尾州竹林の射法の良い影響、悪い影響

教本を見ると、射法八節の説明文を見ると、特別な言葉が使われていることがたくさんあります。

 

そして、そうした言葉はけっこう尾州竹林の射法からきています。そのため、現代弓道は尾州竹林の射法の影響が少なからずあります。

 

そして、その影響には良い影響、悪い影響、両方あります。うまく取り入れれば、射の内容をより深く理解でき、弓道そのものをおもしろくさせてくれます。

 

しかし、誤った影響を受けると、射の実力を下げる要因になります。このことを理解して、射に取組む必要があります。

 

 良い影響。教本に載っている言葉のほとんどが尾州竹林の射法からきている
以下の言葉は尾州竹林の射法からきているものです。

 

五重十文字、
会のときの延び合い、詰め合い(小笠原流では会では「保」、日置流では「やごろ」と説明している)
吉見順正の「骨を射る」「胸の中筋から左右に離れる」
中押し
五部の詰め
円相、弓懐
弓手3分の二、弓を押し、妻手三分の一弦を引くの「押しての力3分の2、勝手の力3分の1の力配分」

 

これらの言葉は尾州竹林からきている言葉です。これらの言葉を理解しようとすると、尾州竹林の弓術書を勉強する必要があります。

 

「押しては中押しでぐっと真ん中を押すのが理想だよ」
「離れは大きく、ばっと離れるんだよ」

 

こういった言葉は全て尾州竹林の射法に乗っているものです。

 

そして、尾州竹林の射法の影響でおもしろいところはほとんどが的中にかかわっているところです。

 

離れでの離れ方、手の内の押し方、弓構えのときの肘の状態、足踏み、胴づくりの仕方、こういった内容は全て体の無理な負担を取り除き、的中にかかわる大事な部分です。

 

他の流派で的中率にかかわるような射法の説明は少なく、しいて挙げるなら、日置流の手の内の「紅葉重ねの手の内」「3分の2をとること」でしょう。

 

しかし、日置流射法で「引かぬ矢束」は自然に引き詰まった矢束と説明したのに対し、尾州竹林は「引かぬ矢束」を各関節が肩釣り合いなく、収まったところと説明しています。

 

この考え方は中国の射法「射学正宗」にも同様のこと(射学正宗ではこの状態を?(こく)と説明しています)が書かれており、抽象的な「自然」という言葉を見事にイメージ化しやすいように説明をしました。

 

尾州竹林の射法は現代弓道に的中率を向上させるために必要な要素をたくさん持っています。

 

 悪い影響。尾州竹林射法の言葉は難しすぎて誤解を招く危険がある
しかし、かといって、尾州竹林の射法が残した言葉は現代の弓道に良い影響ばかりをあたえているかというとそうではなく、悪い影響もあります。

 

それは、言葉が難しすぎることです。

 

確かに弓道は体の感覚的なもの、体の反応を言葉で説明するものです。そこで、尾州竹林は感覚的な状態を言葉に説明し、合理的な射への可能性を見出しました。

 

しかし、これらの言葉は意味、内容をしっかり理解していなくて、ただ字ずらだけ知って考えてしまうと、自分の射の構造を壊す可能性があります。

 

例えば、会における延び合い、詰め合いです。

 

尾州竹林の射法を学べば、延び合い、詰め合いの言葉の正確な意味がわかります。しかし、これが、何も知らない人が延び合い、詰め合いの言葉を聞いたらどうでしょうか?

