第25、28条不引矢束の事矢の和可連の事

第25条
不引矢束の事数々駅あり、矢通り間強く先達を治するなり、係迦を心得て常に勤む、この業の大事は外れて気の別れざるように射発すべきなり、早気つくならば、当分この習を止めて別つの教えをもって早気を治すべきなり

「不引矢束」とは自分の矢束をいっぱいに引き取り、気を込めて、力をゆるみなく押引きするうち、自分の判らぬまま離れてのちはじめて「ア、離れた」と思われるような無理のない離です。

 

このように、自然と発射されるのを、「引かぬ矢束の理」というので、弓人至高の技です。

 

「数々益あり、矢通り先達離れを治するなり」とは延び合いの極限、やごろに達して、矢勢殺(そ)がれず最も強く、左右完全にそろって発射されるために押手勝手が先立ちことです。

 

「係」とは勝手の掛け具合を始めとして、勝手の一切のこと、「迦」は引かぬ矢束で業に気を加えて自然に発する詰め合いをいい、この二つの事柄を常に修練せよという意味です。

 

「早気つくならば云々」とは、早気のものは引かぬ矢束にいかに理あるともこれを行えばますます早くなるので、引く矢束にて当分修行し、早気治ってより、また、引かぬ矢束を修行すればよいです。

 

弓道教本第二巻にある、教歌で
引く矢束引かぬ矢束にただ矢束放つ矢束にはなさるるかな
(琴玉歌)

 

とあり、引く矢束は意識して勝手に引くため。自分で放つことになり、引かぬ八束こそ自然に満ちて離れるので、離ともいうべきです。

 

ただ矢束とはただ一定の矢束を保つのみで会の働きがなく、やがて弓の力で矢を引き出されるように放れるので、放さるるといっているのです。

 

第28条矢の和可連の事
弦の別れ弓のわかれ四寸の別共(わかれ)号(なづ)く。この別を号くるに差別あり、また矢の軽重によりて別のせんさくあり、手を打つ射手の別れあり、毅音を知ること肝要なり。

 

これは矢が弦と離れる時期、タイミングを説明しています。「弦の別れ」とは、ちょうど張顔の弦の位置ですなわち把の高さで弦と矢が分かれることをいい、比較的初心者か手の内の効かない射手の場合であります。

 

「弓のわかれ」「四寸の別れ」とも言います。握り皮と弦が四寸くらいまで接近したときに矢が分かれることをいい、上功の射手すなわち角見の効くときの離です。

 

矢は筈で弦を引っ張り、把の高さより内に、手の内に接近して分かれてきます。これは十分に弓の力を矢が受け取り、しかも速く飛ぶので、弓の復元より早く把の高さの位置に通過しているためです。

 

高速度フィルム(千コマ毎秒)による測定実験では、この「四寸の別れ」の瞬間をカメラで計って確認された話があります。

 

この実験ではと弦と矢が離れるタイミングは把の高さより内に来ているとわかったのです。把の高さより内で筈は上下弭と直線的に結ばれた形、すなわち弦を筈が弦持(つるもち)で引っ張った形のところで離れていることがわかりました。

 

この話は日置流射法を学んだ範士十段、教本第二巻に載っている射手浦上栄範士も昭和初期実験を計画していました。旧海軍兵学校関係者の協力を得、一秒間120回転で離れの瞬間を正面、右側方で撮影した資料があります。

 

その右側方の撮影した写真で弦と矢が分離する寸前の写真では、確かに矢と弦が把より内側についている写真がありました。

 

 

矢が軽すぎる場合は矢の加速が急に過ぎて弦より早く離れ、弓の力を受けることが少なく、初速は速いが速度の維持が少なく、俗にいう空飛(そらとび)をして的中も悪く、力もありません。

 

力は運動させられる物質の質量と加速度をかけた値ですがその質量は弓と弦と矢の質量に関係して、この三者の均衡が取れず、矢がとくに比較的軽いときは「空飛び」が起こるのではないかと考えられます。

 

矢が重いときは以上の理からちょうど角見が早く効いたように弦が押して行き、弓の力が十分に伝わると考えられます。

 

「手を打つ射手云々」とは、角見先だち、勝手そろわず、重く放たれたとき、角見効かず手首でゆるみ、弓のひねり効かぬときなど、弦は外に回らず、弓の中に向けて戻ります。

 

よって、弦は左肘、または手首の辺で矢と分かれる場合で手首脈所、親指根の辺で打つのです。これも高速度写真の実験で証明されています。

 

「毅音(きね)を知ること肝要なり」とは、矢と弦の分かれは目に見えないので弦音によって判断するしか方法はなく、「弦の別れ」は弦音高くしかも音が割れます。「弓の別れ」とは弦音短く澄むものです。

 

音を用いれば区別がしやすくなります。

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