今回も、教本の弓構えの文章の意味とやるべきことをまとめていきます。
ただ、教本の弓構えの文章は理解するのを難しいと感じます。
射型に関しては、各先生で言っていることが異なり、抽象的な説明が多いからです。
例えば、教本二巻の宇野先生、神永先生の文章をみてください。
それぞれ、違う弓構えを説明しています。
宇野範士は少し左腕を伸ばすような弓構え、神永範士は両方相対して丸く取り囲むようにとっています。
一体どれをやればいいの?
実際の弓道の指導では、両腕を円形に囲む弓構えしか教わりません。そのために、9割9分の先生はこの内容を解説できません。
ですので、教本の内容は理解できません。このようなことに関しても疑問を持たないどころか、問題視しません。
にもかかわらず、教える時は「とにかく、腕を前に出せ」「肘を張って」などと細かい根拠のない指示があります。
それらは、全て、教本に本来記されている内容と真反対です。誤解のないように読まないといけません。
ただ、難しく考える必要はありません。弓道教本の文章の内容は
「両腕を寄り合わせる」ようにすれば、全部できるようになっている
この動きを行うだけで、いろんな弓構えの動きができるどころか、適切な取り懸けや手の内の内容まで繋がって理解ができます。
と、全日本弓道連盟初代会長宇野要三郎範士が解説されております。
主語は「両腕」と記載はありませんが、弓構えの状況で「より合わされる」ものは、両腕と想像できます。
その文章の前文の主語は「右手」、そして後の円形となるものにつながる主語は「両腕」です。日本語の文章は前後の文脈で同じ、もしくは似た主語は省略されます。
「より合わせる」ものは「両腕」と強く考えられます。
さらに、両腕をより合わせることを意識する必要もありません。
これまでの足踏み、胴造の内容を振り返ってください。
足踏み:両太腿を外に開く
胴造:両肩が後ろに引かれる
これを行うと、肩が後ろに引かれるので、
自然に両腕を寄り合わされる
ように腕が動きますね。これで全て完了です。
次に、絶対にやってはいけないことを教えます。
・肘を張る
・前ならえのように両腕を前に伸ばす
この二つを行ったら、今まで行った足踏み、胴造の構造が全て壊れます。
腕を丸く取り囲みながら、弓を構えるとき、先生から「肘を張りましょう」と言われて、クイット腕に上げさせられると思います。
これを行うと、肩周りにある「三角筋」と呼ばれる筋肉が張ります。
すると、打起こしや引き分けで肩が上がりやすくなってしまい、汚い射形、緩み離れ、的中しないなどの問題が起こります。
それだけではありません。このように肘関節を吊り上げる動作が「肘を張っている」と解説する先生もいますが、
「肘を張ろう」とすると、肘は張れない
こともわかっています。
腕の裏側には、上腕三頭筋(じょうわんさんとうきん)と呼ばれる筋肉があります。この筋肉は「下筋」とも呼ばれ、力を加えるように教わります。
先ほどお話したような「肘を吊り上げた弓構え」をしてしまうと、上腕三頭筋が緩んでしまいます。
肘を張ろうとすると、下筋は張れなくなります。
おそらくですが、肘を吊り上げて「肘を張るように」と解説されている先生は、肩を力ませることで、「肘が張っている」気分になっていると考えられます。
このような教えのせいで、無駄に力んで弓を引いた結果、どんどん肩甲骨周りの筋肉は硬くなっていきます。
すると、肩痛・肘痛が起こりやすくなります。でも、こう教わってあなたが怪我をしたとしても自己責任になってしまいます。
後から詳しく列挙しますが、教本で「肘は張らず」と説明している人はいます(松井範士の「胴造」で記載、弓構えでも複数の先生が「腕を張らず」と記載)。
ですので、肘を張ってはいけません。
次に、両腕を前ならえのように伸ばす動作。これを行っても、肩に力が入ります。
腕の重さは片腕で平均3−4kgもあり、両腕合わせるとで6−8kgあります。米俵二つを身体の前で抱え込んでいるのと同じ状況になります。
ですので、腕を前に伸ばしすぎると、姿勢が前屈みになるか、肩に力が入ってしまいます。次の打起こしの動作で、肩が上がりやすくなります。
弓道連盟の高段者の中には、打起こしでの肩上がりの問題を防止するために、低い打起す人もいます。
多分、そうしないと、見た目が綺麗にならないからと説明すると思いますが
いえ、低くしたところで、肩には力入ってますよ。
どんな人も美しくすっきり弓を構えて、打起したいです。
だったら、弓構えで両腕をより合わせる方が適切です。
では、ここから解剖学的に肘を張った姿勢について詳しく解説します。
それは、両腕を寄り合わせるように動かした後、
後ろ下に下げるように動かす
ようにしてください。こうすれば、腕の裏側の筋肉に力が入ります。
