今回の記事では、教本を読むときに絶対に行ってはいけない「内容をバラバラに読む」ことについて解説していきます。
教本の文章を読むときに、文章の内容を実践しているが、全然弓を楽に引けない人がいます。あるいは、読んでいても解釈を間違え、誤った身体の使い方を行っている人がいます。
このようになってしまう理由は、教本の読み方を内容をバラバラに読んでいるからです。そうではなく、「やりたいことを一つに決める」と、楽に読めるようになります。
では解説します。
読める人と読めない人の文章の読み解き方の違い
例えば、教本二巻の神永範士の文章の読み方を解説します。まず、教本の原文を見ると、
神永範士:弓道の胴造りは立禅の姿と言える。腰骨の前側面をちょっと上に向けるようにして肛門を閉じ、的の付根を張る。みぞおちを軟らかにし、あまり凹まぬように伸ばす。
となっています。ここで、できない人は、
・腰骨の前側を立てるように少し腰を立てるように意識しよう。
・その状態でお尻を閉めよう
・太ももの内側にも力を入れて
・みぞおちも伸ばそう
と別々に内容を切って文章を読みます。一方、読める人は。
太ももを外側に回そう→自然と骨盤が垂直にたつ→太ももの付根が自然と寄り、お尻が自然としまり、太もも付根を張る→胸郭が後ろに引かれるので、みぞ落ちが少し凹み、上方に伸ばしやすくなる
と考えます。
つまり、できない人は、この文章を読むと射の最中に、「腰」「お尻」「太ももの付け根」「みぞおち」の各部に力を入れたり意識を入れたりします。
しかし、文章が読める人は、この文章を読むと「太ももを外に回す」ことしかしません。あとの内容は、太ももを外側に回すことで、全てできたことになっていると解釈できるからです。
本を読めない人は文章を読むとき、一つ一つのフレーズを別々に切り分けて行おうと思います。だから、弓を引く前に余計な意識と力みが出てしまうため、弓を引きにくくなってしまいます。
しかし、読める人は一つ一つのフレーズは「一つの動作から繋がって、成り立っている」と理解しています。すると、弓を引く際余計な意識がない分心に余裕が出ます。
このように、読めない人は文章の内容をバラバラに取られてしまうから、わけがわからなくなります。
あらゆる動作は一つの行為を行うことで実現できると考える
このように、弓道の動作は一つの動作があらゆる内容に繋がっていると考えて読むことが大切です。
そうしなければ、どれだけ難しい文章を読んでも、頭に入らないし、「で、結局何がやりたいの」と思いたくなります。
というより、弓を引いている最中に、複数のことを意識できません。
ある研究では、人の頭は一つのことに集中して行った方が複数のことを同時平行で行うより集中力が向上することもわかっています。人の頭はなんでもかんでも意識して一気に実践できないようになっています。
そのため、どれだけ読んでも言いたい内容ややるべき内容がわからないし、文章を読んでも忘れてしまいます。
そうではなく、教本の文章は「本当にやるべきことが一つであり、その一つによって他の内容も繋がってできるようになっている」と思ってください。
そうすれば、文章を読み方、理解、意味、言いたい内容がわかるようになってきます。