弓道の病癖の中で、「早気」というものがあります。これは、引き分けで矢が口割についた瞬間にすぐに離してしまう射癖です。そして、早気には肉体的に緊張しすぎて放してしまうのと、精神的に焦って離してしまう早気があります。
弓道を志すものにとって、とても厄介な病気です。私も一度なったことがありましたが、直すのに1年かかりました。特に「心的な問題」からくる早気は方法論を伝えても、射場に入ると心が負けて矢を離してしまいます。
そして、この会を直すのに、思考錯誤して、思わぬ方法で早気で直した恐ろしい会の直しかたが昔の弓の話に載っています。今回は早気を直すのに苦労した話を紹介していきます。
愛する子供に矢向けて早気を直す
1789~1801年頃(徳川時代、寛政頃)に、阿部という旗本の家士に、弓術に熱心で長い間精を注いでいた人がいました。その人が早気という癖に取りつかれ、的に向かえば、肩まで右手がよらないまま離れてしまうくらい、早気になってしまいます。
そのとき弓術の師も一度、弓の稽古をやめるように勧めたが、本人はそのことを効かず、日夜直す工夫をこらしていました。しかし、それでも早気が直らず、「心ではやめんと思えど、拳が放してしまう。誠に悔しい」と言っていました。
そこで、早気を直す方法として、大切なもの、価値のあるものを的前に置いて会の時間を長くしようと考えました。家に伝わる、主人より賜った古画の屏風、主人拝領の紋服を掛けました。そして、それに向かって弓を引きました。しかし、それでもこらえず放してしまいました。
「これではとても弓取ることができない自分が恨めしい」と自分を恨み、ついに最終手段に出ます。
それは、自分の子供を的前に置いたのです。もしも、いつも通りにこらえず放してしまったら、子供に矢が刺さり、子供を殺してしまいます。
現代では考えられないことですが、「拳を離さば我が子の命を取る、もしこうなれば親子ともに死のう」と言って、子供に矢先を向けました。
すると、恩愛の情のおかげか、いつもの早気が失せて放しませんでした。
そして、絶えず修行を続け、早気癖も止まったと言います。
この話より、早気にかかると克服するのにかなり時間かかることがわかります。人によってはすぐに直る人もいますが、なかなか直せないことがほとんどです。
特に会が短くなって的中が上がり始めたら危険です。もしも、会にが短くなって早気になったら鋼の心をもって早気を直すことを心がけましょう。