小笠原流れにおいては「澄(すまし)」ということを大切に教えます。これは、礼儀作法、動き、八節中の心の持ち方、全てに通じて、使える考え方です。
「澄」は水の澄むのにかたどった教えで、かきまわした水がだんだんと平静になる気持ちを言ったもので、動く心をじっと鎮める意味です。
そして、澄ましの教えは、「四十七か所の澄まし」「総体のすまし」「三つの澄まし」などの教えがあります。
「四十七か所の澄まし」の条には足元、くるぶし以下四十七か所を上げてその澄ましを解いています。しかし、あまりに多くて実行しずらいので、ここでは「三つの澄まし」について説明します。
・初めの澄まし
これは、「引く前の澄まし」ということで、弓を引こうと思ったときから心を静かに澄まし、弓矢をとって澄まし、場に出て澄ます、ということです。
礼儀作法を乱さぬこと、七情の犯すを防いで、心の盲動を押さえる、これらが「初の澄」です。
控えどころであぐらをかいて、お菓子をほおばって、大声で話して、呼ばれて弓矢をつかんで場を出るようなことでは「初の澄まし」はできないのです。
・中の澄まし
射席に出てより足踏み以下順を追って正しく行い、打ち上げ、引き取り法にたがわず、しっかり引き取って「保」に入り、ずっとしまって、その間色なきを言います。
「中の澄まし」の肝要は保ちの間にありますが、この澄ましを完全なものにするためには出場のときから注意しないといけません。
・後の澄まし
離れた後の澄ましを言います。離れ、弓倒しの間は余念なく、崇高であり、さたに射崩して射席を退り、控え所に戻り、弽をとくまで、次の「初の澄まし」を続けることです。
この「三つの澄まし」の中に数え立てなくても四十七の澄ましが自らふくまれるのです。