こうすると、肩が下がって伸びるため、腕、手首、指に力をかけることなく、弓と弦をもつことができます。
こうして、両腕をより合わせれば、
取り懸け、手の内も両腕をより合わせると、形が完成する
とわかります。
具体的にいうと両腕をより合わせると
両腕がすくいあがるように伸びる
ことがわかります。そして、自然に
・両手首が真っ直ぐ伸びるようになる
ことがわかります。
このように、両腕をより合わせて、両肘を後ろ下に向けるように下げると、手首が立って、両腕から手首にかけて真っ直ぐに伸びます。
このように手首を伸ばすと
・指の力みが抜ける
のがわかります。
掌の中心には、「手根管(しゅこんかん)」と呼ばれる組織があります。この管には指を動かすための神経が多く通っております。
両腕をより合わせると、手首と腕の骨が真っ直ぐに伸びて、中の神経が圧迫されません。したがって、指を動かしやすくなります。
これで、弓を軽く握れるようになり、取り懸けで無駄な力みを減らすことが出来ます。
しかし、弓を握ると言っても自分から指を動かす必要はありません。両腕を身体に近づければ、指は自然と曲がって来ます。
両腕をより合わせて両拳を身体に近づけてみてください。指が曲げやすくなることがわかります。
右手は、中指の第二〜第三関節の間が親指の上にのるくらいになります。次に、左手は、中指、薬指、小指の三指が軽く曲がります。
これ以上力をいれる必要はありません。両腕を寄り合わせれば、自然と取り懸けと手の内の形まで決まります。
なお、物見動作はもっと簡単です。
肩を後ろに引けば、物見は楽に行える
物見では、
自分の顎が左鎖骨のくぼみに来るくらいに向ける
ようにすると言われています。
肩を後ろに引き、両腕をより合わせれば、容易にできます。
両腕を身体の近くにより合わせると、首と肩の間の筋肉が伸びて、自分の首が的方向に向けやすくなるのを体感できます。
つまり、両腕をより合わせれば、
・形は円形に近くなる
・肘も張れる
・両手首が真っ直ぐに伸びる
・指の力を抜いて、取り懸け、手の内の形が完成する
・物見動作が楽に行える
ことがわかります。
両腕を寄り合わせると、ほとんどの先生の弓構の形を作れる
これまでお話しした内容は、オリジナルの内容ではありません。教
本を読めば、ほぼ全ての先生がこの考えに沿って弓構えを解説しています。
「両腕をより合わせる」内容は、宇野範士が解説しています。
宇野範士:左右両腕を寄り合わせるのと主眼にしたのである。・・・・「取り懸け」によって結びついた左右両腕の形は丸い輪形でなければいけない。(二巻Pー84)
それ以外に、松井範士も「左右の手鏡を合わせるように」と解説しています。
松井範士:全体総がかりで軽くふんわり握り、左手脈所を右手脈所と内側で見合わせる格好で、(三巻、Pー85)
これも、両腕をより合わせる内容と同じ意味です。
さらに、宇野範士の弓構えの写真を見ると、「左腕を少し伸ばし気味」の状態になっていますね。
この弓構えも問題なくできます。両腕をより合わせる時、「右を多め、左少なめ」により合わせるようにしてください。
すると、弦が身体の方に近づきます。これによって、弓が身体から離れるように動きます。
結果、左腕がちょっと伸び、右腕がちょっと曲がる弓構えになります。
これが、宇野範士の写真にある「左肩が少し下がり、右肩少し据えられた弓構え」になります。
この弓構えと同様の弓構えを行っているのが、「鈴木伊範士」です。
鈴木伊範士:弓構えは頭の正面に弦を持ってくることが良いと思う(三巻、P78)
次に、神永範士の弓構えを実践してみましょう。
両腕をより合わせる時に、1対1の割合でより合わせます。すると、左右の肘をそれぞれ外側に伸ばしやすくなり、両肩甲骨が左右に広がるようになります。
これが神永範士がいう「足踏みの方向に八文字に伸ばした弓構え」になります。
神永範士:項を伸ばし、下がった両肩を八文字のように足踏みの向きに開く気持ちで備える(P-85)
次に、両腕をより合わせた後に、両肘を後ろ下に伸ばすようにしてください。前腕(肘から手首まで)が地面に対して垂直に立つようになります。
これが、高木範士の説明する「橈骨、尺骨が地面と垂直になる弓構え」です。(P-86)
このように、まず両腕をより合わせます。そのあとに、
・そのまま肩を下げると、神永範士の構えになる
・肘を後ろ下に下げると、高木範士の構えになる
・右を多め、左手を少なめにより合わせると宇野範士のような構えになる
この3種類の弓構えで、写真に記載されている範士の弓構は全て出来ます(斜面打起こしの弓構え以外)。
両腕をより合わせてから行うと、腕の力みが抜けて形を作りやすくなるからです。
