正しい弓道教本3巻:引き分け

弓道

■鈴木範士が正しい引き方を説明しているわけではない

この文章を読むとほんとよくわかります。

範士の弓の引き方自体の解説が適切かどうかがわかります。

教本の内容を見ると、弓の引き方の説明が異なっているとわかります。それは、「根拠を持った弓の引き方」と「その人自身がやりやすいと感じたもの」の二つに分かれるからです。

ここで、「個人的に引きやすいと感じた引き方」を取り入れてはいけません。それは、その人自体が面白いと感じただけで、あなたの骨格には合わない可能性が高いからです。

例えば、鈴木移範士が良い例です。

鈴木伊範士:拳の移動するにつれて、やや迎え肩にするのが良い

この文章の「良い」。何を根拠に「良い」と言っているのでしょうか?根拠がわかりません。胴造において、肩を前に出してしまうと、左肩が後ろに引けてしまい、「後ろ狙い」になってしまいます。

加えて、肩が前に出ると、指に力が入りやすくなります。実際、肩を前に出した状態で、指を握る運動を行ってください。右手に力が入りやすくなるのがわかります。

さらに、右肩を迎え肩にすると、やっぱり左肩が後ろに引けないように気をつけてくださいと解説されています。

そうではなく、左右の肘を外に広げれば良いのではないでしょうか?

なぜか?鈴木さんのように、右肩を少し前に出すように迎え方をしなくても、「いないいないバァ」のように、左右の肘を外に広げて、加えて弓を身体に近づければ良いのです。

そうすれば、「迎え肩」のように、右肩を前に出さなくても、同じような状態で弓を引けます。

大袈裟でもいいので、鈴木さんのように右肩を前に出して、大三を取ってください。確かに、引き分けで右肩に力が入ります。しかし、これを行うと「右手の指に力が入りやすい」「左肩が後ろに逃げやすい」という問題が起こります。

では、「右肩を後ろに引き、弓も身体に近づけて大三」を取ってください。すると、肩を前引き分けで肩で受けるように大三も取れます。

加えてこのポジションなら右手の指に力が入りません。さらに、左肩が後ろに逃げやすいという問題も起こりません。

ですので、鈴木範士のように迎え肩にしたいのであれば、

・肩を後ろに引いて、弓を身体に近づけるようにする

ように意識しましょう。

鈴木伊範士:徐々に引き開くべきかというと、早きは味はなく、遅きは軌道を失い、

肩を前に出すような「迎え肩」の状態では、引き分けのスピードを調整するのは、とても難しいです。実際に行ってみてください。この状態では、引き分けの引き始めが早くなりやすいです。

しかし、いないいないバァの動きで左右の肘を外側に回そうとすると、スピードのコントロールがしやすいのがわかります。

なぜなら、迎え肩の姿勢にしてしまうと、右肩の位置が固定されてしまう為、右拳と右肘を意識して弓を開いていかないといけません。すると、大三で一時的に動作が停止してしまっている為、右手を横に引き込む意識を強くしないと、弓を開けません。

すると、引き分けの始めが右拳の動きが早くなりやすいです。しかし、いないいないバァの引き分けの場合、右肘を先に動かしますので、右拳の動きを調整することが可能になります。

さらに、鈴木先生の文章を見ると、「弓の引き方」ではなく、自分の意見だけを言っているようにしか思えない文章があります。

鈴木:弓は肘で引くのではなく、右拳で引くもの。

この発想は危険です。鈴木範士は右肩を後ろに引くことで楽に弓を弾けることを「知らない」と言わざるを得ません。

なぜ、右拳で引くものだと言いたくなるかというと、「迎え肩で引く」ことが良いと思い込んでいるからです。

確かに、右肩を前に巻けば、弦を引き込みやすくなります。右拳に力を込めて弾きやすくなります。しかし、離れは出しにくいです。右肩を前に巻くと、右肘を右肩より後ろに引き込めないからです。

私も長年右肩を前に巻く、迎え肩の引き肩が良いと思い込んでました。この方が強い弓を引く時に右拳に力が込めやすく、引きやすいと思い込んでました。しかし、引き込みやすくなりますが、離れは緩んでしまうため、全く的中はできなくなります。加えて右肘も痛めやすいです。

今は、この方法ではなく、いないいないばあの引き分けを行って、強い弓も引けて、右手の力みも消えて、離れもスムーズになり、的中も出ています。だからこその私見です。自信を持って、迎え肩の引き分けは将来的に良くないと言えます。

