左右の力を平衡をとりましょう。釣合いをとりましょう。と言う文章を読むと、

・力加減をしろ

と言う風に解釈したがります。例えば、松井範士の文章

松井範士:弓手右手をそれぞれの約束にしたがって応分に働かせ、筋骨の釣合いに計ることにある(三巻、148)。

つまり、矢の長さいっぱいに引こうとすると、

・それは引きすぎ、美しくない

と言って、矢束いいっぱいに取らせないようにしたがります。

そうして、手抜きして、体にかかる弓の圧力を調整することを、釣合いが取れていると解説する人もいます。

それは間違った解釈です

上記に記した通り、5人以上の先生が「矢の長さいっぱいに引け」「胸を開け」「背中が締まるくらいに引け」と言っています。

まさか、引き尺を調節する努力を「不断の鍛錬」しろと表現しているわけがないですよね?

安沢範士は弓道の稽古の最高の境地を

安沢範士:なまやさしい空想や気分の身にて到達できるものではない(三巻、P146)

とお話されています。

そんな力を緩める行為に、「修練、鍛錬」とは使いません。力を緩めて、「なまやさしい空想」で到達できる境地に届きそうなイメージもしにくいです。

ちなみに、松井範士はこの文章の手前で

松井範士:心の伸合いは、内に脈々として張る旺盛なる気魂と充実したる精神力を必要とする。(三巻、P148)

上記のように「充実したる精神力を必要とする」と書いてあります。

だから、力加減をして、バランスをとれ、釣合いをとりなさいとも松井範士は話しておりません。

そもそも、「力加減を調整すること自体が無理」です。

力加減すると言うことは、もっと伸ばせる筋肉を途中で余力を残し、緩めている行為です。

その緩んでいる筋肉に弓の反動が集中しやすいです。引き分け小さくしようとして、腕のひっぱる力をなくしたら、腕の筋肉は緩みます。

でも、弓の圧力が腕に集中してしまうことは先ほどのイラストと図で解説しました。

祝部範士:会に入って弛まずに保っていることは、弓が引き戻す力を持っている以上、自分には無意識の間に一、二、四、八と倍加する力が払われているに相違ないから、それを意義づける意味からも、締め伸びを加えよと言う(三巻、P164)。

筋肉に余力を残して会を持つと確かに綺麗な格好で弓を引けます。

しかし、そのようなことを繰り返してもあなたの身体は全く強化されず、あなたにとって、「心を鍛える経験」はできません。

つまり、上記にした平衡と言う言葉を受けて

「平衡にする」「釣り合いを整える」こと自体を目的にしてはいけません。

矢の長さいっぱいに引き、引き続けて心と体を鍛えて最終的に全身の筋肉を活用しなさいと言う意味です。

すると、あなたが引き続ける気持ちが強くなり、筋肉のつまり続ける力にも上限が出て、その二つの要素、働きが平衡になり、釣合いが取れるのです。

大きく引くことで、深い会が得られる

そうして、自分の身体を最大限に引き続け、より身体の奥底、深部まで筋肉や心を活用できるだけ、「深い会」を構築できます。

祝部範士:浅会党の我等が何より羨ましいのは、深会である。しかし、この深会を作ることに努力を積まなければ、やがては早気になり、廃弓に到着するというに到っては、苦酸もまた甚だしいかなである(三巻、P145)。

祝部範士:会の要則は「深」である。会は深くせよである。

反対に、矢の長さ一杯ひかず、対して筋肉を使わないのを、筋肉を浅い部分しか使われず、心の掘り下げ方も浅いです。これを「浅い会」と言います。

祝部範士:「するするとんの拍子を射覚候が我が第一」とあり「又初心の人に此の心を早く伝え射させ候えば、必ず早気月射術治らず大なり仇になり申す」とある。

・・・・・引き取ってすぐに心に出合わせて放せと言う教えで、これは浅会流である(三巻、P156)

