細かい取り決めが多くなりすぎると、かえって失礼になる科学的な根拠

礼儀や所作には細かい取り決めが多く存在します。しかし、これらの内容を必要以上に決めてしまうと、かえって失礼な行為を行ってしまう危険があります。

特に、高段者や指導者ほど気をつけなければいけません。なぜなら、こうした人達は細かい取り決めは頭でわかっているので指摘できますが、実際の射の指導や稽古において、失礼な行為をたくさん行っている可能性が多いにあるからです。

そのためには、礼における本質的な内容を読む必要があります。

「神に背を向けるな」という言葉でわかる礼の本当の意味

以前の記事で「左進右退」の内容で、「神棚にせを向けないため」と解説しました。ただ、この考えは後付けである可能性があります。神棚に背中を向けるといっても、入場する際から常に神棚に背中を向けないように身をこなし続けるのは不自然だからです。射場に入ってから背中を向けてはいけないのは、わかりますが。最初の入場から向けてはいけないと解釈するのは不自然です。

このように、安易に神棚に背中を向ける=失礼という風に何でも神と結び付けて、余計なルールを作るのをやめましょう。そもそも、神棚に背を絶対に向けてはいけないのでしょうか?そういうことを言いたいわけではなく、この言葉の意味は、「その場にいる人達が皆周りに気をつけて動作を行う」という意味です。

この内容については、寺で20年以上修養をし、実際に働いてきた経験談をもとに解説していきます。

礼法が出来上がった理由は、「全然知らない赤の他人と不快感なく過ごすため」にできたものです。これは、「そうしましょう」と皆で取り決めをしたわけではなく、極めて自然的に発生したものとしている文献、書籍があります。

昔、お金やネットなどのツールがなかった時代、人間同士は互いに物質や食料を交換して生きていました。そこで、物質交換を行う時に知らない人同士であると、お互いが信頼していないと、争いや窃盗をされる危険があります。知らないもの同士がともに暮らすことはストレスや困難を伴うものと考えられます。

そこで、人間同士が社会的生活を円滑にするために、「皆さまが全員が納得する共通の価値観を一つ決める」ことになりました。そこで、挙げられたのが「自然を敬う」ことです。

昔、人間が自然を敬っていたのは「震災や災害、病気から身を守るため」のが理由です。大きな災害が起こったとき、病気になったとき、知識や情報がなかったときは自然(神様)へ悪い行いを行ったからと解釈されてきました。人の憎悪や憎しみ、悪いたくらみより自然災害は強大です。そのため、人は共通して自然に対して畏敬の念を持つ考えは自然と持ち合わせていました。

このことから、お互いの素性を知らない人間同士が社会的生活を育むときは、自然(神)に対して感謝を気持ちを持つよになりました。これを具体的に視覚化したのが仏壇です。

仏壇は「死んだ人を思い出すためのもの」のようにとらえられますが、実際には、「仏像」に頭を下げます。仏像に礼をすることで、お互いに対面になって手を合わせて、自然の大切さを確認するために頭を下げます。

このように、神棚に背中を向けてはいけない理由とは、「神様に失礼だから」ではなく、周りを取り巻く人と円滑に過ごすためです。そのため、神棚に気持ちを向けるをお互い共有し、円滑に過ごしましょうと一時的な内容を言っており、常に神棚に対して身体を正面を向け続けろと言っているわけではありません。

礼の考えを誤ると、失礼な行為をたくさん侵す

この考えを理解しないと、礼の考え方を冒涜する結果となります。なぜなら、今日の弓道の高段者は神棚に背を向ける=失礼という理由だけで勝手な取り決めを作っているからです。

以下に私が実際に見てきた道場で実際にあった余計な取り決めをお話しします。

例1:道具一つの付け方もいちいち決まりが多い

・ゆがけのひもをつけるときは神棚に結んでいるところのあり様を見せるのはみっともない、だから後ろに向けなさい、かといってお尻を完全に向けてしまうと神様に逆に失礼になってしまいます。そのため、ゆがけをはめるときは、自分の右肩を神棚に向けて、かつ斜めに向けて座りなさい (栃木県某弓道場高段者の忠告より)

いかがでしょうか。このような指摘をいただいた場合、あなたは「円滑に過ごす」気分になれるでしょうか?このように、神に失礼だからという理由で、細かく決めすぎると神様に対して無駄に気を使うし、人間関係も円滑に作れなくなります。どうでもいいことでマナーが悪い、失礼と言うようになり、結果的に人間関係が崩壊します。

では、このときの正解はというと高段者がお手本を見せることです。神棚に対しても頭を下げて、周りの人にも配慮をし、助けたり支える「行動」を周りに見える形でします。

こういう行為を行うことで、他の人達は「そのように行動すると、礼儀になるのか」と学び実践します。つまり、礼儀は指示して動かすものではなく、自分たちで進んで行うように上の人間が手本を見せ続けることです。

例えば、私が主催する団体での稽古会では、下の人達が失礼なことをすることはありません。皆さん進んで矢取りに行き、所作を学び、片付けも何も言わずにせっせと行います。その理由は、上の人が先に片付けを積極的に行うからです。