「円形の弓構だけはできるけど、斜面の構えではやり辛い」こんな考え方では、本当に「弓構え」を知っているとは言えません。
どのような型であれ、柔軟に対応して弓を引けるからこそ、「弓構え」を知っていると言えます。
教本に記された、複数の弓構えは、「両腕をより合わせて」から行えば、ほぼ全てできることがわかりました。
次に、両腕をより合わせから弓構えをすると、3つのメリットがあります。
メリット1、両腕、拳の力みが抜けます
肩甲骨が左右に広がるので、両肩の力みが抜け、左右の腕と拳の力みも抜けます。
神永範士:弓を握るにはフンワリと、しかもしっかりと取り、指の末端に力を込めないようにし、(二巻Pー85)
宇野範士:左右両腕は円い輪形でなければならない(二巻、Pー84)
祝部範士:至極柔らかな体勢でありたい、両手伸びすぎず縮まず、(三巻、Pー79)。
高塚範士:体勢硬からずゆったりと構え(三巻、Pー79)
冨田範士:両肩とも押し下げる心持ちが良い。かくすれば両肩上がらず柔らかな弓懐の姿となる(三巻、Pー96)
5人の先生は弓構えで「両肩、両腕」の力を抜くように解説しています。であれば、両腕をより合わせましょう。
千葉範士:弓矢を持った堅い感じではなく、自分の身体の一部分で身体に付随している者という感じが良い(二巻Pー83)。
まどろっこしく聞こえますが、これも同じ内容です。
両腕をより合わせ、腕の力を抜くようにすれば、腕の力が抜けている状態で弓を握れます。
この感覚が「弓矢が自分の身体と一体になっている」と解説しております。
他に「弓矢を枝とすると、人体という大木にスゥーっとできた感じ」や「ぎこちない感じがあってはいけない」という文章がありますが、全て同じ内容です。
小笠原の文章には、「大石を抱える感じを忘れるな」とあります。
これも、両腕をより合わせれば、物を包むこむように抱えた状態になりますよね。そのことを言っています。
メリット2気合が入りやすくなります。
前回の胴造でお話したように、肩が下がると恐怖心が軽減されます。両腕をより合わせて、手に刺激を与えることで、次の動作に移ることに集中出来ます。
肩甲骨を左右に広げると、肺が広がります。この状態で息を吐くと胸の力が抜けて、より左右に肘が伸ばされます。
こうすると、左右の拳が少し開かれて、弓と弦が開かれます。これで、手に刺激が入ることで、頭部に刺激がいきます。
解剖学的に、拳を握ると、頭蓋骨に血液が回るようになります。人間の手の神経は20%以上脳と繋がりがあり、刺激を受けて脳が働きます。
これに加えて、肩の力が取れているため、「落ち着いているけど、今の状態に集中できている」感覚を得られます。
つまり、両肘をより合わせた後、左右に広げることで、次の打起こし動作に移るための「気持ち」を作れるようになります。
神永範士:「弓構え」は・・・・一歩も引かぬという不退転の粘りと飽くまで戦うところの敢闘精神が満ちていなければならない(二巻、Pー84)
祝部範士:ここでいよいよ覚悟の養成、射心の調整、それに要する数秒の時間、これをこの時弓構え言っているようだ(教本三巻、P78)
冨田範士:目当て物に対して、不退転の気構えを必要とする(教本三巻、P79)
ざっくり言うと、弓構えで「気合が入る」ようにと解説していますね。では、両腕をより合わせてから、肩を下げてください。
心にスイッチが入る弓構えは、両腕をより合わせて胸を開くことで作れます。
メリット3;自分の姿勢のずれがわかりやすくなる
自分の身体の力みが抜けていなければ、身体のずれや力み、姿勢の歪みは確認できません。
そこで、両腕をより合わせると、腕全体の力が抜け構えることができます。
・肩に力が入っているなら、呼吸が乱れ、心が緊張している可能性がある
・左右の腕に力が入っているなら、前屈みになっている可能性がある
・左右の拳に力が入っているなら、後に左右の肩の線が崩れる可能性がある
このように、自分の力が抜けていると、「自分の姿勢のずれ」「身体の力み」「心の状態」が観察できるようになります。
高塚範士:弓構えは・・・・緻密な調整を完備しなければならぬ重要なところであるから、足踏み、胴造を崩さず、取懸け、手の内を整える、両肩甲骨の結合、両腕の釣合い、各関節の据わり、縦横十文字の準、気息調整などなど、しかも体勢硬からずゆったりと整え、射の円滑なる進行に完璧を期す。(三巻、P−79)
ただ、力を抜いた方がいいと聞くと、
「弓構えは肘を張るのが適切であって、抜くのはおかしい」
と考える人もいます。
次に、今日の弓道連盟で解説されている内容と教本の内容の相違を正していきます。
肘を張ろうとすると、肘が緩む
「肘を張ってください」と言われて、両肘を上に上げるように指導を受けることがありますか?これでは、肘周りの筋肉を張れません。