浅い会には二種類あり、「会の時間が短くいっぱい引かない浅い会」と「時間が長い浅い会」の二種類があります。

二つの会は、大きく引くのを止めることで起こります。

会の時間が短く離すと早気になって元に戻せなくなるからダメです。

祝部範士:一ぃ二ぃポンになり、一ぃポンになる。ここまでは中るがが、此の一ぃポン頃から救われぬ早気になり、同時に的中も落ち、完全なる廃弓に到着する(三巻、P157)

だからと言って、軽い弓で余力を残して時間を長くしてもダメです。これでも離れなくなるからです。この症状を「もたれ」と言います。

祝部範士:ただわけもなく十五、六秒も保っているので、その心情を尋ねたら、その秒数をかけなければ、発射心が起こらないと言うのだ。(三巻、P155)

祝部範士:深会精神を遵奉して、果ては20秒も30秒も持つ人もあるが、それは第一には弓が弱すぎると見るべきである。(三巻、P158)

宇野範士:会に置いて、ただ時間的に待つことは、意味が無い。(二巻、P135)

浦上範士:二巻、P137記載の「ただ矢束」と同じ意味。

このように、矢の長さいっぱいに引かないことは、浅い会に陥る可能性が高く、早気になったり、もたれになる可能性があります。

だから、矢の長さいっぱいに引き、筋肉も精神も深く使う「深会」を構築するよう努めましょう。

会における時間は長さではなく、深さが大切

ただ、「会の秒数は関係ない、しっかり整っていれば、時間が短くても問題ない」と説明する人も中にはいます。

これは、矢の長さいっぱいに引き、深部の筋肉、神経まで活用して全力で引いたのであれば、秒数が短くても良いと言う意味です。

形が整っていれば、会が短くても良いと言う意味ではありません。

神永範士:射は因縁果の関係において、一貫しているのであるから・・・・早い因縁で入った者は、早く離れる場合もある。会が2、3秒で離れても規矩の完備したものである。

神永範士:どこまでも精神的に掘り下げることが大切で、・・・・弓を鏡にして正邪を正直に受け入れ。自粛自戒し、己が心を磨くことを念願とする精神活動を修める修養と言うのである。(二巻、P141−142)。

神永範士は此の文章の手前で「精神力を十二分に発揮して」と記載しています。

この文章を見ただけで、「会で秒数は関係ない、形さえ整えれば」と言う結論になるのは間違っています。

さらに、祝部範士も短い会の方が合理性があることを解いていますが、それは「強い弓」を引く前提で解説しています。

祝部範士:深会を好まなかったようである。・・・・・現時より遥かに、強弓を用いていた時代のことで、持てば持ち腐らすことを恐れて5、6秒も持てば、それはすでに長会者として指折られていた(三巻、P156)。

だから、13ー15kg程度の軽い弓で、形さえ整っていれば、会を長く持つ必要がないという意味ではありません。

それらを主張をされている文章は皆「矢の長さ一杯引くこと」「強弓を引くこと」を前提にして解説しています。

ここまでまとめてと言いたいことは。

釣り合い、平衡とか聞こえの良い言葉だけ取り上げて引き尺を加減するのはやめろ

そんなことを行ったとことで正しい引き方がわかるわけがない

意識的に矢の長さいっぱい引け、深く引け、どこまでも引け

と言うことです。

弓道の稽古では、「深い会」を徹底して稽古してください。

祝部範士:会を深めさせられることによって、慌て者に落ち付きが出来ると言うことは間違いなきことだろうから、三巻、P155)

深い会を具体的に身に着ける方法

次に、深い会を実現する方法について解説していきます。

1.全身の力みはとるようにしましょう。

筋肉を脱力しなければ、筋力に頼らないで押す事はできません。

これまで話した姿勢や腕の使い方を意識して、脱力姿勢を意識しましょう。

松井範士:はじめより、体勢を堅く作り上げると、会に入る場合躰に凝りが残って、どうしても完全な伸合いができなくなり、したがって気息もこれに伴わず、体と気合いが別々になって、その結果早気となり「モタレ」ともなるのである

