弓を上達させる方法:様々な流派の射法を勉強する

現在、弓道人口は年々増加し、将来、高齢化社会が進む中、幅広い年代の人ができる武道として弓道は注目されています。

今後、弓道の人口が増え、昇段試験や射会に出場する方が増えると、個人個人の上達する方法、指導者なら知らない人に教えていく機会がこれから増加していきます。

弓を上手くなるにはどうすればよいのか?と質問すると、多くの指導者は「とにかく稽古をする」とこたえると思います。では、弓道はただ、教本の内容に従い、稽古をしていれば、本当に上達、レベル向上につながっていくでしょうか。

答えはNoです。おそらく、あなたが教本の内容を取り込んだとしても、弓道の実力の向上は見込めません。時間がたつに連れて、実力が低下する可能性があります。

理由は、弓の引き方は稽古する上で変わっていくからです。

例えば、今まで稽古していて、的中は安定し、射形を見てもまとまっている印象があったとします。指導者に見てもらっても「キレイだ」「姿勢はしっかり伸びている」と評価をいただいたとします。そのように稽古していて、大会や審査に出場しても特に問題なく結果を出すことができました。

ここまで聞くと、どこにでもいそうな弓道家のように思います。しかし、弓道を長く稽古していると、「これまで通りに行っていても急に調子が悪くなる」といった問題が起こります。

前と同じように弓を引いていたのにも関わらず、「的に中らない」「矢が真っすぐに飛ばない」といった問題がが起こります。いつの間にか「会が短い」「左肩が痛い」といった症状が起こります。

しかし、これまで同じように弓を引いてきて、その行為に疑いの気持ちを持たなかったため、どのようにその問題を対処したらよいかわかりません。そのため、一度弓道で射癖や不調に陥ると、そこで持ち直すことができなくなります。

そこで、教本以外に、様々な本を読めば、「あぁ、自分が的に中らないのは〇〇が原因か?」「■■が原因で矢が真っすぐに飛ばないのか?」といった原因が見つけやすくなります。

つまり、あらゆる書籍を読み、多角的に弓を引く動作を分析することで、結果的に長く安定して弓を引き続けることができるのです。

このように、キレイな射形を手に入れたとしても明日同じような射形になるとは限りません。そのときは良かったとしても、なんでその射形が良いのか?それ具体的にどこなのか?これがわからないと知らない間で射形が崩れています。

実際、段をとった人ほどこういった現象が多いです。

弓道において、高段になると、「高段者に指摘するのはおそれが多い」という空気、雰囲気があります。そのため、高段者になると、射で悪い影響が出たとしても、射形や失を注意されなくなります。

その結果、高段者であっても、「離れがゆるんでいる」「会が速い」といった問題が起こります。

そうすると、自分でそのとき、段をとったとき、そのときの射形はよくてもそれの直し方、何が良かったのか理解していなかったら、結局また同じように元に戻ってしまいます。

例え、自分で原因「何か肘がおさまらない」とか「離れでどうしてもゆるんでしまう」と原因は自分でわかっていてもそれが一体どうしたら直るのか?直す方向性がわからなければ、射形はなかなか直らないままです。

実力を落とさない、さらに上げる射をするなら流派の射法で「射」をさらに研究する

上記のような理由のため、私は弓道教本以外の書籍を積極的に勉強するのをオススメします。弓道の流派は様々なものがあり、読むことによって弓の引き方に対する理解が深まります。

例えば、弓道の流派を調べると、「礼を重んじる」「的中率の精度を高める」「弓の引き方を合理的に研究する」など弓に対する考え方がわかれています。このように考え方が違っていてが、体の使い方に研究した流派などがあります。

そして、このように様々な角度で弓の引き方を分析すると「要するに弓の稽古で何をしなければいけないのか?」ということがわかります。すると、弓道の稽古を無駄なことを行わず効率よく行えるようになります。

すると、弓道の実力が伸びていくのです。

例えば、弓道の流派を複数勉強してわかったことが「手の内で形を決めることは良くない」ことでした。既存の弓道の世界では「弓道の手の内は形を決めないと癖がついてよい方向に進まない」と説明される方がいます。

しかし、世の中で弓道を通じて世界中に価値をもたらした弓道家の書籍を読んだとします。あるいは、現代の弓道の引用元となった文献を見たとします。すると、「言葉自体は間違っていないが、別の意味で使われている内容が多くあるのです。