たしかに、範士の先生が話しているから、なんとなく良さそうな教えに聞こえるかもしれません。しかし、それは全員に当てはまるとは言い切れませんし、むしろ合わない人も出てきます。だから、範士の先生の考え=正しいと反射的に思わないでください。

だからこの方法は、おすすめできません。

鈴木範士:主となるのは拳であり、副は肘であり、肩であり背中である。

この発想は危険です。弓を弾き、離す時は右手首は極力負担を減らして肘で引いていくように意識しないといけないのに。

鈴木範士:離れた時に右拳が内側に止まるのは、肘で引き肘で離れた証拠であって、反対に拳で引き拳で離れたものは、拳が右腕と一直線の形状をなして止まる

???全日本弓道連盟の9割近い高段者が、右拳と右腕が一直線に伸びた離れを行いません。そのほかの昔の弓道の先生もこの離れは行いません。

このように、文章をきちんと読んでみてください。その人の文章をよく読むと、「矛盾点」がたくさんあります。だから、私は鈴木範士の記された引き分けの方法はできないし、推奨できるものではないと考えています。

祝部範士:右手は浅い円を描いて引き出さなければならないはずである。古人もこれを知っていてニジの架け橋と教えていた。

いないいないバァを行ってください。左右の肘が楕円を描くように動きます。その結果、右拳が架け橋のように動きます。これは、宇野範士の「反橋」と同じ内容です。

祝部範士:左右同時に行動はするが、左に全ての命令権があって、左が先んじて行ない、右がこれに従う

この文章の通り、打起こしに入ってからは、最初は、左拳から最初に動きます。だから、「左拳が先んじて行う」と記しています。

これは、左手を先に降ろせと記していません。

いないいないバァを行ってください。左手首から回すのではなく、左肘から動かして、その後左手首を回してみてください。

そうすると、弓を徐々におすことができます。その最中に、親指と小指が少しずつしまっていくことが体感できるでしょう。

松井範士:的は左肘関節と拳の中間、二の節の上に見える

少し、大三をい広目にとるとこのような位置にきます。いないいないバァの引き分けを行えば、この位置に車で左腕を伸ばしても、左腕の力みは少ないので、遠慮なく伸ばしてみてください。

「肘尻で受けながら」というのは、高木範士の「右肘で弓力を受けて」と同じ意味です。いないいないバァで右肘を外に引っ張ってあげると、右手がひかれ、右肘付近の筋肉

に力が入ります。

ちなみに、いないいないバァのようにミ右肘を動かそうとはっきり解説している文章もあります。

■■いないいないバァで肘先を後ろに開いていく■■

冨田範士:肘先を後方雁金骨(肩甲骨)の後ろへ引き回すように引き分ける。

■■■いないいないバァにより、左肘から弓を動かし、あとで左手を回してください。「徐々に左方」に動くようになります。■■■

冨田範士:正面より徐々に左方に移し

冨田範士:押すとも見えず、引くとも見えず、何時とはなく自然に引き分けるのが良い

いないいないバァをやると、肘が上→斜め上→横と曲線を描くように動きます。すると、「何時もなく」という言葉の意味が「徐々に押し開いていく」という言葉と同じ意味とわかります。

高塚範士:弓手は徐々に押し開きつつ、前膊を内へ捻り気味に

冨田範士の「徐々に」と同じ内容です。

松井範士:弓の側面にある虎口を、拇指大指と小指を締め、脈所を生かして徐々に押し開きつつ、的と眼の一線よりやや前上方へ移行するのである。

これも「徐々に開く」ことをいいっています。

次に、

ちなみに、いないいないバァを行って、徐々に押し動作が始まるということは、

■■■左手も徐々に押し開いていく■■■

ということがわかりますね。

冨田範士:内竹の右角に弓を擦りながら、中指の爪と重ねられた拇指先の腹は次第に、弓の右側の側木い慣れついてくる(P120)

冨田範士:弓が拇指と人差し指との股に吸い付けられた心持ちとなる。(P120)

高塚範士:拇指根で受けた弓の握り皮は吸い付くようにしまってくるので、(P122)