2. 時間は最低6秒程度持つようにしましょう。

会を持つための時間は、概ね6−7秒を目安として始めると良いと思います。

高木範士:余り長い時間持つと疲労をきたし、能率は低下する。普通の人では、長くとも5−6秒位までかと思われる(二巻、P144)。

ある程度、時間をかけて会を持った方が良い理由は、最終的に意識せずとも矢の長さ引けるようにしたいからです。

人間は、意識的に矢の長さいっぱいに引くことを続けると、その動作に慣れて自然に行えるようになります。

意識的に矢の長さいっぱいに引き、身体の各部に刺激を行き渡らせるのを「持満」、意識せずともその行為を行い、全身に刺激を行き渡らせるのを「自満」と言います。

浦上範士:総身に力を満ち渡り、自然に気が熟して離れるのを「自満」と言うのである。・・・・この修練は中々難しいのである。

そこで、この技術に達する工夫として、初心の間は意識的に力を入れ、自分の力で保ち満ち伸びることに努めるべきで、これが「持満」である(二巻、P142)

この「自然に満を満ちる」状態を作ることが、弓道の目標です。

そのために、最初は意識的に矢の長さいっぱいに引くようにしましょう。いずれその動作自体に慣れて、無意識にでも矢の長さいっぱい引けるように努めていきましょう。

会の時間を長くした方がいいもう一つの理由が「筋力を使わずに押す」感覚を養うためです。

人間は、慣れない動作を行う時はまず「筋肉」に力が入ります。しかし、何回も繰り返して矢の長さいっぱい引くうちに筋肉を力ませずに弓を引けるようになります。

そうして、上記でお話した「身体全体を使う感覚」「腕ではなく、腕の付け根で押す感覚」「筋肉ではなく、骨で支える感覚で押す」と言った楽に引くために必要な感覚を得られるのです。

短い会で離していると、筋力に頼った会から脱却できません。

意識的に会を長く保つことで、力の抜き方がわかるようになります。

「筋力に頼らず、骨で押せる会」の感覚を得るために、意識的に長い会を保ってください。

冨田範士:気力が満たず骨法が整わないうちに離れるのは早気であって浅いのではない(三巻、P160)

冨田範士:技と気力が満ちる機を逃しては至芸は生じない。(三巻、P160)。

冨田範士:持満とは引き満ちて骨を養うことで、筋力伸みで引きのびることではない。その意味において、持満も抱えも同じ内容である(三巻、P160)。

3.最初は的中を捨てて、引き続けることを目標にする

最初は中々的中しないかもしれません。しかし、これから長年弓道を続けていくと考えるのなら、意識的に身体を負荷をかけることを意識した方が良いです。

祝部範士:後年用の無用の時間を持加えたのでは、恐らく一時は的中も減るだろうが、やむをえまい。

生涯射続けという見地からは、それが正しい道法である。(三巻、P157)

4.弱い弓を使わないようにする

次に、弱い弓を使わないようにしてください。

弱い弓で矢の長さいっぱいに引いても、筋肉が伸びすぎてしまって身体全体を使う感覚を得られないからです。

会では詰合と伸合の現象を起こさないといけません。

そのためには多くの弓の圧力を筋肉に詰め、関節を開かないといけません。

最初から弱い弓を用いても、筋肉は詰まらず、伸びてしまいます。筋肉は伸びすぎてしまったら、「詰め」がありません。当然ですが、身体全体の筋肉を活用できず、楽に大きく引く感覚は養われません。

松井範士:詰合いに弓手右手を伸ばしすぎると、各部の関節が伸びきって、離れに弾みがつかず、遂には離れの機会を失って。(三巻、P165)

と記されていますので、筋肉が伸びすぎないように、「少し強めな弓」を選択するようにしてください。

強めの弓で、引き切った後でもさらに筋肉を伸ばそうと意識すると、適切な会の状態を作れます。

鈴木伊範士:真の会は、それから八方に伸合い詰合ううちに生ずるものであって、(三巻、P161)

