弓道の世界で、的中に関わると言われる要素として「手の内」があります。多くの人は「どのように手の内を整えればいいのかわからない」と悩みます。
そこで、古来の弓道の書籍の文章を見ると、手の内において考えなければいけないも含め、手の内の考え方について解説していきます。
キーワードとなる「形にはとらわれない」
手の内の「形」にはとらわれない手の内に関する記述は古来の弓道の書籍を眺めると、多くの説明があります。
尾州竹林では手の内の形には5種類あると説明しています。弓道教本が影響を受けたと考えられる射学正宗には2種類教本二巻に登場する浦上範士の日置流に「紅葉重ねの手の内」など、その他にも、様々な記述があります。
ただ、そうした中でこうした射法の説明をされた方の手の内の説明を見ると、特に強調している文章があります。
それは、「手の内の形にとらわれてはいけない」と解説していることです。
例えば、上記に述べた手の内の例の一つとして「鵜の首」の手の内と呼ばれるものがあります。
この手の内は弓を押すときに、少し掌の上部を押しかけるように力を加えることを説明しています。
そのため、昔の弓道の方はこの手の内に関し、「会に入って弓を押すときに(親指)が下に向き、その形が鵜が水の中にいる魚を取りに首を伸ばした形」と似ているとも説明しています。
ただ、こういった形で手の内を説明しようとすると、聞き手は弓を引くときに「親指を下に向ける」ことを意識しすぎてしまいます。
すると、親指に「余計な力み」が入ってしまいます。
戦後30kgの弓を用いて型物射ぬきを実演した吉田能安の書籍を見ると、鵜の首の手の内といって形にとらわれるのはいけないと示唆される文章があります。
明治時代の弓の達人である梅地見鸞氏の射法の説明を見ると、「手の内には的中における「原因」も「結果」も存在しない」と解説しています。
このような、文章や説明を見る限り、手の内ではあまり余計な形にとらわれず、軽く握って大きく引くことに専念することが大切です。
それによって、余計な力みなく「最大限の力で大きく引き」離れ動作に集中することができます。
実際、私自身が弓を指導するときも、多くの人に手の内で余計な力を抜いてあげることで、「弓が返るようになった」「各段に引きやすくなった」「左肩の力みがぬけた」という報告を受けるようになりました。
自身で25kg以上の弓を引くときも、このように左手の形にとらわれすぎてしまい、弓の反発力に負けて弓が引けなくなってしまうことも体感しています。
手の内の最上の理想とは
では、なぜこのように手の内ではあまり形にとらわれすぎると良くないことが示唆できるでしょうか?
それは、あらゆる古来の弓道の書籍に手の内の最大の理想が記されているからです。
それは「呼立(ああたったり)」という手の内です。
この手の内は、弓の押し動作において、どこにも力がかかっておらず、また心に余計なとらわれのない「手の内」であると説明しています。
さらに、この手の内に加えてどこにもとらわれのない「鸚鵡の離れ(おうむのはなれ)」の二種類を実現することが弓の最大の目標であると書籍(古くの尾州竹林の射法説明)に記されています。
そして、それらの弓道書を眺めると、とらわれをなくすために必要なこととして、「左手の形を決める」以外に数多くあります。
そのため、手の内のイメージでは「最低限の形だけを作ってそれ以上に力みを入れない」ことが大切となります。
もしも、手の内に力が入るようでしたら、意識的で良いので「軽く握る」ように意識し、弓と皮膚が少しだけついて「触れる」感覚を保つようにすることが大切です。つまり、手の内には種々の説明がありますが、あまり形にこだわないことが重要となります。