教士審査論文 「射品射格の向上を図るためにどのような修練が必要か述べよ」

~はじめに~
幼少のころ、私は自分が好きではありませんでした。他人と比べて身体能力が低く、学力の不安、何をするにも自信が持てず、消極的、内向的で他人を羨んでばかりいました。そんな私に弓の道をすすめてくれたのは父でした。今でも私が射品射格の向上を目指して弓道修練を続けているのは、父の教え、父の「思い」があったからです。

父は自らの弓道修練を通して会得した技術や理念など、あらゆる真理を私に伝えようとしてくれました。私も弓道の修練を通して徐々に体力を付け、少しばかりの高的中に自信が芽生え始めて他者と競うようになると、特に技法と心法を一体とする難しさと大切さを強調するようになりました。

おそらく、心身共にに成長していく私の人間性に案じ、高めようとしてくれたのだと思います。もちろんまだまだ修練途中の未熟な人間性でありますが、今では他人に比べて妬んだり、自分を偽ったり、他力本願的に妥協することは少なくなりました。

~どのような修練が必要か~
弓道教本にもあるように、弓道修練の眼目(理念)には
〇射法、射技の研修
〇礼に即した体配の修練
〇射品、射格の向上
〇人間完成の必要
の四つがあります。この四つは四つの段階でありそれぞれがある程度体得されないと次項の真意が理解しづらいものと感じます。

私は現在、高校の教員ですが、弓道などの武道に限らず現代の学校において、部活動は全人教育の場として人間形成に大変重要な意義を持っています。弓道部指導の最終目標は「(高校生なりの)人間完成」ですが、完成された人間など居ませんから、生涯そこに向かおうとする姿勢=「向上心」を育てることが大切だと考えています。

教師とはいえ、ただ指導書を読ませたり口伝教えるだけならだれにでもできます。教師もまた悩み、努力を続ける姿を生徒に見せることで「背中で教える」つまり「実践射行」ができるようになります。これは私の信念であり、父からの教えでもあります。

射品射格の向上図る自分自身の修練方法も大事ですが、指導する生徒たちにはまず射法八節に代表される「射法、射技の研修」を徹底させ、正射必中の概念を植え込む事が絶対条件になります。

正しい射とは何か、なぜそこに外れたのか、どう修正すべきか、そのために今、何が必要か、常に自問自答させ仲間と共に研究させます。そのうち高的中を維持するためにはただ形が良いだけではなく基礎基本に忠実であること、つまりそこに向かう基本の姿勢と基本の動作からなる基本体(体配)の徹底が必要であると内発的に気づかせるように指導しています。

基本動作に関しては弓道教本にある八つの注意点、腰を基幹とした胴づくり、正しい眼づかいと息合いから生じる動作の間と残心(身)、正気体で隙がなくなるまで丁寧に行うことに留意しています。優秀な選手ほど、形骸化した外発的なものでは足りず、礼に即して誠に尽くす心の在り方が肝要であることに気づいてくれます。

弓道を志す生徒には最初から「至誠と礼節」に興味、理解を示す者もいますが、大半は見た目の格好よさやスポーツ性の的中への憧れから入部してきます。これらの生徒に的中させる真の技なくして心の在り方をいくら説いても「礼に即した体配の修練」の重要性はわかりませんし、射が悪ければ見るものも興醒めてしまいます。

しかし、射技、的中の優れた者が誠実に礼を尽くして美しい体配を行うと、素人にも深い感動を与えることができます。射技と体配は車の両輪と云われ、両方がそろって初めて「射品射格が向上」することになります。

技法はある程度、師や仲間と共に道場において修練する必要がありますが、礼節や誠を尽くす心は一人でも普段の生活から心掛ければ高めることができます。周りに誰もいなくても自分自身が自分の行動を見ています。己を欺かず、恥じない生き方をすることで周囲の誰からも、いや誰よりも自分自身が己のすべてを信頼し、自身を持った人間になれます。これが試合や審査など緊張した場面や、人生の重大な局面においても動じない強い心を鍛える必要があります。

よく「射品射格は人の品格を高め、人の品格は射品射格を高める」と云われます。言い換えれば「人格が高くないと射品射格も上がらない」とも取れます。これに異論はありませんが、生徒を見ていると気づくことがあります。

最初は特に高い志もなく、何気なしに入部した弓道部で全国優勝経験や技能優秀賞をいただくことから、逆に礼節、和敬、克己、謙遜、といった人格が高まり、他の学校生活における評価も高まっていくケースがあります。すると更に高見を目指して範士の射を見取り稽古したがったり、より強い学校に合同稽古を申し込んだり、学習面などの実生活を自ら厳しく突き詰めたりするようになります。

これこそ弓道(部)を理想とする人間形成の修練方法ではないでしょうか。「射品射格を高める」為に人格を高める生活を送るのではなく「人格を高める」為に射品人格を高める稽古を積むのです。

思えば私も最初から人間完成を目指して稽古を始めた訳ではありませんでした。しかし、良き師でもあった父の思惑のとおりか、今ではこれほど没頭できる弓道に出会わせてくれた両親に深く感謝しています。

~おわりに~
そんな父が積年の夢であった教士の一次審査を通過し、二次の特別審査を迎えることなく他界しました。さぞ無念であったろうと思います。父は何をするにも誠実で、自分に恥じることなく誰からも信頼された偉大な人間でした。晩年は悪癖に苦しみましたが、決して諦めず、自分の心と弓道に背を向けることなく、ただひたすら基本に忠実来る日も来る日も稽古を続けていました。

私には弓道人としても、社会人としても、職業人にしても、家庭人としてもこれほど父を尊敬できる人は他にいませんでした。人格の向上が射品射格を向上させるのなら、病魔に襲われなければ父は必ずや教士に昇格できるはずです。そしてこれと同じ内容の論文を書いていたはずです。この論文は父に代わって共著のつもりで提出させていただきます。全日本弓道連盟には、父に教士号の追授を頂き、家族共々心より感謝申し上げます。

今後は私自身が父の思いを引き継ぎ、生涯を掛けて修練してまいります。そして「実践射行」の精神のもと、教士として範を示しながら多くの生徒を育て、弓道の魅力を継承することで恩を返し、弓道連盟に貢献していきたいと思います。

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