神永範士:会として望ましいのは、伸びられる会で、これは弓に勝つが、望ましくないのは縮む会(二巻、P138)

松井範士:活気のない乏しい気の抜けた自慢の射は、案山子に等しいものと言わざるをえない(三巻:P159)

ここまでの内容を理解し、矢の長さいっぱいに引き、「息合いが整う」「五部の詰」ができる、「横に詰め合い、縦に伸び合う」など同時にできるとわかって、

次のような文章がスラスラ読めます。

冨田範士:会の充実は伸合いと気力の充実で、また息相の充実である。骨法五部(手の内の剛弱・肘力・両肩及び胸)の詰よく整い、更に縦横十文字の規矩の伸合い窮極に達し、息相も平息にて満ち合うた時、この二つが和合刹那の状態である(三巻、P166)。

高塚範士:射は筋骨が主体であって、弓は従である。弓矢に気をとらわれて筋骨の正調を忘れてはならぬ(三巻、P172)。

いかがですが?何も知識がなければ、ほとんど内容が理解できないと思います。

しかし、矢の長さいっぱいに引けば、この文章の具体的な意味がわかるのではないでしょうか?

では、ここまで読んでまだわからないものに対して詳しく解説していきます。

・浦上範士の弓の引き方の活用法

・狙いの正しい実践の仕方

について解説していきます。

どうしても矢の長さいっぱいに引けなければ、浦上範士の弓の引き方を実践する

ここまでの文章を読んで、矢の長さいっぱいに引き続けることが大切であるとわかりますが、中には、

そうと思っても中々いっぱいに引けない

と思う人もいるかもしれません。

その場合、浦上範士の文章の弓の引き方を実践ください。

教本二巻P136−137 浦上範士の引き方まとめ

・弓をやや伏せ気味にする

・右手を内側にひねる

・右肘が押し手に対して拳一個程度下に下がったくらいにする

そうすると、次のような結果が得られます。

・両側の手が内側にひねられるため、両腕の動きに制限がかかり、引ける矢尺の幅が決まる

・矢束いっぱいに引くと、強く緊張感が出て動きが止まる

・油断したり、引き続ける気力がないと元に戻る

多分、これまで教本の説明を聞いていると、違和感を感じる人もいると思います。

なぜなら、浦上範士の解説されている内容は、これまで解説される引き方と真逆の内容だからです。

矢の長さいっぱいに引きたいのに、両腕の可動域に制限をかけてもいいの?と思いたいかもしれません。

しかし、この浦上範士の手法は古くの文献を見ると、一部合理性のある内容です。初心者で矢の長さが引けない人にとっては、この手法を使うのが一つの手です。

この方法は尾州竹林弓術書の懸のうち、「一文字の懸」の引き方と非常に似ているからです。

尾州竹林弓術書では、適切に弓を引けるようにするために、取懸けの使い方に五段階あると解説しています。

(注意:尾州竹林流では、この弽を「場合分け」と説明していますが、その他竹林派を習った先生の記述(本多利実氏)を見ると、懸に「段階がある」と解説しているのが合理的であるとわかっています。)

その中で、初回の段階が「一文字の懸」と呼ばれます。

古くの文章を読まれている方は、一文字の懸けを三つ弽の手法と同じと気づいたかもしれません。

その通りで、一文字は右手首を少し捻って、親指を地面と並行に向ける取り懸けです。

この手法を使うと、人差し指、中指、親指の三つの指に力を入れやすくなります。したがって、右拳自体に力が込めやすくなるため、矢束いっぱいに取る感覚をえることができます。