そのため、手の内においては、むしろ「形にとらわれないようにする」ことに徹します。このことに気づけるだけでも、打ち起こし、大三、引き分けでの押し動作が楽に行えるようになるため、結果として実力が伸びていきます。

しかし、教本の内容だけ勉強すると、教本の教えの「本当の意味」にたどりつくことがありません。そのため、確実に実力を伸ばすのであれば、「教本だけでなく、様々な流派の弓道書籍を読む」ことを意識するようにしてください。

今の弓道教本でいわれている八節、射法の技術的な解説、そのときに出てくる言葉、これらは全て「何かしらの流派」での射法説明に載っていたものです。

そこで、教本に載っている弓道の言葉や知識ではなく、その知識の引用元となった流派の書籍まで見ます。すると、その言葉や知識に対して、深い内容まで理解できるのです。

もう一度言います。弓道は教本とただひたすら稽古だけでは、弓道教本に載っている抽象的でよくわからない言葉に惑わされて、かえって射を悪くする可能性が非常に高いです。そのために、実力を落としたくないと思うのなら、他の流派の書籍まで勉強するようにしてください。

弓道の流派とはどのように分かれていったのか?

では、ここで弓道の流派の流れについて簡単にまとめていきます。

まず、日置弾正正次という方が歩射の道を究めました。この人は今の弓道の代表的な流派である「日置流」の祖と言うべき人です。

この人の射法が弟子である吉田重賢に伝わり、「吉田流」と称した流派が後に誕生します。の祖と仰がれ、これより諸派にわかれて互いに技を競いあいます。

吉田出雲守重高は近江佐々木家に仕え、この弟子に石戸藤左衛門という者師法を得、のちに竹林と名を改め三井寺に居たのを徳川家康が駿府に呼び寄せて旗本に弓術を教えさせました。これがのちの竹林派と称されます。

この弟子に二人の達人が出て、竹林は叔尾張候へ、一名の弟子はは紀伊藩へ、もう一名の弟子は水戸藩へつけられたという。ここでわかれて、尾州竹林派、紀州竹林派と別れました。

このほか、吉田六左衛門は雪荷派、吉田源八朗は印西派、伴喜左衛門は道雪派など十一派に及びます。これらの諸派が徳川時代、武士の間で武士の間で行われました。

そしてこの系統とは別に昔より小笠原家は「法式を第一とする」と言われるように礼法に詳しい弓の家柄として長い伝統を持ちもちきりました。

八代将軍吉宗は鷹狩、犬追物、流鏑馬を復興しようとし、鎌倉以来の古文書を取り寄せ、自ら絶えていた古法を新たに制定しなおしました。これが後に小笠原流となります。

これより、小笠原流が江戸時代に浸透し、この中で達人も出てきました。

近世日本弓道の祖と言われる日置弾正を頂点として、伝承されてきた武射の理論づけにおいて、中国の射法が色濃く反映しています。その中国の射法の有名なもので「射学正宗」があります。

戦前、武徳会という組織があり、この会で弓道各流を統一してひとつの形に統一しようという試みがありました。しかし、終戦となり、GHQにより、武徳会は解散となりました。

戦後、全日本弓道連盟が結成され、再び統一形を作り、これより、日本に弓道が広まり、日本界の主流となっています。

そして、昔は弓は弓術といわれていましたが、柔術を柔道を名付けて近代化させた加納治五朗先生の考え方の流れを頂戴し、弓術から弓道といわれるようになりました。

弓道はもともとは狩猟のためのものが、戦闘に使われ、徳川泰平の世を過ぎて、これに仏教的色彩を加味した宇宙観を弓矢に付与したり、さらに、射即禅といった考え方に浸透し、弓矢を用いて人間精神啓発の具として試みられました。

昭和に至っても阿波研造に師事したドイツの哲学者オイゲンヘリケルの書籍「弓と禅」にはまさに「哲学の実践」の代表であり、この考えが今でも日本国に残っています。

明治以後、弓道の儀式的な考えが浸透し、弓術的発展は少なかったが、竹林派の一派に本多利実が出て小笠原の打ち起こしを取り射て、工夫をして、技の日置流と礼の小笠原を取り入れた「本多流」が表れました。