両腕をより合わせ、後ろ下に下げるように動かしましょう。これで解剖学的に腕の裏側、肘周りの筋肉が張ります。
千葉範士:肘は張らずゆるめず、自然になだらかな(水流れ)円相を描く(二巻、P-103)
足踏みの方向に両肘を伸ばすから、「前ならえ」のように弓構えするのは間違いである
連盟の高段者の先生の中には、神永範士の文章と似た解釈を取り上げて
「足踏みの方向に(60度)に肩を開くのだから、少し猫背のようにして、肩甲骨を外側に「張り」「出す」ような構えにしないといけない。
だから、弓構えでは、前ならえのように伸ばすのが正しい」
と解説する人がいますが、これは間違っています。
そうすると、姿勢が前屈みになってしまうからです。
足踏みの項でも説明しましたが、神永範士は教本で両足の角度は90度にするように解説しています。
であれば、両腕をより合わせ、両肘をほぼ真横に開くように動かすのが天才です。
「足踏みの方向に伸ばせ」とは、イコール「両腕をより合わせて、肘を後ろしたに下げて」と言う意味です。そうすると、肘は結果的に横方向に伸びます。
そうすると、肩甲骨が左右に広がり、両肩が下がって両腕が緩んだ姿勢が取れるのです。
手の内について考える必要もない
次に、手の内、取り懸けの文章についても
何もするな、何も考えるな
と考えて読むのが適切です。
弓道の世界で手の内、取り懸けの形が決まるのは、「會(かい)」です。
手の内は、一番弓と弦の反動力がかかっている時の「適切な形」が本来の教えです。
弓構えの段階で左右の手の形を決めても意味がありません。その段階で形を固定しても、次の大三動作で弓の反動が加われば、形が変わってしまうからです。
実際に、古くの文献を見ると、弓構えで手の内と取り懸けの説明はほとんど載っていません。
本多利実氏の「弓術講義録」では、たったの一行しか、手の内と取り懸けの内容が記載されていません。
しかし、弓道教本二巻、三巻では、合計22ページも使って解説しています。一人辺り約2ページも使って解説しているとわかります。
弓構えは、正面打起こしに置いては、左右に拳に反動がかかっていません。
ですので、一つ一つの指に細かくこうしろああしろと解説する意味がありません。後で形が崩れてしまうからです。
弓構えで覚えることは3つだけでいいです。
斜面打起こしで左腕を伸ばす時、もしくは正面打起こしで両拳を軽く外側に開く時に、弓と弦の反動が両拳にかかります。その時に、
①左手:小指と薬指が多少しまった感じになる
人差し指と親指の間に弓がはまった感じになる(正面打起の場合、弓に
はめてはいけない)
②右手:小指と薬指が軽く締まる
中指の第二ー三関節と親指との面がしっかり締まる(正面打起の場合、
締めてはいけない)
③左右の手首:真っ直ぐに伸びる
となれば、良いです。
そのために、弓を構えた時には、
軽く弓を握る、弦を掴み、中指と親指の間の輪っかを作る
これで終わりです。
しかし、この「軽く握る」ということすら考える必要もありません。
両腕を寄り合わせて、前腕を身体に近づけてください。自分で意識しなくとも指が曲げやすくなります。少ない意識で手の内と取り懸けの形を作る準びができます。
後は引き分けで大きく引いてください。
そうして、弓と弦の反動が両拳にかかってきたら自然に形が出来てきます。
でなければ、22ページも拳だけずらずら書かれた内容の全てを実践できず、説明も無理です。
実践できるようになってから、手の内の内容を教えるようにしましょう。
と、これも私のオリジナルではなく、教本の文章が皆これで通じます。
左手版:軽く握ろう、掴むな
千葉範士:ふんわりやや深めに握る(二巻。P93)
宇野範士:はじめに握りを固定することはできない。
宇野範士:古く「笠の手の内」といい、何時作られたかわからぬように、弓を押し開くにしたがって何時となしに自然に出来上がるのが良い(二巻。P93)
と解説しています。
鈴木範士:拇指と中指の二本で軽く握り、ほかの無名指と小指の二指は、無心に添付した程度の握り方が良い握り方と愚考する(三巻、P81)
祝部範士:拇指と中指とにて、輪っかを作って軽く握り、他の無名指・小指はただ弓に巻きつけておくだけで一切の工作をやらない(三巻、P81)
5人の先生が「軽く握って」と解説しています。そうしましょう。
右手版:軽く握ろう、掴むな
高木範士:決して弦をつかむように(拇指を)曲げてはならない(二巻、P−92)
高木範士:薬指はその末端に力がこもらぬように(三つ弽の場合は中指)その次の骨まで力をとめるようにすると、取り懸けた右手がこらないで軽くしっかりする(二巻、P−92)。
祝部範士:中指、食指は押えた無名指に堅に重ねると、掌の内に空洞が出来上がるという方法・・・・・。
松井範士:弦を懸け口に預ける心でなければならない、(三巻P−83)。