両拳を内側にひねると、両腕を伸ばせる幅に制限にかかるのが容易に想像できます。

だから浦上範士は、意識的に可動域に制限がかかって、その動かせる範囲で、目一杯矢尺をとった状態を「持満」、自然にその矢尺をとった状態を「自満」と言っております。

更に、いっぱい引ける矢尺を設定しているため、呼吸をする長さも容易に決められます(二巻、P143に具体的な呼吸の時間が指定されています)。

つまり、浦上範士の会での両手の動かし方は、両腕の可動域にかかっていたとしても、矢の長さいっぱい引いた時の感覚を得ることができます。

しかし、これはあくまで矢の長さいっぱい引けない初心者に対する方法です。

この手法で「胸が開く感覚」や「徐々に両拳が締まる感覚」や「骨で押している感覚」を得るのは難しいです。より大きく引こうと思っても、両腕の可動域に制限がかかっているからです。

最終的には、右手首を意識的に捻り、両腕の可動域を制限をかけなくても、矢の長さいっぱい引いた感覚を得られるように深く弓を引いていく必要があります。

と言うよりも、そのような制限をかける必要がありません。もっと矢の長さを引き、「骨力を養う」とか「気力を充実させる」のであれば、両腕をさらに動かして、更に引いていく必要があります。

そのため、次はより胸を開くために、取り懸けの手法を一文字の右手首をひねるのを控えて、どんどん引く方向に考え方をシフトしていきましょう。

次に狙いですが、

狙いは固定しすぎないようにする

このことだけ頭に入れておきましょう。

会における狙いは、固定しない方が良いです。理由を解説します。

姿勢がぶれていたり、最後の離れる動作が均等に行われなければ、いくら狙いがあっていても、的中しないからです。

佐々木範士:まっすぐ飛ばせるための力の働きは如何と言いますと、図のごとく、左手と右手は力学的に言って円運動をなしています。

左右の力が均等に働いている間っは、まっすぐに保たれていますが、その平衡が崩れると、矢の方向はたちまち変わってしまいます。(三巻、P163)

佐々木範士:左右の拳の力が均等に離れた時には、矢はついている方向に向かって飛んでいくのが自然の理です(三巻、P174)

円運動と表現されていますがこの文章の最後に

佐々木範士:まず、人体の皮肉を取り去った骨格を考えてみます。そうして、各関節ががっぷりハマるところから始めて、あらゆる骨を一分の隙のないように組み立てて

と記されています。

そのために、「矢の長さいっぱい引いた」射型を作り上げましょう。

その上で、狙い目を合わせるようにしてください。

いっぱい引けていない状態で、狙い目を合わせたとしても、胴造と離れに影響が出てしまい、狙い目を合わせる行為が意味がなくなってしまいます。

ここからは、あなたが矢の長さいっぱい引けた状態を前提として、解説します。狙い目は、

・的の左側を的の中心に合わせた状態

を基準としています。

祝部範士:図示したように、左手のきめで、弓体が捻られていて的に正面しておらず、離れる時の矢の筈口と、矢が摺って行く弓の右端とは、的からの直線上に並んでいる。ここで離れるから、この矢は離れに当たって手の内の工作などせずとも直進する(三巻、P177

冨田範士:高さは弓の矢摺り藤の藤頭が口割と同じ高さであり、地上に垂直である・・・・・・第二に、正しい物見において、右眼より弓を視れば、弓の左側の線が的を中心より縦に半切する位置にあることが大体標準である。(三巻P180)

千葉範士:狙いは人によって大分違う。的は弓の左側で割るのが原則である(三巻、P146)

それは、会の時に弓の右端の面が斜め前に向いていても、離れたあとの、弓の右端が真っ直ぐに向き、そこで矢が真っ直ぐに放たれるからと解説されています。

が、この内容に、正確性があるか、微妙です。

この内容が、何センチの的に何センチのところから当てた考え方かが不明だからです。

一応、感覚的な情報であると、「尺二寸の的、28メートルの距離」であれば、上記の図のように合わせた状態になります。

祝部範士:十五間(約28メートル)の距離から視れば、中指の頭の大きさ位に見えて、弓体の中に二つ並ぶ位に見えるのは、前に図示した通りである。(三巻P178)