以上より、簡単な弓道の流派の流れを説明しました。そして簡単に特徴をまとめると

日置流→「技の日置」と言われ、狩猟、武士の間で弓の技術の研究に特化していた、特徴的な射法は打ち起こしを側面で行う斜面打ち起こしである。

吉田流、尾州竹林、紀州竹林、印材派、雪荷派、道雪派→日置から派生していった流派、

小笠原流→「礼の小笠原」と言われ、礼射にとっかした流派。作法のときの体の動かし方の説明が非常に細かくかかれている。特徴的な射法は打ち起こしを全面で行う正面打ち起こしである。

本多流→射の竹林、礼の小笠原流の二つを取り入れた流派

これらの流派を学ぶと、弓の引き方に対してより深い内容を理解できます。

「弓がうまい」人の具体的な尺度

次に「弓道の実力が伸びるとは?」「弓道の技術が伸びる?」とはどういうことかについて解説していきます。

現代の弓道では、「弓がうまい人」のことを「段が高い人」「的中率が高い人」と解釈する人は一定数います。つまり、体配ができて、かつ矢が真っすぐに飛んで的中する数が多い人を「弓がうまい人」と解釈しています。

ただ、この概念が戦後、弓道連盟発足されたことでできた概念です。そもそも弓道連盟の昇段審査の目的は、「その道場に師範代がおらず、実力を推し量ることが事実上、不可能な場合に診断する尺度」と解釈されています。

すなわち、常に弓道の稽古を指導、監修してくれる師範代の場合、「審査員」ではなく、「師範」によって射の良し悪しを判断していました。

したがって、弓道において、弓がうまい人=段が高い人という解釈は違和感が残ります。

それでは、昔はどのように、射がうまい人を判断していたのでしょうか?それは、的中以外に「貫通力があるか」「矢のスピードがあるか?」「遠くに飛ぶのか」といった指標がありました。さらには、本の中には、「書籍の文章の理解度の深さ」も含まれている場合があります。

もし、的によく当たる=うまい人であれば、軽い弓を用いれば的中率は比較的挙げられます理由は、弓が軽くなると、体にかかる弓の反発力が少なくなり、肩関節のブレが軽減されるからです。そのため、古くの歴史では、「賭け弓」と称して軽い弓で的中率を争うこともありました。

しかし、それ以外にも弓道でうまい人には、「精神的な要素の修練度」が含まれます。つまり、しっかり弓を引き、離れもさっと放って、そのうえで的中がまとまっている状態を指します。

しかし、「しっかり弓を引いている射形」「離れをさっと放つ」といった要素だけを見ても、意味がありません。なぜなら、「しっかり引けている射形」や「離れ方がスムーズである」といった問題は弓のkg数を軽くすれば問題ないからです。

弓を軽くすれば、多少弓の押し方を間違えて、肩関節に負担がかかっても、その「力み」「関節の不正」が表に現れにくいです。

そのため、昔の弓道の場合は、「強い弓を身体に負担なく引けるか」ということを「弓がうまい人」と定義しています(力任せではなく、あくまで身体に負担なく引けているかです)。

ここでいう「弓がうまい人」という表現は現代の弓道経験者にわかりやすく伝えるためにそのように書いています。実際の原文を見ると、「射の巧拙」を争うために稽古しているわけではないため、実際には、「射によって体と心の鍛錬」がなされているか指標と解釈されています

ただ、このように記さないと、いつまでも軽い弓を使っていて「心と身体が修養される」と誤解されている人がいるため、それは文献上解釈が異なるために、「弓がうまい」という表現を使わせていただきました。もしも、この意見に何か反論がある場合、教本以外に、教本の原文、中国の射法書を見て、弓を行う目的てきちんと整理されてから考えてみるようにしてください。

弓のkg数が向上すれば、身体にかかる負担は増えます。しかし、そのために必要な姿勢、押す方向、矢の放ち方など徹底的に勉強することで、たとえ弓のkg数の負担がかかったとしても、身体に負担なく弓が引けるようになります。

このように、弓のkg数が向上すると、的中率以外に、自然と「矢のスピード」「矢の飛んだ距離」「矢の威力」は向上していきます。さらに、普段の稽古している強弓から「-4、5kg程度」下げることで、礼射や矢渡しといった体配も落ちついて行えるようになります。

