会で左右に弓を押し続けるときに、同時に「ねらい目」も定めなければいけません。矢束最大限に引き込んだら、きちんと矢の線を的に合わせるようにして、次の離れ動作につなげる必要があります。
ただ、ねらい目といも、そもそも「狙い目は人によって一様にならない」ことはご存知でしょうか。現実の弓道の世界では、「ねらい目は西半月に弓を合わせる」と説明されています。しかし、このような教えに従っても、矢は真っすぐに飛びません。
しかし、で矢を的に当てるためにねらい目を定めます。ここでは、範士の先生の言葉から、ねらい目を整え方をまとめていきます。
教本2、3巻の解説 手順 適切な会を行うために、「抽象的な表現」を無視する https://rkyudo-riron.com/kyou23_hikikai/kai 安定した会を身に着けるためには「肩周りの筋肉」を活用する https://rkyudo-riron.com/kyou23_hikikai/kai-2 「西半月の位なり」に沿って狙いを定めても矢が真っすぐに飛ばない理由 https://rkyudo-riron.com/kyou23_hikikai/kai-3 *ここの記事を読んでいます |
「半月」と「西半月の位なり」の半月とは関係ない話である
まず、指導者の中には、ねらい目を説明するときに「弓において、ねらい目は右半分隠れるようにする」と解説しています。そして、なぜ右半分が隠れるようにするかというと
西半月の位(左半分が見えるように」に合わせるため
と教えられることがあります。狙いにおいては、「半月」と説明されますがそのときに、「射法訓に西半月の位と記されている、だから的を合わせるときは半月にする」と解説します。
ただ、狙いにおいて使われる「半月」という言葉と「西半月の位」の「半月」はねらい目と関係ないとご理解ください。
まず、西半月の話とは、弓道において理想の射形に近づくための「段階」を解説したものです。したがって、「土体黄色中四角」「水体黒色北円形」「木体青色東円形」「火体赤色南三角」そして、最終的に「金体白色西半月の位」ができます。そのため、これは、「射形」を解説したものです。したがって、無視するようにしてください。
では、西半月の位の「弓の右半分が隠れている状態が適切な狙いかどうか」についてですが、これも適切な狙いとは言えないです。なぜならば、狙いは持っている弓、その人の力量、狙いによって異なるからです。
大切なのは、自分で矢乗りが真っすぐになっているかを判断すること
では、狙いを定めるときに、優先しなければならないのは何でしょうか。正解は「箆が曲がっていないか」です。
まず、足踏みで両足先を的の中心線状に合わせます。次に、引き分けから会に至って矢束一杯に引き込みます。すると、上から見ると矢の線は的の中心線状に一致します。この状態のまま離れれば矢は真っすぐに飛びます。
会に入った際の矢の線を「矢乗り」と表現します。もし、矢の線が的の中心線に対して「前」に向いている場合、矢乗りが前に向いているため、そのまま離れれば前に飛びます。
この矢の線は自分からではわかりません。誰かがその人の背後に立って確認することで、初めて矢の線が真っすぐに揃っているかが判断できます。しかし、本人の目からでは、自分の矢乗りが前なのか後ろなのかはわかりません。そうして、矢乗りが前か後ろかわからない状況の中で、「ねらい目を半月に合わせて」も矢が真っすぐに飛びません。
したがって、最初に会で狙いを修正したければ「ねらい目」を修正するのではなく、「矢乗り」を修正するようにしましょう。そして、矢乗りの修正の仕方は以下のように確認します。
イ、会に至る
ロ、矢束一杯引き込んだと判断したなら「箆から矢先まで見通す」
ハ、矢先から的の線まで見通す
ニ、箆が曲がっていれば「箆押し」になっているため、矢が真っすぐに飛ばない。矢先と的の線状を見て、一致していなければ、それを真っすぐになるように修正する
ホ、ただ、ロ~ハの動作は、会に至って修正することなく一度でそろえれば理想 (射學正宗 「審(見込み)」の項より抜粋)