冨田範士:拇指と結びあわせる指は、その指の第三関節辺りで拇指の先端と軽く接触せしむべきで(三巻、P86)。
同様に、右手も軽く取り懸けの形を作ります。
違う表現で、「不用意な動きをするな」とも解説しています。
松井範士:肘を曲げたり肩を落としたり上げたり、更に首まで傾けて懸け口とつまみ具合を試すのは誠に見苦しく(三巻、P84)。
松井範士:(右手を)無理に捻ったり、強く押さえたりするのは絶対に禁物である。
冨田範士:(右手を)捻り過ぎれば筈を強く押し、それによって矢色が生じ(三巻P87)。
余計な動き=手の力みにつながります。そのため、両腕をより合わせ、極力指の力みをとるようにしてください。
では、軽く握った後に、楽に打起こしを行い、大三をとってください。すると、指がだんだん締まっていき
①左手:三指が揃う
千葉範士:中指以下の三指の爪先を揃え(二巻、Pー93)。
宇野範士:三指をピッタリつけて(二巻、Pー93)。
浦上範士:小指を拇指に近づけながらその第三関節で外竹の右角を握り締め、次に薬指と小指と指先を揃えて握り(二巻、P94)
そのほか、神永範士(二巻、P97の9行目)、安沢範士(三巻、P83の三行目)、高塚範士(三巻、P89の7行目ー9行目)
左手:中指と親指の輪っかが程よく締まる
冨田範士:拇指と中指とは隙間が生じないように(斜面打起こしの時)、よく調和することが肝要である
右手:中指と第二関節付近で親指が乗る
三つ弽の時は「中指の第二ー第三関節」、四つ弽の時は薬指の第一関節付近に親指付近に来る
千葉範士:母指頭を中指(付根から)の第二と第三関節の辺で支え、強い弓の場合は、母指頭深く中指及び人差し指の二本で支え(教本二巻、Pー88)。
もし、今の弓を大きく開けない場合、例え10kgの弓でもそれはあなたにとって「強い弓」ですので、拇指根深くと中指を抑えてください。
宇野範士:母指根を外に突っ張ってその爪先に薬指(付根から)の第三関節のところを懸ける(教本二巻、Pー88)。
ちなみに、もう一つの説明として、「人差し指と親指の間にハマりこむ」と記されています。
浦上範士:人差し指と親指の股の中心を弓の内竹の左三分七分のところで、握り革の上部より五分くらいにあて
千葉範士:人差し指と親指との股(虎口)にはまり込むように(二巻、Pー93)。
冨田範士:浦上範士と同じ内容(三巻Pー87)
これも、打起こしから大三に入って、弓の反動が手にかかった後につくのが適切です。
自分から、弓と人差し指と親指の間にはめてしまうと、必要以上に弓を握りすぎてしまいます。
③左右の拳は伸びる
浦上範士:拇指の腹を弦の十文字にあて、静かに筈のところまで擦り上げ拇指の付根っを軽く曲げ・・・・・・・三つ弽でもまた四つ弽でも、引き初めから離れに至るまで、弦の懸け口十文字っを崩さぬことが肝要で(二巻、P−90)
神永範士:右拇指を真っ直ぐにしてその腹を十文字に当て(二巻、Pー91)
高木範士::腕関節の尺骨側と手の甲の側とを少し伸ばすようにし手首を腕関節(二巻P−92)
宇野範士:左腕の中筋が弓に直角に当たるようにする。(二巻、P94)
浦上範士:弓構えで左手や右手の十文字が定まれば、身体構えの十文字とともに、最後までその形を変えてはならない。(二巻、P104)
冨田範士:浦上氏と同じ内容(三巻、P86)
高塚範士:浦上氏と同じ内容(三巻、P89)
ちなみに、冨田範士は、
冨田範士:左手右手とも伸びすぎて縮まず(三巻、P96)
と「弓懐」の項で記載されています。このように抽象的ですが、しかし後半の文章に、
冨田範士:当流では羽分け以上は引かないで弓構えをなし、
と書いてあります。なるほど、「羽分け」以上引かないから、手首が伸びすぎず、縮みすぎずの状態になりますね。
であれば、両腕をより合わせて右手首の力を抜いてください。これで
4ページ分の先生の解説される「軽く握る」と言う内容を実践しながら
18ページの手の内の内容を実践を通してできるようになります。
その具体的な内容は「三指が締まり」「人差し指と親指にすっぽりはまるようになり」「両手首も無理なく伸ばす」手の内の取り懸けです。
大三以降でこの形になるように意識しましょう。
両腕をより合わせれば、物見がしやすくなる
両腕をより合わせて、両肩を後ろに引けば、的方向に顔を向けやすくなります。
浦上範士:人に呼ばれて左に振り向いた時の顔の位置が、一番横向きの自然の形であるから。(二巻、。冨田範士も同内容を記載、三巻P94)
このように聞くと、「要するに、自然に顔向けするといいのか?」と思いたくなります。しかし、その「自然」の意味がわかりませんよね。
この文章の言いたい内容は、「首と目を緊張させないで物見をせよ」という意味です。