となります。しかし、自分の矢の長さいっぱい引けてなかったり、手首に力が入っていたりすると、自分の顔の向き加減、見る場所など微妙に変わってしまいます。

ですので、狙い目の内容は

・やってはいけないことをハッキリさせる

・それ以外の内容は参考程度に見ておく

ようにした方が賢明です。

まず、矢乗りに関して

矢乗りだけ変えても、意味がない

ことがわかります。

祝部範士:肉体的その他の関係で、乗った矢ではどうしても前に出ると言う人に対しては、方便的に矢乗りを狂わせて、的中することを認めねばならない。(三巻P178)

祝部範士:怪しげな作製弓返りなどを行っている人など、必ずと言い得るほど矢は後ろ乗りだ。(三巻P179)

もし、矢が真っ直ぐに飛ばないのであれば、狙い目ではなく、自分の姿勢や引き分けの仕方を変えないといけません。

より、そのことを詳細にほかの先生が解説しています。

1、自分の顔の向き加減で視界が変わる

祝部範士:射体自身が、面持ちを動かし顔を右に戻せば、的は透明に見える弓体の中に顔の動きにつれて入ってくるし、反対に顔を左に向ければ、的は弓体に離れてくる(三巻、P176)

例えば、左目が効き目の人は、本人の感覚として「弓の左半分を的の中心」に合わせても、実際は矢乗りが後ろになっていることが多いです。

2、「狙いをまっすぐに合わせようと」言う気持ちが心の迷いを生み出す

冨田範士:弓道における狙いは心の狙いである。・・・・・的中はまだ発射しない以前に、心中に把握している気構えであるのが本義であるから、ことさら狙いを詮議することは、弓道の外道とされている。(三巻P181)

3、最後の離れでずれてしまったら、やっぱり外れてしまう

高木範士:離れの良否によって異なる。矢の着点によって狙いを云々するのは、本末を転倒したことで正しくない。(二巻、P148)

このようなお話があるため。

矢の長さいっぱい引くことに徹する

のが良いでしょう。ですので、ほかの話は、参考程度に見ておきましょう。

引くことを意識し、「的を見る」のではなく、自分の方に的を「引き寄せる」ようにみよう

宇野範士:的を体に引き寄せる心持ちが大切で、これは体を心に取り戻して、体の中心に気分が収まるように心がけることである(二巻、P146)

少しだけ弓を伏せた状態では、末弭から握りの位置まで四寸開ける

浦上範士:日置流では末弭から糸を下ろして握りのところで四寸開くのを定法としている。

正確な位置を後ろから見てもらい、決める

高木範士:弓の左側から的を視るようにする。弓の手巾と頬に付けた矢と、右側の瞳孔から下した垂線との距離とによって種々度合いが異なるから、後方から第三者に見てもらって狙いを定める参考とするのが良い。

しっかり矢尺を取って口割をつける

鈴木伊範士:極端に言うならば、目をもってうかがう左拳の確かさより、矢尺と口割の正しさに、遥かに中りありと断言し得る程、的中に重大な関係のあるものなのである(三巻、P173)。

右目を主として、弓の左側を的の右側か中心につける

松井範士:弓の狙いは、右の視線を主とし、左を従として的を見定める・・・

この「狙い」の規矩を基準に、弓の左側(藤の辺)を的の右側(的に向かって)に付ける、いわゆる的を丸く見る形と、的の中心へ付ける場合。以上二様の「ねらい」を正則とする。(三巻、P179)

間違った狙いの付け方を学ぶ

松井範士:次のような「ねらい」方は間違っている。

(イ)弓を中心として左右両方同じ視度で弓を挟んでいる場合

(ロ)左を視線を主として的を見るもの

(ハ)篦「ねらい」のもの (三巻、P180)

以上の内容を理解して、とにかく大きく弓を引いていきましょう。

最後に、「離れ」に入ります。

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