 

延びとは何?詰めとは何?具体的にどうなれば延びているのか?詰めているのか?詰めが先か?延びが先か?こんな状態は難しすぎて、わかる道理がありません。

 

そして、射は伸び合うことが大切だと言って、伸び合うために、変な意識とか、力みのをやめて、腕の力を抜いてしまったり、そんなことをしてしまったら、射の構造が壊れてしまいます。

 

このように、言葉の意味を正確に知らないとその言葉だけ学んだ人は誤った解釈をしてしまい、それを自分の射にしてしまうと悪い方向に行ってしまうことがあります。

 

これは、「骨を射る」や「胸の中筋から離れる」も同じ、「五重十文字」「弓懐」という言葉も同じです。

 

確かに、このHPを見れば、こういう特別な言葉の意味がどういうことか、イメージすることはできます。だからと言って、それで「骨を射る」を理解した、「胸の中筋で離れる」を理解した、そう思うのは危険です。

 

なぜなら、こういった言葉ややろうと思ってできるものではないからです。合理的に矢束いっぱい、各関節に負担なく弓を引く状態を完成されたとき、五つの十文字ができ、胸の中筋から離れる射ができるのです。

 

そういった、いろんな前提を真剣に考えずに、ただ、「あぁ、要するにこういうことでしょ」と、軽く考えてしまうと誤解を生み、射の構造を壊す元となります。

 

何も知らない人は教本に「弓懐」と書かれていると、「弓構えでは弓懐をとるとが良いんだ」と中にある関節や骨を考えずに、弓懐の形を無理やり、形をはめこもうとしてしまうのです。

 

人は、何か特別な言葉や言い回しがあると、それをやれば、いいんだ、的中が上がるんだと、その特別な言葉をテクニックのようなものとして考えたがります。しかし、そうすると、かえって射に悪い影響を及ぼします。

 

「会では五部の詰めでぐぅぅーんと伸びるんだよ。」

 

こんな感じで、その言葉を使い、頭に入れれば、会を理解したと勘違いしてしまうのです。しかし、そうやって意識して、変に右肩だけ変な動かし方をしたら、射の構造は壊れます。

 

こういった特別な言葉は現代弓道の間違った方向に導いてしまう可能性が高いです。そのほとんど、特に的中にかかわる部分の言葉はほとんどが尾州竹林の射法からきているものです。

 

特に、知識ばかりがたまっていって実行できていない状態。これは一番弓をやっていて最悪です。本人はできていると自覚してるつもり、でできていない他人を見ると、その知識を生かして、誤りを指摘しようとします。

 

しかし、本人にやらせれば、その人もできないのです。そうすると自分に欠陥が出たときは「なかなか、頭でわかっててもできないんだよね〜」と濁す。

 

こうすると何も知らない初学者に難しいイメージを植え付けてしまい、成長を止めてしまいます。できもしないのにあぁだこうだと知識を垂れる面倒くさい人と思われ、人間関係にも問題が出ます。

 

私が、今も意識していること、そして、道場の師匠に言われること、意識していることはそんな難しい言葉や内容ではありません。

 

「大きく引くこと、最後まで引き続けること、肘を入れ続けること」こういう至極当たり前なことしかしていません。しかし、稽古は続くし、的中もよいし、変な癖も全くつかないのです。

 

大学生の頃は15kg程度の弓で20本引いたら、もう射形が崩れかけていたのに、今は25〜30kgの弓で1日50射かけても何も疲れません。5割程度の的中も毎回出ています。

 

特別な言葉、何か合理的で目ざわりの良い言葉は射の知識を積み重ねるのに大切なことです。勉強すること、本を読むことは、好奇心や学ぶ気持ちを見出す重要な行為と思います。

 

しかし、現代の社会の構造の影響か、その言葉をすぐテクニックのようにとらえしまうところがあります。そうすると、射を一動作をいちいち考えてやるようになってそれが返って射に悪い影響につながる可能性があります。

 

なので、もしも、そういった言葉をあまりこういうものだと解釈や結論を決めつけすぎず、「きっとこういうことなんだろうなぁ」というくらいに柔らかく理解することが大切です。

//

講習会でのお客様の声

お客様の声

メルマガ登録

稽古会案内

書籍案内


HOME 運営者情報 お客様の声 メルマガ登録 コミュニティ案内 お問い合わせ