そうすれば、本当に誰かに呼ばれて振り向いた時と同じように、「余計な力みなく」顔向けできます。加えて、深く顔向けもできますね。
両腕をより合わせて、肩を後ろに引けば、
・首の筋肉が緊張しない(顎が左右前後に傾かない)
・目が緊張しない(睨み付けるのではなく、視界を広げるように眺める)
ことがわかります。
まず、首の筋肉が緊張していなければ、負担なく深く的方向に向けます。
宇野範士:大体の基準としては、鎖骨の窪みに顎が出る程度にし、(二巻、Pー100)
高木範士:殆ど90度近く、顎の骨を軸として、左方にうつす(二巻、P−102)
そして、首の筋肉が緊張しないので、首筋が伸びる感覚を得られます。
浦上範士:項の毛が二、三本引きつけるにせよ(二巻、P102)
松井範士:頭のつむじの頂上を上から吊るされて廻る(三巻、P93)
そうすると、顎が不用意に傾かずにすみます。
一般的に、顔は「肩に力が入ると照りやすい」「首に力が入ると、顎が上がりやすい」ことがわかっています。
しかし、肩を後ろに引き、首の後ろを伸ばせば、こうした問題を抑えることができます。
千葉範士:顎は殊更に引かず照らず(二巻、P−100)
宇野範士:頭は真っ直ぐにして臥したり仰いだりしないように心掛くべき(二巻P−102)
高木範士:同じ内容記載(二巻、P−102)
冨田範士:同じ内容記載(三巻、P95)
後、鈴木範士の物見の説明が
鈴木範士:物見の構え方によって弓と左手との拳と的の位置が変わってくる。物見が変われば狙いも変わってくるから、はじめから正しい位置に据えて決して動かしてはならない。(三巻、P−90)。
と、最初の文章はもやもやする「何が言いたいか分からない文章」ですね。
でも、後半に、「正しい位置に据えて動かさないようにしましょう」と書いてあります。
では、正しい位置に置いて、安定する物見を行いましょう。
・目の筋肉を緊張せずに顔向ける
首の緊張を取って楽に深く顔むけしたら、眼球の力みも取れて自然に視界が広がるようになりますね。
神永範士:眼で物を見るという気持ちでなく、顔の向いた方向に眼を置くという感じ(二巻、Pー102)
松井範士:眼の据え方が厳し過ぎれば、心身もおのずから硬ばるものであるから(三巻、P94)
目仕いは目を開いて
安沢範士:物見は唯単に的を見詰めるのではなく、丹田より発する映眼すなわち心眼を以て(三巻、P94)
丹田に発する映眼で見れているかどうかはわかりませんが、少なくとも、眼球に力を入れて「的を見つめる」行為をやめてみましょう。
そうすると、体全体で物を見るような感覚を得られます。
ここまでで8割の弓構えの内容を理解しながら、実践出来ます。
ここからは、個別にややこしく見える内容を簡潔にかつ、根拠を示して解説していきます。
・千葉範士「弦調べ」で神様の話が出てくる理由
・三指揃え、天文筋に弓を当てる内容はしてはいけない件
・五重十文字の本当の意味
両腕をより合わせると、弓の上下に神様が見える
教本二巻のP-87の「弦しらべ」の項には、「末弭、本弭には山の神、地の神が宿る」と記載されています。
これは思想の問題です。同様に肩を後ろに引いてください。すると、
・上半身の力が抜けて、気持ちに余裕が出て、道具に意識を向けられるようになる。
・その意識を弓まで広げていき、最終的に本弭、末弭まで向けていく。
ことが出来ます。
すると、「本弭、末弭に神が宿っているように、意識を向ける」ことができます。
肩を後ろに引き、半分目を閉じるように薄目にしましょう。
すると、首の骨の最上位にある「頸椎一番目」の圧迫が取れます。
ここは、「情緒」を司る部位であり、緩めることで、共感や感謝の念を想像しやすくなります。
こうして「想像をしやすい構え」を作った後に、弓の本弭から末弭まで意識を行き渡らせます。そこで、「神様がいる」と想像します。
神様が宿るとは、本当にそこに神秘的なものが存在することを指しているわけではありません。
そのように意識を向けることが出来た時は、全身の筋肉がリラックスし、心が安定しているとわかります。
つまり、弓構えで弓の本弭と裏弭に宿る神様を想像できると、自分の身体がよくリラックス出来ているとわかります。
「三指揃える」「天文筋に弓を当てる」「人差し指と親指の皮に巻き込むように」と言う手の内の教えは全て使ってはいけない
まず、弓道連盟では、「三指揃える」「天文筋に弓を当てる」「親指を巻き込むように」手の内を教わります。
弓道教本でもこのように図で説明されていますが、
この内容を正面の弓構えで使ってはいけません。使ったら99%の確率で左手が力み、射型が崩れます。
この教えは、斜面打ち起こしの手の内の教えだからです。
「天文筋に弓を当てる」「三指揃える」「人差し指と親指の間に揃える」と説明されている先生は浦上範士です。
