弓道連盟の体配では、基本動作の七要諦があります。
・生気体で行うようにする、死気体ではない
・動作において、常に胴づくりを意識して行う
・動作では目づかいに気をつけて行う
・動作の起点は腰から始める
・動作には、間合いを意識して行う
・動作には必ず残心を意識する
・起居進退を大切にする、その場に応じて、間合いや速度を合わせるようにする
・はじめのうちは大きく行うようにして、習熟するに従い、スラスラ行えるようにする
この内容は、昇段審査の試験にも出た時代もありました。しかし、どの文章の内容も、一つ一つ覚えるのが大変と思います。さらに、高段者の先生に、この七つがある理由を聞いても、正確に説明できる人は少ないです。
ただ、先ほどお話しした「踵に体重を乗せると、体配動作がやりやすくなる」ことを頭におけば、全ての内容を理解できるようになります。
踵に体重を乗せることによるメリット
別記事で書いた「踵に体重を乗せると。体配動作がやりやすくなる」のメリットについてもう一度おさらいします。
・立つ、しゃがむ、歩く動作が全てしやすくなる
・すり足動作がしやすくなる
・深呼吸がしやすくなる
・視界が広がり、隣の人の動作と合わせやすくなる
この4つの内容を理解すれば、7つの要諦を全て理解できます。
踵を踏めば、生気体となる
まず、踵を踏むと深呼吸がしやすいと解説しました。このことから「踵を踏めば、生気体」で行いやすくなることがわかります。
弓道教本には、生気体、死気体の説明は
生気体・・・呼吸を意識して動作を行っている状態
死気体・・・形だけにとらわれた動作
と記されています。ただ、古くの弓道家の言葉を借りるとそうではなく、「生気体」は腹圧のかかった姿勢と解釈できます。
全日本弓道連盟の発足当時に活動に貢献した阿波研造の「霊箭」には、「腹で呼吸できている状態が「生」、肩で呼吸しているのが「死」」と解釈しています。この内容から、生気と死気の基準は呼吸であり、意識する場所によって分けています。ちなみに、他武道の書籍においても、生気体という言葉は腹圧のかかった姿勢と解釈されます。
このことから、生気体はこのように解釈されます。
イ、腹圧のかかった姿勢をとる
ロ、結果として「吸う・吐く」動作が自然と起こる
ハ、その自然な呼吸に「動く、止める」動きを合わせていく
このように、腹圧をかけて「自然と呼吸できる姿勢」を作り、その呼吸に合わせた状態を「生気体」と解釈されます。
そのため、生気体の解釈は、「呼吸を行い、腹圧を維持して動作できる体」と解釈します。つま先に体重を乗せると、背筋が張って呼吸が胸式になるため適していません。踵に体重を乗せると、背筋がゆるんで、腹圧がかかりやすくなり、生気体を構築できます。
呼吸を意識すると逆に生気体からはずれる
正確に言うと、連盟の解説される「呼吸を意識する」ようにすると、かえって生気体で動作できないことがわかります。理由は、呼吸は「自然と」なり、それに合わせるのが生気体であって、自分から呼吸をすることは不自然だからです。
むしろ、自分から意識して呼吸しようとすると、鎖骨周りの筋肉、肋骨周りにある呼吸が働きすぎてしまい、凝りが発生します。おそらく、「腹」ではなく「胸」あたりに意識が行って呼吸しがちになります。したがって、腹圧のかかった姿勢が取れないために生気体になりえません。
連盟の指導で使われる「呼吸に合わせて動作しよう」という内容を真に受けると、呼吸以外の動作がおろそかになってしまい、体配がぎこちなくなる可能性があります。呼吸は腹圧がかかると自然に起こります。それに体に合わせていく、そのように考えれば、生気体の意味を理解できるはずです。
踵を踏めば、胴造りを意識できる
踵を踏んで、腹圧をかければ、姿勢は上方に伸ばされたまま意識できます。反対につま先に体重をかければ、背筋が張って骨盤が前傾するために、姿勢が上方に伸ばされません。したがって、胴造りが意識できません。
つまり、胴造りを意識するためにも「踵を踏む」ことが必要となります。
