射、狙い目、射以外のときの心構え

小笠原流歩射に載っている稽古、射場における気分の内容をまとめます。射場での気持ち、心構えは教本にも載っているので、参考程度に眺めておくと良いでしょう。

・射を行うときの気分
射を行うとき、自分の主観や雑念が入ってしまうと、余計なことをしたり、射に自身が持てなくなったりしてしまいます。

このような、負けないぞと意地を張る気持ちと「ます気のこと」、気持ちがおじけついてしまうことを「劣る気のこと」と言っています。双方とも射場においてはよろしくねい心持ちです。

そのため、吾身を日月のごとくに思って、なに物も恐れることなく射を行うべきです。これを「日月身」と言います。

例え初心未熟といえども、師の教えに反かず、正しい射を行い、ありのままを示そうと稽古をするべきです。

喜、怒、哀、楽、悲、恐、驚、憂、愛等の感情は人間の中に本来あるものですが、射行には害を及ぼします。これを「憂気の事」「悲気の事」「愛気の事」「喜気の事」「七情の事」といい、、修行においてはこれを鎮めるようにします。

・一射行うときの心構え
早矢乙矢をとるときも二本目に頼るのではなく、一本一本に集中するように心がけます。乙矢に頼らない、早矢に、というより一本一本気持ちをこめることを「後の頼む気の事」と言います。

この気迫を込めた一射は大切な一射と考え、それは粗末に射た二百射より勝ります。これを「百手一手、一手百手」と言います。

同様の意味でそのときの体の使い方としては「うかめ心の事」一矢でもうっかり射てはいけず、一矢一矢について、五身、七道、十文字、八方詰をよくよく年をいれて射るようにというのです。

気持ちを込めること、一本一本に集中すること、これは心の妨げや陽気でさわる気持ちのない状態,、この二つを生死に例え、生死に囚われないいつも平らな気持ちで射よという教えを「射手の生死」と言います。

・狙いの心構え
昔間合不定のころはまず遠近を判断をするのが第一であったので、蜘蛛が距離を見定めて最初の一筋の糸をかけるにたとえたものです。これを「蜘蛛の尺」と言います。(今日は的の距離が決まっているのであまり関係がない)

的から一分外れることと大きな外れとは中らぬことにおいて同じ、そして、的狙う
一分の的は一厘を射、一厘の的は一毛を射る。いかなる的でもその中心を狙えということ風に教えています。これを「一分三界」「分の事」と言います。

・射以外のときの心構え
往年の射手が射場に行くのに弓具は供人に持たせる、一人で行くときは必ず右手右肩に携えて左手左肩は大切にすることで、平素より身体を大切にし、いつでも射にさしつかえないようにうすべきです。これを身の養生と言います。

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