今回は、教本に記された五重十文字の内容の相違について解説していきます。
浦上範士が次のように五重十文字を説明しています。
1、体と帯
2、取りかけのとき前膊と弦
3、右拇指と弦
4、矢を番えたとき矢と弓
5、会において顔と矢
次のような状態を弓構えで作ることが適切と解いています。
と記されています。
あるいは、尾州竹林では五重十文字は「会の時の状態で説明する時に用いていると記されています。
この内容、実際に日置流の古い文献で調べて見ました。実際には、浦上範士の文章とは異なる内容でした。この内容が適切かどうか、実際に資料を見てからご判断いただければと思います。
五重十文字の五ヶ所の内容
まず、五重十文字の内容について、詳しく調ベて見ると、十文字の内容が異なります。
1、弓と矢
2、懸けと弦と
2、弓と手の内
3、胴の骨と肩の骨
4、首の骨と矢
この内容は「尾州竹林弓術書」に記されています。したがって、浦上範士の日置の五重十文字とは異なります。
一方、弓道教本一巻に置いての五重十文字についても紹介しておきます。
弓道教本 尾州竹林では
1、弓と矢 1、弓と矢
2、懸けと弦と 2、弦と懸けの十文字
3、弓と手の内 3、手の内と矢
4、胴の骨と肩の骨 4、胸の中筋と矢
5、首の骨と矢 5、首筋と矢
両者を比べて見ると、三箇所相違があるのがわかります。
なぜ、首筋ではなく、「首の骨」と矢にしているか、これは首の筋肉にしてしまうと、物見の向け方によって、十文字にならないからです。加えて、首筋の骨は正確には垂直についている訳ではないので、形式的に十文字を向けることはできません。
そのため、もっと首の深部の方に意識を向けていきます。首の骨周辺についている筋肉に目を向けるのではなく、首の骨自体に向けます。
その部位を意識することで、矢との平行を自分がしっかり的方向に顔を向けているとすれば、首の骨と矢とが十文字になります。
次に、弦と懸けの十文字、この内容は三つ弽では成り立ちますが、四つ弽ではできません。しかし、尾州竹林ではこの内容についてきちんと補足されています。
四つ弽の場合、「少し親指を捻って弦に当たれば、弦と親指が十文字になると」は書いてあります。しかし、この説明の後に、「一文字(三つ弽)と十文字(四つ弽)の弽で差別少しあるけど、理は一つに通ずるとしるべし」と書いてあります。
つまり、四つがけの場合、多少形が変わったとしても、三つ弽が弦と十文字に交わった時のような筋肉や関節の状態に整えることができると書いてあります。
そのためには、四つ弽の場合、親指と弦の十文字はこだわらないようにします。少し、手首を上に起こすようにすれば、親指の力が抜けると思います。
すると、三つ弽で親指を弦と十文字を向けた時のように、手首に負担のない右手の状態を作れます。
つまり、教本と原文の五重十文字の違いは、
「首と矢の十文字」についての記載が違うこと、右手親指の十文字についての扱い方が違うことがわかります。
四つ弽ユーザーの場合、全弓連の稽古をしている時に、右手首を捻るように指示を受ける場合があります。そうしないと、右手親指が真っ直ぐに向かず、弦と十文字にならないからです。
しかし、そのように無理やり十文字を作る必要がないことが原文を見ればわかります。
日置流の別文献では五十十文字の解釈は異なる
また、日置流の文章の内容も考察すると、別の文献では解釈が異なっているのがわかります。
浦上範士の日置流では、五重十文字は弓構えの段階で完成すると解いています。しかし、日置弓術図解に置いては、五十十文字は離れた後に完成すると解いています。
日置流弓術図解 浦上範士の日置流
1、弓と矢 1、矢を番えたとき矢と弓
2、懸けと弦 2、取りかけのとき前膊と弦
3、弓と手の内 3、右拇指と弦
4、胴の骨と肩の骨 4、体と帯
5、首の骨と矢 5、会において顔と矢
(離れの状態で完成) (弓構えで完成)
そして、日置流弓術図解では、離れた後に完成するように肩の骨についてさらに詳細が記されています。「離れた後に左右の肩が一文字になるために、会の段階では左肩を少し下げめにしておくのが適切」と記されています。
どちらの内容が実践で使えるでしょう。実践的なのは日置流弓術図解の五十十文字です。浦上範士の五十十文字は内容が具体的でないため、頭にはいりません。
まず、弓術図解の五重十文字は尾州竹林の五重十文字と一致しています。つまり、内容が他の文献や歴史上、整合性がなく解釈ミスが起こりにくいです。
加えて、左肩を下げる引き方は、数々の弓道家が共通してお話している内容です。宇野範士は教本二巻で「左肩を下げめにして」と解説します。
神永範士、富田範士は、左肩を下げてとは言いませんが、それを行うために「左腕を軽く伸ばして引き分け動作を行いましょう」と解説しています。
どの文献にも共通した内容詰まっているのが日置弓術図解の五重十文字です。であれば、他の先生の言っている内容や古くの文献、別の流派の内容とも共通した内容をした方が、勉強にもなるし、内容も間違いが起こりにくいです。
一方、浦上範士の話される五重十文字と同じ内容を話される日置流の古くの文献はありません。もしかして、この内容は「嘘の日置」ではと思わせる内容とも言えます。
弓の引き方は自分の解釈で語らないといけない部分もあると思います。しかし、他の流派で言われる有名な用語を自分の射の内容に入れられると混乱を招くし、「偉い先生が言っているから五重十文字の内容はこうだ」と思いたくなります。
だから、紛らわしいことはしないでください。全ての弓道の流派の源流は、浦上範士の日置ではなく、尾州竹林です。その内容から考えないと、解釈ミスを多いに犯します。
以上の内容から、浦上氏の五重十文字の文章の内容は、まず日置の他の文献や他の流派の文献とは異なります。
そして、尾州竹林の五重十文字の文章は日置でも使用されています。弓構えの時に完成される五重十文字は見たことありません。このあたりを吟味して、使える文章かそうでないかをご判断ください。