実際に、弓道教本の引用元から判断すると、上記したようにねらい目を定めます。「ハ」の確認については、「ロ」の動作を確認してから行うようになります。つまり、自分の目で箆、矢先、的まで真っすぐにそろっているかを確認してから離すようにします。それによって、矢が真っすぐに飛ぶのです。
的の右半分が隠れるように弓を動かしても意味がない理由
このように、矢が的方向に飛ぶためには「矢自体が真っ直ぐに向いていること」「その向きが的方向に向いていること」の二つの要素が必要です。たとえ、弓によって的の右半分に隠れるように狙っても二つの要素がかなっているかは別です。したがって、狙い目を「弓の右半分隠れる」ことを意識しすぎないようにしましょう。
さらに、顔の向き加減によっても、的の見え方はかわります。もし、会の最中に物見が浅い場合、右半分隠れて見えていた的が右に移っているように見えてしまいます。反対に、向きすぎてしまう場合(この場合はあまりありませんが)は、見ている的が左方向に移って見えてしまいます。
このような理由により、弓と的の位置を合わせて狙い目をつけるよいう考え方は捨てた方が良いと判断できます。できれば、会に入ってからは、まず右目で「箆」を見ます。その箆がたわんでいないかを確認してから、狙いのことを考えるようにします。
何メートル先の狙いのもので説明した内容かが判断できない
先ほどお話しした「右半分が隠れている状態を基準とする」考え方は弓道教本の考え方から来ています。弓道教本では、「右半分隠れるのがよいとされている」とあえて断定しない表現で記されています。
ただ、この考え方は重要な考え方が抜けています。この本の写真は「何m先を想定して作っているものか?」についての記述がないからです。28メートル先のものを想定して考えられた狙いなのか?遠的を想定した狙いなのか?ここの情報が不確定なため、信頼しきっていい情報なのか不明です。
ちなみに弓道教本よりさらに昔の書籍を見ると、会での狙いは西半月ではなく、「持っている弓の強さと風、距離によって見る場所を変える必要がある」と説明しています。例えば、強い弓を引く場合は的の下縁を見て狙います。なぜなら、強い弓の場合、矢が上に飛びやすいからです。そのため、狙う意識を「下」にすることで、矢を飛ばす方向も下にいくように意識します。
さらに、狙い目はどこを正しい基準とするかは「自分の意志(自分の心覚え)」で判断しなさいとも書いてあります。なぜなら、狙い目はどこが正しい狙いなのかはっきりとしたことをいえないからです。たとえ、15kgの弓を100人の人が使ったとしても、使用している弓の素材や経年劣化の程度によって矢の飛び方がかわります。つまり、狙い目でどの人も共通して真っすぐに飛んでくれる基準は存在しません。そのため、狙い目は「自分の意志」で判断すると記述されています。
このような理由により、狙い目を弓の右半分に合わせることはあまり意味がないと判断できます。
弓返りをしなくても的に中る理由
弓道の世界では、「弓返りをしないと矢が前に飛びやすい」という考え方があります。
あるテレビ放送では、「弓返りをしていないので、あなたの矢はすべて前に飛ぶ」と説明した1シーンがあります。
さらに、大学の研究で、「角見を効かせると矢が真っすぐに飛ぶ」という実験があるのがわかります。離れ動作の際に、弓返りが起こらないと、弦からはずれる途中で矢がたわんでしまって前に飛んでしまうという理屈です。
参考URL→https://youtu.be/ktA1DAUI1kc
ただ、弓返りをした、しないは矢が前に飛ぶか飛ばないかと関係ありません。実際に、弓道の世界では、弓返りはしないけど矢が真っすぐに飛んで「中る」ことがあります。それと反対に、弓返りをしなくても矢が真っ直ぐ飛んでいない経験者もたくさんいます。
このことからわかるとおり、弓返りをしないと矢が真っ直ぐに飛ばないという考えも捨てた方が良いです。