踵を踏んで、つま先を浮かせると、腰から動作ができる
実際に、踵を踏むようにすると、脚ではなく腰から動けるようになります。
立っているときは、足と腰の重心点が地面に対して垂直にそろっています。そこで、踵を踏むと、足の重心点が後ろに移るために、体全体が前方に倒れるように動きます。これによって、腰が動きます。しかし、拇指球に体重をかけると、むしろ体にブレーキがかかってしまい、次のすり足動作に移りづらくなります。
踵を踏むと、呼吸に合わせて動作がしやすくなります
上記の生気体のように、踵に体重を乗せると、腹圧を維持しやすいため、呼吸に合わせて動作がしやすいです。反対に、つま先に体重をかけると、呼吸がしずらくなります。
踵を踏んでつま先を浮かせると、周りとの間合いをスムーズに空けられる
踵を踏むと、ふくらはぎの筋肉がゆるみます。このため、脚の動きの緩急をつけやすくなるため、動作のスピード調節もしやすくなります。
審査では方向転換するとき、しゃがむとき、立ち上がるとき、動作に「段をつけない」ように求められます。立ち上がるときに、腰がグラグラしたり、どっこいしょっと立ち上がると、動作が連続せず、間が続いていない(間が抜けている)状態になっています。きちんと、座り動作から立ち上がる動作まで、二つの動作の間を入れながらも動作が続いていなければいけません。
これらの動作は踵を踏むことで容易に行えます。周りに合わせながらゆっくり歩き、動作を合わせて、動作と動作の間を入れながら連続して行う。これらの内容は「踵」を踏むと行いやすくなるのがわかります。
踵を踏むと、残心を維持できます
次に、残心です。連盟の指導者の中には、「残心」の解釈を間違えている人がいるため、きちんと言葉を整理します。おそらく、連盟の体配指導における残心は
・動作一つ一つに余韻を残す、そのため一つ一つの動作をきちっと止めて、「残身」を作るべき
と解説されるでしょう。これは残心の解釈が間違えております。他の武道における残心とを比較すると、残心は「常に〇〇をし続ける心を残す」で解釈されます。
従って、一つ一つぴたっと止まっているから残心ができているというわけではありません。正確には、歩いているとき、止まっているとき、腰を切っているときに、常に一つの事を意識し続けることを忘れないことを指します。見た目の形がキビキビできているかではなく、どのような動作のときであっても自分の意識が途切れていない、つまりその心が残っている(残心)と考えるのが自然です。
先ほどお話ししたように、踵に体重を乗せると、腹圧をかけた姿勢を取りやすくなり、常に背筋を伸ばし続けて動作ができます。踵を踏むことで、腰から動かそうとせずとも、体全体を前方に移動できます。つまり、残心は動作中に常に「自分の姿勢や心の状態が変化や起伏が出ないように維持する」気持ちを残すと解釈するのが正確です。
その理由は、本当の体配動作は一つ一つ内臓や筋肉に無駄な負担がかからず、動作していくにつれて気持ちやメンタルが鎮まるように組まれているからです。(参考文献「小笠原流歩射 基本姿勢における記述」より)。
であるならば、腹圧をかけて常に身体と心を伸び伸びした状態を維持できる姿勢や動きによって「残心」ができると評価できます。むしろ、一つ一つの動作をかっちり行おうとすると、その意識にとらわれて、自分の姿勢が曲がっていたり、力が入っていたりすることに気づきにくくなります。それは、残心の本来の意味からすると矛盾していると言えます。
そのため、残身は踵を踏むことで、作られると解釈できます。
いかがでしょうか?このように踵を踏むことを意識すれば、全ての動作が関連して覚えられると思います。反対に、一つ一つの動作や言葉を暗記しようとしないでください。おそらく、なんとなくゆっくり行っているだけで、体配のことを深く研究されているとはいえないでしょう。
全ての動きを体の仕組みから学ぶようにすると、体配でやるべきことが明確になります。