そのため、昔の弓道で、矢渡しのような神事で行う儀式は、だれでもできるようなことではありませんでした。矢渡しを行える人は、だれでもではなく弓をきちんと引きこなせる人でした。

したがって、古くの弓道文献から観察すると、「弓が上達している」「弓の技術が伸びている」とは、「強い弓が負担なく引けているか」です。

強い弓を引くと、心と身体の修練がされる

先ほど少しお話しした「心と体の修練」の「修練」とは、「しんどいこと、つらいことを行う」という意味です。弓道の教本の引用元やそれにまつわる文献を調べると、そのしんどいことは「弓を引くこと」でと解釈しています。

つまり、「矢の長さを一杯引く」ということを徹底的に行います。続けていくと、今持っている弓が物足りなくなり、さらに弓のkg数を強くして修練に励もうとします。

そのため、中国の射法書には、弓の引き方だけではなく「弓の作り方」まで記されています。なぜなら、反発力の高い弓を作るためには、その弓の材料選びから、製作の工程までが大切とされるからです。そのため、反発力の高い弓で引くと、次第に道具の取り扱いや危険防止といった事柄にも気を使うようになります。

すると、弓を引く技術は確実に伸びていくのです。

ただ、現代の弓道の場合、「心と体の修練」を「弓を引くこと」ではなく、「形式を重視」することで実現すると、解釈される場合があります。この考え方には根拠が今のところ見つけられていません。

したがって、どのように考えて、「弓道の目的」「弓道の上達度」に含まれる「心と体の修練」を実現されるかはあなたの判断でお願いします。多くの人にお勧めなのが「矢の長さいっぱい引く」ことで体を鍛錬することです。

当然ですが、矢の長さいっぱいに引くと、高い弓の反発力を身体の筋肉にかけられます。このように、筋肉に刺激を入れることで、内臓、神経、脳と刺激が入り、活性化されます。その結果として、「心(呼吸、脳の活動、筋肉の働きといった要素を含んだもの)」が鍛えられます。

特に現代は仕事のスタイルが「座り作業」が中心のため、体を動かすことがありません。高齢者にしても、社会の介護サービス、医療サービスが充実してしまったため、体を動かさなくても「安全な状態」を手に入れることができています。

田舎のへき地の中には、自給自足で暮らし、スーパーや車に頼らず、農業で生活している人もいます。このような人は、「娯楽をしなくても、普段の生活で体を動かして心が充実する」と説いています。

もし、あなたが、弓道において人生を充実させたいと思うのであれば、そのために「心と身体の鍛錬」は必要不可欠です。そこで、今の人も高齢者にも合っている弓が「矢の長さ一杯引いて稽古する」弓道です。

一生懸命矢の長さ引けば、体が鍛えられていきます。そこで、「引きすぎ」「引き分けで頑張りすぎている感じがする」と伝えると、体を満足に鍛錬できません。それどころか、さらに弓を大きく引こうと思っても、

引けなくなります。

ここからは、あなたの考え方です。きちんと判断して弓を稽古すれば、弓道において悩みはほぼなります。

そのためには流派の勉強は必須です

そして、弓のkg数を向上させていくに、具体的に何を行わないといけないでしょう?まず、様々な流派の射法を勉強するようにしてください。少なくとも、教本を読んだだけでは、「どうやって、弓を負担なく引くことができるか」をわかるようになるのは無理です。

ヨガの世界であって、今は協会ビジネスの普及により、簡単にヨガの資格を取ることができます。さらに、お金を払い、審査に通れば、位が高く、権威性のある資格を取得できます。

ただ、資格を取ったからといって、実際に「ヨガの達人が実践するような難しいポーズ」がとれることとは別です。さらに専門的な動きや技術を身に着けるためには、さらに本を読んだり実践しないといけません。

そのために、流派の弓道を習うようにしてください。当サイトの内容を理解すれば、少なくとも各流派の知識は勉強できます。それらの内容を勉強すれば、あなたの弓道の見方は全く変わってくることでしょう。

メルマガ登録

 

ここまでの記事を読んで、「さらに深く弓道を学び、上達したい」と思う方もいるかもしれません。その場合、以下の「メルマガ」登録を済ませて、「合理的に弓を引くために必要な情報」を受け取りましょう(600ページ以上の非公開テキスト、 10時間以上の動画もプレゼントします)。

 

稽古会案内