■■いないいないバァを行うと、左腕が自然と内側に回るという運動が起こる■■■

ということがわかりますね。

高塚範士:大三で右手の肘に弓手の誘いが伝わる頃には、弓手は前膊を内側に捻り気味にし、

高塚範士:柔らかなひねりは、引き分け・会に入るに従って角見の働きを益々助成して右手に響き

いないいないバァで左肘から動かして、左手首を動かすと「徐々に弓が入っていき」「ジョジョに手の内がしまってくること」を解説した内容で同じ文章がこちらになります。

そうすれば、左腕が伸ばされる量が自然と多くなりますので、

■■左肘から動かして、伸ばしていくと、本の少しだけ腕が曲がった状態になる■■

ようになりますね。こちらの文章に記されています。

冨田範士:はじめより、左手を伸ばし切ってツクんい突っ張ることは悪い。多少の余裕を残すことが肝要である。これを骨を残すという

■■左手にかかる圧力が大きくなる■■

とわかります。

その通りに文章も記しています。

冨田範士:「いかほどに、剛きを好め押す力、引くにここのありと思えよ」とあって、左手の押す力は十分強くあれと教えている。

この教歌の解釈は違うと思いますが、左手にかかる圧力は強くなっているとわかります。

さらに、右腕をみていきましょう。いないいないバァをおこないます。左右の肘が外側に開きます。そして、左腕が的方向に伸びます。そうすると、

■■右肘は外に開き、右手は的方向に引かれる■■

この時、右前腕の筋肉が伸ばされる感覚になりますね。

この文章、同じ内容を解説している先生がいます。

松井範士:右手は、・・・弓手を押し開くことによって、弦に加わる力を懸け口に応えて、弽の紋所を幾分外側に張り気味に、肘尻で受けながら、

弽の紋所が外側に張り気味というのは、「右肘が外にいき、右拳が的に引かれて、右上腕が伸ばされている」ことと同じ内容です。

松井範士:肘尻をそのままにして、手首だけの所作で位置を変えると、矢を押し出したり、あるいはしがんだりするから、懸け口はどこまでも紐付けで応える心持ちで

この文章も結局「いないいないバあ」の運動で、前腕を伸ばしてくださいという意味です。

「肘尻(の位置)をそのままにして、手首だけの所作」ではだめといってますよね。じゃぁいないいないバァの動きをするしかないじゃないですか。

いないいないバァで右肘を外に広げれば、右手首は伸ばされます。松井範士の記された文章を実践するのであれば、いないいないバァを絶対にやってください。そうでなければ、できません。

松井範士:圧力を懸け口に受け、拳をやや外側に張る気持ちで肘尻で答え、

前腕が伸ばされると、肘あたりの筋肉が伸ばされます。すると、「肘尻」で応える感覚を得られます。

あるいは、いないいないバァを行うことで、「胸の筋肉」の様子を見ていきます。肘が左右に広がることで、胸の筋肉が左右に引っ張られます。

ちなみに、いないいないバァの動きによって右手が的方向に弾かれると、

■■右前腕が軽く捻られる■■

ことがわかっています。

さらに、右拳が捻られると、

■■右肘が少し吊り上がる■■

こともわかりますね。それによって、右肩が少しだけ上がった感覚になり、上肩で弓の反発力を受けている感覚を得られます。

冨田範士:少し、上肩を受ける心持ちが良い(P153)

冨田範士:専ら肘力にて肘先が垂れ下がらないように、張る心持ちにて引き、(P131)

■■いないいないバァによって胸がすぼむように動く■■

ことがわかります。

これも範士の先生が解説しています。

安沢範士:上部(胸)の息気を吐いて、胸が虚になることに依って横隔膜が下がり。

いないいないバァを行って、胸の筋肉が左右に広がり、胸の内部が縮まれば、このような動作になるとわかります。

ちなみに、いないいないバァをするとき、胸の筋肉が広がります。これに依って「肺の圧迫、負担」が軽減されますので、

■■いないいないバァによって、呼吸は腹に入るようになる■■

ことがわかります。

安沢範士:吐く息が正しい呼吸であって、決して力んだり丹田(下腹)をことさら堅くするのではない(P126)

■■たとえ引き分け動作でも、いないいないバァによって呼吸は楽に行える■

ことが体感できると思います。

冨田範士:息詰まる時は息なし、平なる時は息有り。詰むる時は目も手前も目当て物に奪われて眩み見えず(P127)

冨田範士:平息とは常の息なり、作る息にあらず(P128)

次に、いないいないバァを行うと、手先に力が籠もりませんので、

腕の筋肉をどこまでも伸ばせる感覚になる

ことがわかります。

冨田範士:正面打起こしから中力を取るのは、・・・・・外見上一時進行が中止されたような状態で、これは力の淀である。決して中断されるのではない、

■■多田先生の文章には多いな矛盾がありすぎる■■

最後に、また批判めいた文章になり、申し訳ありませんが、範士の先生=だから正しいという思考に陥ってしまうと、このような文章を「理解したつもりで理解できていない状況」になります。