会に入ると、矢と弓が接している点は二つあります。一つは「内竹右側とのの左側」と「弦と筈」の二カ所です。この中で弦と筈の部分がはずれると、矢は飛ぶようにできています。このはずれる瞬間に矢が真っ直ぐに向いていれば、矢は真っ直ぐに飛びます。
もし、筈が弦からはずれたときに、二点が的の中心線上にそろっていなかったとします。この状態では、弓返りしても矢が真っ直ぐに飛びません。なぜなら、矢の向いている向き(矢乗り)が的の中心線上にそろっていないからです。
真っ直ぐに向いているように見えてもだめです。例えば、二点が的の中心線上にそろっているとします。しかし、あなたが右手首をひねって矢自体がのじないを起こしていたとします。すると、矢を放つ瞬間に「矢のたわみ」が戻ることによって、矢が真っ直ぐに飛ばない可能性があります。この場合、矢乗りが真っ直ぐであったとしても、矢は真っ直ぐに飛びません。
初心者が矢が真っ直ぐに飛ばない本当の理由
したがって、矢は真っ直ぐに飛びません。ちなみに、私はこれまで200人以上弓道を初めて1ヶ月程度の方に射の指導をしたことがあります。その中には、「弓返りしなくても矢が真っ直ぐに飛ぶ」人を一定数みました。
そこで、わかっていることは、初心者の矢が前に飛びやすい理由は「弓返りしないから」ではありません。右手首に力が入り、矢自体をねじっているか、後ろ狙いになっており、その影響で矢がねじれているからです。つまり、右手首でひねるか、自分の体構えが後ろに向いているから矢がたわんでいます。
真っ直ぐに飛ばない場合は、弓返りではなく、「右手首」「体構え」を見直してください。これによって、前に飛んでいた矢が素直に真っ直ぐに飛んでくれます。
その他:狙いをキチンと合わせるために誤解したくない内容
さらに、私たちが狙いをキチンと定めるために、誤解してほしくない内容について解説します。弓道の世界では、何となく教えられている内容ですが、解剖学的に見て、「不合理な内容」があります。気をつけてください。
右眼を主として、左眼は従としすぎない
会における狙い目は、「両目で合わせるのではなく、右眼で合わせる」よう指導されることがあります。なぜなら、右目の位置は的の中心線上に近いからです。中には、会の最中に、左目をつむり、「右目だけ」で的の位置を弓に合わせる人もいます。
会のとき的を視るのは右眼を正とし左眼を従とし、弓の左側から的を視るようにする~高木範士~
会の際における狙いとは、右眼をもって弓の左から物を狙い、左眼を併せ用いるのが普通であって~鈴木伊範士~
ただ、このようなことをしてもあまり意味がないので、やらないようにしてください。なぜなら、片目で見ると、物を見るときの軸となる「視軸」はずれたままであるからです。
人背骨を中心とした身体の軸があるように、左右の目にも軸となる「軸」があります。「軸」とは「見やすさ」といってもいいかもしれません。弓道の世界では、「効き目」とも言うことがあります。
例えば、目の前に人差し指を一本たてて見てください。次に前に立てた人差し指を左目だけ、右目だけで見てみてください。すると、指の位置が変わって見えるはずです。これを「視軸」ともいい、見ている景色が網膜上にずれなく通しせているかを指します。
一般的に、左右片目だけで物を見ると、人差し指の位置が1~1本半程度ずれが起こります。しかし、視軸にずれが起こると、指のずれが3~4本程度ずれます。ここまでずれが起こっていると、物の見え方自体に偏りが起こってしまい、眼球運動だけではなく、脳の働きにも影響を与えます。
では、左右片方の目で見ると何が起こるでしょうか。まず、右目だけで的をみたとします。しかし、あなたの視軸が左方向にずれていたとします。すると、真っ直ぐ見ているようで見ていないため、狙い目がきちんと見えていない可能性が出てきます。
あるいは、片目だけでみようとすると肩関節がぶれることもあります。つまり、片目でみて、真っ直ぐに見ているように本人が思っていても、あなた自身の視軸がずれているため、それを身体の他の部分で補正しようとして無駄な動きが出てしまうのです。