それ以外の先生は天文筋に弓を当てるように解説していません。
なので、弓道連盟でよく言われる手の内の先生は浦上範士の手の内の説明からきています。
この方法は斜面打起のように、弓の力が左手に加わった時に、成り立ちます。したがって、正面打起に使うのは不適切です。
むしろ、この間違った教えにより、「左手が握りすぎてしまう」「左腕が突っ張って押せない」「左手にマメができた、射型が崩れた」などの問題が起こりやすくなります。
この方法は正面では使えません。
「いや、三指揃えるのを正面打起こしでそう教えてはいけない理由があるの?」と思うかもしれません。
浦上範士は正面打起では、別の手の内を教えています。
浦上範士:「紅葉重ねの方法」を正面打起に応用するには、中指以下で三指の爪先を内竹の右角に当てて揃え中指、親指でしっかり弓を支え、(二巻、P95)
天文筋に当ててないですね
浦上範士:拇指を軽く中指の上に当て、「打起」から「引分」に移る際に、中指以下の三指は動かさずに、拇指だけを滑らしながら、拇指の付根の皮が内へ巻き込まれるようにし、(二巻、P96)
拇指を滑らせて付根の皮が巻き込まれるように動かすと書いています。弓構えでは、皮を巻き込んでいません。
証拠写真もあります。
浦上範士も正面打起こしでは親指が弓から離れています。したがって、天文筋にも親指も弓は当たっておりません。
よって、教本で正面打起の手の内で「三指揃えよ」「人差し指と親指に弓を当てろ」と説明している先生は一人もいません。
にもかかわらず、これを誤解して、弓構えで手の内で三指を揃えて力を入れさせたり、天文筋に当てさせたりする先生がいます。
文献上それを教えている人は一人も存在しません。やると高い確率で怪我や失敗が起こるやり方です。
だから、やらないようにしてください。
三角の手の内も弓構えの段階で行ってはいけない
次に、神永範士は、「三角の手の内」を解説しています。
これを見ると、弓構えの段階で人差し指と親指の間に挟み込んで握りたくなります。
これもやらないでください。この文章も大切な前提が抜けております。
この内容は、神永範士の師匠である阿波研造、吉田能安の三人で決まった、「手の裏の作り方」と同じです。
しかし、この手の裏の作り方の基本的な考えは
「最初は軽く握って、弓を回しながら握りを固定していく」ように左手を働かせるのが前提です。
神永範士、吉田能安先生、阿波研造先生は皆同じ考えで左手の作り方を解説しています。
この三人は同じ道場で射法を考え、手の裏の作り方を体系化させたことも吉田氏の文献に記載されています。
(弓道研究「吉田能安」Pー103から記載)
したがって、この手の内の考えも前提が抜けています。教本には、神永範士の手の内の説明で「軽く握るように」と記載がありません。
だから、誤解します。弓構えの段階でやらないでください。
会の時に
・三指が揃う
・人差し指と親指の間に弓がハマる
ようにしなければいけません。
それを弓構の段階で、上記の二つのことをやってはいけません。
ここまで教えた通り、正面打起の弓構で天文筋に当てるように説明している先生は教本では一人もいません。
だから、やらないでください。本当であれば、弓道教本の手の内の図も、「会の時にそうなる」と記載しなければいけません。
そうしなければ、全員弓構えの時にやると誤解して、大三で左手の握りすぎに苦しみます。
五重十文字は見た目を十文字にするわけではない
次に、五重十文字という用語があります。
冨田範士:五重十文字とて、五箇所の基本的十文字がある。
一、弓と矢 二、手の内と弓 三、弽の拇指と弦 四、胸骨と肩の骨 五、胸筋と矢 以上の五ヶ条である。
と記されています。
しかし、この五重十文字は本当は形を指していません。なぜなら、十文字にすると、 矛盾が多く残ってしまいます。
・脊柱と肩の骨・・・・・「射學正宗」に影響せられて、「前肩下巻」すなわち左肩を巻き落とせと言う射形が称揚せられた時代、それは明らかに直角を破る姿であった。
・矢と首は直角たれ・・・・乳突胸鎖筋と言うならば、これは直角をなしてはならない。
・弓と矢の十文字・・・・・下端に矢を番える日本弓では弓と矢は直角をなさない
・左の手の内と弓・・・・・極端な上押しをかけて手首を下に折って握ったら、或いは弓と直角をなすかもしれないが、そのようなものが流法にあろうはずがない
・弽と弦が十文字・・・・十文字の取り懸けなど四本弽では禁物であると同時に、できもしない。 (祝部範士:参巻、P101)
だから、この文章を「形を十文字」と解釈するのは間違っています。
ここでの適切な解釈は、「力のかけ方」が十文字と言う意味です。