連盟の稽古を見ていると、高段者が自ら進んで片付けや雑用をすることは少ないです。たいていの場合、低段者の人達が、高段者から言われる前に、片付けを行います。しかし、実際は高段者に気を遣わせるような振る舞いを高段者がしてはいけません。

実際、社会で圧倒的成果を挙げている人は、上の地位であっても腰が低いです。マイクロソフトの創業者ビルゲイツは自分のビルゲイツ、イエローハットの創業者の鍵和田社長、松下電器の創業者然り、全員に共通して言えるのが「トップでも社内の雑用をこなしていた」と言います。しかも、共通して言えるのが「雑用をするのが好きだからやらせてもらっている」と言います。

ところが、弓道の世界の高段者になったら、月例会や普段の練習の片付けを手伝うことは少ないです。専用の小部屋や控室に先に行って自分だけ身支度をする場合があったりします。こういう心構えは明らかに礼の本質からはずれています。

例2:口だけで指導する高段者

あるいは、高段者は「後ろの射位で前の人を指摘する」場合があります。

前の人が引いているときに、落ち的で「〇〇が駄目」とか「▽▽をしないと」と指導します。一見、後ろから見ているように思いますが、これも失礼に当たります。

では、礼の本質から考えると正解は「指導者は前に立って適切な引き方を見せる」ことです。

想像したらわかりますが、引いている最中に「〇〇しないと」と言われたとしても、指摘された側は高い確率で

「いや、そもそもどういう引き方をすればゴールであって、何をすればよかったことになる?」

「今のあなたが行った指摘はそのゴールに対してどこがずれてたから指摘したの?」

という気持ちになります。なぜなら、高段者が口だけで指導をして、適切な引き方を体で見せていないからです。

礼の本質は「皆で自然に礼拝し、周りを取り巻く人間関係を円滑にする」ことです。つまり、自分たちで進んで頭を下げるものです。上の人間が下の人間に対して考えから遠ざかります。

左進右退を行う理由で、神棚に背を向けないのは、一部そう言えるかもしれません。しかし、本質的な理由になりえません。このことを頭に入れないと、「正しいことをしているつもりが失礼なことを行ってしまう」結果を招きます。

例3:前に立って、指導をする

最後に、高段者は受け手の正面に立って指導することがあります。

おそらく、受け手の正面に立ったほうがその人の射型が見やすいからと考えられます。ただ、この指導の仕方は礼儀的にも心理学的でもアウトです。

まず、「神棚に背中を向ける=失礼」という考えからすると、一番高段者がお尻を向けているのでよくありません。いくら、「正面から見なかったら、その人の射型がきちんと指導できない」と思っても、相手のことを考えて指導する以上、行ってはいけない行為です。

心理学的に「パーソナルスペース」と呼ばれる考え方があります。これは他人に近づかれると不快に感じる空間のことです。約7年間にわたって研究を進めた調査によると、日本人の公共におけるパーソナルスペースは男性108センチ、女子118センチです。つまり、自分の持っている矢より近づいてその場で指導するのは、よほどお互いに信頼感ができていないとできないとわかります。

さらに、この調査はお互いが向かい合っての距離が約100センチです。弓道の場合、受け手は両手が塞がり、お腹などの正面を無防備に見せるため、もっと不快感は向上します。高段者はその状態で平気で受け手の体を触る人がいますが、受け手には非常に不快です。

加えて、受け手にとっては、誰かが正面で至近距離で見られた方が緊張するし、不安感も発生します。実際に、私は500人以上の高段者から指導を受けた人から、聴衆した結果、「正面から見られるとやりずらい」と回答された人が300人以上、「高段者から何を言われそうで気になるから嫌」といった回答を200人以上いただいています。

高段者が受け手の正面に立ってじっくり見るのは神棚に失礼であり、受け手に対しても負担を与えています。つまり、失礼な行為をしていると言わざるをえません。

では、この場合は正解は何でしょうか?優れた指導者は受け手に指摘するときは、「斜め」から行います。受け手の正面からややずれて右側に立って、そこで射型の細かい部分の手直しをします。この手直しも一時的のものであり、会に入ったら、できるだけ相手から離れて集中して引いてもらうようにします。

このくらい、受け手に集中して取り組めるように気遣いや調整を行えないのであれば、指導者と言えなくなります。実際に、高段者の配慮があまりに足りなかったために、目の前で矢が場外に飛ばして使用停止になった事例もあります。

高段者は神棚にお尻を向けて、ぺったりと相手に張り付くのが指導していると勘違いしていますが、明らかに自分勝手な失礼行為です。本当に礼儀を学んでいるという自覚があるなら、「これをされたら相手はどう思うか?」「どうすれば、相手に内容が伝わるか?」という考えを常に持たないといけません。これができないのであれば、高段者は人格者ではなく傲慢者です。すぐに指導を受けるのをやめるようにしてください。

メルマガ登録

 

ここまでの記事を読んで、「さらに深く弓道を学び、上達したい」と思う方もいるかもしれません。その場合、以下の「メルマガ」登録を済ませて、「合理的に弓を引くために必要な情報」を受け取りましょう(600ページ以上の非公開テキスト、 10時間以上の動画もプレゼントします)。

 

稽古会案内