特に、多田範士がそれ。文章を見ると、聞こえの良い文章に対する矛盾点が多すぎて、何が言いたいのかわからないです。

具体的にどこがわかりにくいかを解説していきます。まず、

多田範士:各芸道において、呼吸がぴったり合うと、演ずる人は無我の境地に入り、観聴く人もこれと一体となるように、行射の一射一節が無理のない運びができて、(P134)

多田範士:「無理な息をしてはいけない」(P135)・・・・・・・漸くここと思うたのが如何にも平凡で、眼の前にあった。それは日常の呼吸である。

この文章を見ると、冨田範士の「平息の息が正しい」と同じ内容に聞こえます。が、その後の文章を読むと、「日常の呼吸ができない、姿勢、呼吸の仕方」を解説しています。

その一覧をあげます。

姿勢を正しくする:姿勢は、行射の基盤をなす最も大切なものである。・・・・尻は後方に張り、ひかがみは伸び。

尻を後方に張ってひかがみを伸ばすと、背筋に負担がかかるため、呼吸運動がしず楽なります。

多田範士:行動を始める第一歩として、腰骨を伸ばし、膝屈を伸ばす。この時、気はおのずから腹に収まる(P137)

これは、気が腹に治っていません。膝屈を伸ばし、前傾姿勢にしたことで、背筋が張ります。すると、腹筋も張ってしまい、力んでいるだけです。

東洋医学的に、気が収まるとは、自分で何もやらなくても、酸素や意識が腹に収まる姿勢を作ることです。この文章は、自分で意図的に腹に力が入りやすい姿勢を作っています。

多田範士:打起こしから大三に移行する時に、適当の量を必ず吸う、その量はあまり深息はいけない。もちろん、腹に気が収まっているから、腹力が抜けない限り、出来もしない。

確かに、「前傾姿勢」にすると、呼吸が浅くなるため、深息はできなくなります。しかし、そうすると、普段の生活における「平凡な呼吸」とはかけ離れた状態になります。

多田範士:腰骨は天へ、膝屈は地へ、無限に天つき地つきんい伸びるよう

完全に前傾姿勢の説明です。この姿勢では、意識せずに楽に息が吐ける日常の呼吸はできません。それでも問題ないのでしょうか?

多田範士:竪は天地に伸び、横は左右に自由に働けるような、

これまでの文章で、3回に渡って前傾姿勢にするように解説されています。前傾姿勢にすると、肩甲骨は寄せられるように背中の筋肉が働くため、左右に自由に働く感覚は得られません。

多田範士:吸うた息を吐いてしまってはいけない。また止めてもいないから前に述べた「日常の吐く息」の途中である。

この呼吸の仕方を「日常の呼吸」と解説するのには、無理があると思います。日常生活で、息を吐かないでかつ止めないようにもしている「潜水」のような状態になっている人はほとんどいません。

多田範士:止めた息を吐くにはいきみがある。

そうかもしれませんが、吐いた息にいきみがあると、P135で最初に記した「無理のない呼吸」ができていないように考えられます。では、この文章で言われる、「いきみがある呼吸」と「無理のない呼吸」は同じものと捉えていいのでしょうか?

多田範士:竹林弓術秘書に、張合、釣合、息合について、左のごとく記してある。

張合:張合ということは・・・・

釣合:釣合は射手の善悪によらず・・・・

息合:息合というは、弓の釣合すわりを附る第一なり、

実際に、尾州竹林弓術書を見ると、こんな文章は存在しません。息合に関していうと、原文は全然違います。

その代わり、魚住文衛範士の四巻の書の文章にはあります。しかし、四巻の書は、尾州竹林弓術書の原文から一部分だけ切り取って、解説された文章です。ですので、張合、釣合という言葉を勝手に使ったとしても、「文献に基づいた考え方」ではないことは間違いえません。

多田範士:ただ習う外に上達はないと思う如きは愚である。

そういう考え方は確かに大切ですが、上記のような「詳細な文献を記さないで、根拠のない言葉で弓の引き方」を解説されるのは非常に危険です。

一番最初の文章は、「無理のない呼吸」「日常の呼吸」が大切と説いています。しかし、後半になったら、「前傾姿勢」になるように良い、

ここまでの文章を見ていかがでしょうか?この文章の内容は正しいかどうかは皆様に判断します。

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