例えば、左手に喩えます。弓の反発力は、上部と下部に対して、それぞれ、「斜め下、斜め上」に力がかかりますよね。加えて、弓の下部の圧力は強いため、手首を下に向けてはいけません。
手首を下に向けると、弓の下部からかかる圧力が手の中にこもってしまうからです。
であるため、左手首は少しだけ上に向き気味の状態が適切です。
少し親指が上に向くようにすると、弓の圧力が手の中にこもりにくくなります。
まず、弓の下部と上部の力、弓の下部の力の方が強いですよね。したがって、左拳には斜め上の方向に力がかかります。
この斜め上の力の方向を受けて、手首が上に持ち上がります。左手首を上に向き、「手の内十文字」が構成されます。
これは、人差し指、親指、中指の部位が少し浮き上がる「鵜の首(うのくび)浮きたる手の内」になります。
ですので、左手の弓は「左手首はやや上向きになる」のは合理的です。とすると、手の内の十文字(力のかかり方)は以下のようになります。
小指薬指がしまった状態で、弓の下部の力①を受けると、
「手首が立つ力(斜め上(裏的方向)②」に力が働き、
「左手を押す方向(斜め上(的方向)③」に力が働きます。
この状態で弓を押し返されるとするなら、弓の下部の力①は「左手首から左腕にかけて斜め下に押される力(斜め下、裏的方向)③」が左腕全体にかかります。
このように、やや下向きに力がかかるように方向づけをすると、左肩が下がります。会では、「やや左肩が下がるような状態」になることは、適切と教本の先生も解説しています。
最後に、離れ動作で左拳は斜め下に下がる力(的方向)に動きます。これは、左手を押し込む方向に合わせて、地球上の重力の力が合わさって、斜め下の力が働くようになります。
以上のように、五重十文字を「力の方向」と考えると、様々な手の内の教えも組んだ、適切な押し方がわかります。
五重十文字を「形」と解釈して弓と左親指で十文字にしようとすると、「左手の中筋は十文字」にならないし「鵜の首浮きたる手の内」もできなくなります。
しかし、五重十文字を「力関係が十文字」と捉えると、
少し左手首を上に浮き上がらせると「鵜の首浮きたる手の内」になり、「手の内十文字」が揃います。
力が十字(上下左右の方向)にかかっているので、「五重十文字の左手の状態は完成している」と言えます。
ちなみに、五重十文字は、昔の文献では、三つ弽であっても四つ弽であっても、「理(ことわり)は一つである」と説明されています。
「本書 会の項より」
総体五箇所に十文字の曲尺あり。弓と矢・・・・・・・・一文字十文字に二段に分けたる心は、いかに初の一文字と云は懸の大指の骨を一文字にしてかためず、・・・一文字十文字少ありといへとも理は一つに通ると知るべし
一文字は「三つ弽」、十文字は「四つ弽」という意味で用いられています。
このように、五重十文字はどのような弽であっても、通ずる一つの理屈を考えなければいけません。
共通して言えるのがどのような弽でも「十文字」に力を働かせるように方向づければ、射型全体が整うことです。
右手でも同じことが言えます。
会の時に、右手には、弦の反動力が斜め上の方向(的方向)にかかります。この力によって、右手は少し拳が立つようになります。この状態を「懸け口十文字」になります。
次に、楽に引くためには、「右手を横」ではなく、「右肘を斜め下」の方向に降りる必要があります。弓道で「肘で引け」と言われるように、右肘を斜め下(裏的方向)」に伸ばす必要があります。
すると次のように力がかかります。
そうして、右肘を引くと、右拳と右肩が近くように動きます。この時、中指で親指を押さえつける力は自然に働いているため、右拳が下がる力(斜下方向(的方向)もかかっています。
しかし、この力は極力抑えなければいけません。中指を押さえつける力が強すぎると、力が手繰ってしまうからです。
このように、「弦の下部の反動力(斜め上(的方向))①」「右手が立つ力(斜め上(裏的方向))③」「肘を引く力(斜め下(裏的方向)②」「中指で押さえつける力(斜下方向(的方向)④」と力がかかることがわかります。
首と矢の十文字、両肩と背骨が十文字、弓と矢の十文字も同様に十字方向に力がかかっているとわかります。
昔の文献を取り上げても、形が十文字であるように説明している文章の記載がありません。したがって、五重十文字は形では構築できません。他の教えを全て実践した上後で「力のかかり方」が十文字になります。
したがって、五重十文字は三つ弽であろうと、四つ弽であろうと、日本の弓であっても全て、実現できます。
このように、弓構え動作は、
両腕をより合わせることでほぼ全ての教えが完成する。
と言うことがわかります。ぜひ、実践ください。
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