このように、片目でみようとしてもて、「狙い目のずれ」が改善されている訳ではありません。見ているものがはっきり見えているように思えても、それは「片目」にして、視覚情報がぶれているからです。体の視軸はぶれたままであり、ひどい場合は片目で見ていると「体軸のぶれ」が起こる可能性があります。
そのため、的はきちんと「両目」で見るようにしましょう。実際に、範士の文章を見ると、弓に的をつけるときに、「的を真ん中で割る」場合と、「的の中心に弓が来る」場合があるとも解説しています。
ねらい目は的を真ん中で割るのが原則であるが、的が弓の中にピタリと入る場合もある~千葉範士~
客観的には、「うしろから誰かに見てもらい、矢乗りが真っ直ぐになっている状態」を覚えるようにします。目安として試してみるようにしましょう。
弓の手巾と頬に着けた矢と右眼の瞳孔から下した垂線との距離とによって種々度合が異なるから、後方から第三者から見てもらってねらい目を定める参考とするのが良い。~高木範士~
会に入った時の矢が的に乗っているかどうかということは、自分には判らない。他の人に右背後から矢筋を見通してもらって、その矢筋が的面内にあるとき、その射者がその弓と的との関係を知ること、それがその人のねらいである~祝部範士~
あまり的にとらわれず、ぼんやりと眺める
次に、狙い目に関して「的の半分を割るようにする」などと記していますが、できる限り弓の位置を的に合わせることを意識しすぎないようにしましょう。このように、的と弓の位置関係を気にするほど、「弓を引く」ことではなく、「狙い目を合わせること」に気持ちがいきがちです。
このような気持ちにならないように、会に入ったら「的をぼんやりと眺めるよう」にします。会に入ったら、少し目を薄目で見るようにし、弓の右側に的を合わせるようにしないでください。
的をぼんやりと眺めるようにすると、体の緊張が抜けて的を見ることができます。体によけいな力みがでている状態で的を見ても、いざ放つときに拳か肩関節に「ぶれ」が生じて矢が真っ直ぐに飛ばなくなります。
つまり、せっかく狙いを合わせることを頑張っても努力が無駄になってしまうのです。従って、狙い目を合わせる前に、「よけいな力みをかけず」「肩関節がぶれないようにして矢を放つ」ことを先に行って矢を放つようにしてください。そのような状態で射が行えるようになり、最後に静かに狙いが「合っている」状態になっているのが大切となります。
手許(左拳)を通して的を見るようにすれば、的が手許へ出る。的を体に引き寄せる心持が大切で、これは体に心を取り戻して、体の中心に気分が収まるように心がけることである~宇野範士~
眼法は温顔で、静かな柔和な慈眼でありたい。慈眼で的を視れば、能くその的心を捕えることができる。徒らに眼瞼を大に開き、怒眼をもってしては、視力疲労し、体もまた凝りて固く、正鵠を失することは必然である~富田範士~
以上の内容をまとめます。
・的の右半分が隠れるように狙い目を合わせても矢が真っ直ぐ飛ぶわけではない
・的の右半分が隠れるように狙い目を合わせても「視軸」がずれていると、ずれを補正するために、肩関節がぶれることがある
・的の右半分に合わせようとして「弓を動かすこと」に意識が行きすぎると、無駄な緊張が身体に起こってしまい、矢を放つときに「拳のぶれ」「肩関節のぶれ」が起こり、矢が真っ直ぐに飛ばなくなる
いかがでしょうか。これでも、狙い目を「的の右半分」が隠れるように狙いを合わせるでしょうか。少なくとも、これらのリスクを考慮すると、「狙い目を合わせる」ことにあまり意味がないとわかります。目の仕組みや文献を見ると、「的を半月に合わせる」という内容は、実践では使いづらいことがわかります。
それよりも、狙い目を気にせずに大きく引けるようにしてください。大きく引くことになれてきた後に、「最後に矢乗り」を修正するくらいであれば、差し障りがありません。しかし、両拳だけを動かして、矢乗りだけ真っ直ぐに整えても、矢が真っ直ぐ飛ぶわけではないとご理解ください。