日置流のいきつく円熟の射とは

日置流では、足踏み~残心の八節の動きを学び、稽古を続けて、そのうちに行き着く「円熟の射」と呼ばれる射の理想があります。

いかに円熟の射を身につくための考え方をまとめていきます、日置流の射法の考え方はすべて「戦場のころの活人弓」からきています。これらの考え方は現代弓道で実力の向上に活きる考え方です。

ここでは日置流の円熟の射について解説していきます。

 八節の動作は途切れなく行う。
足踏みから離れまで当流の射法に従って、間合い拍子は早からず、遅からず、各動作行います。継ぎ目は円相を継ぎ目と考え、あたかも水の流れるように継ぎ目のみえないように離れまで行います。

日置流では胴づくり、弓構え、詰合から延び合い、やごろ、離れまでなど、いたずらに長い時間をかけることを嫌います。

これは、戦場での弓においては、動作をゆったり行い、心を整える余裕、時間、もしくはそういったことを考える「意味」がなかったからでしょう。

いつまでも次の動作に移らない理由は精神が落ち着いてい、平素の不鍛錬からきていると考えられています。なので日置流の射法には精神的な考えの記述が少ないです。

 早く射込み、早く中てる
日置流では的中=戦場で、狙った相手を射こむと考えられ、的中の考えは重視されており、これも他流にない、射の特徴です。

早く射こみ、早く当てたものの勝利であって、その矢の強さは兜を射抜き、射術整え、延合い十分の射を行います。

そうすればいかに早く射ても延び合いもやごろに至り発すれば甲も兜もたまらぬほどの矢を射ださなければいけません。これは単純に「会を短くして的中すればOK」という考えとは違うと思ってください。

日置流では、会が長い=やごろにいつまでも達しない角見の弱い延び合いと考えます。つまり、会が長いということはそれだけ角見の効かない弱い射であることを指します。

日置流では「やごろ」つまり、伸び合いの最大限の伸びを求めます。この伸びがあってこそ、角見が効き、矢勢も矢の強さも増します。

会が早いということはこのやごろに達していないことを指します。日置流では早く当てるとは「早くやごろに達して相手にやられないうちに早く強い矢で相手を射抜く」と考えています。
 
生死の間で得られる境地を弓術で生み出す
心の準備をすることがない、早く射こみ、的中に価値を見出す。これらの考えは何のためのものでしょうか?

これは、古来、戦場で使われていたときの弓の時代の感覚に近づけるためです。

人は生死の境、生きるか死ぬかの極限状態のときでしか得られない感性、感覚があります。殺人弓、活人弓として、生死の間でこそ、直面しえる絶対境地の感覚です。

それははずせば死であり、敗北というくらい射術の精神が緊迫したものであり、極限のようなものです。この感覚に出会い、稽古で感じることが日置流の射術の総まとめになりうるでしょう。これは、世の中が変わり、幾多の変遷を経た今日の現代弓とは精神的に距離を感じさせられるところです。

以上の内容を理解し、日置流の円熟の射を理解することができます。

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