残身で重視される「澄まし」を理解する

残身や静止する動作の中で、「澄まし」という言葉で説明されることがあります。この言葉は残身の形の状態、または離れのときに使われます。より残身の内容の理解を深めるために、今回は「澄まし」の内容を解説していきます。
 
 「澄まし」とは
「澄まし」は弓道で用いられる用語であり、言葉の意味は以下のようになります。

 

 澄まし・・・心気を落ち着け、体勢を整え、力の入り具合をよく考えること。

 

澄ましは弓道、射を行う、一通り終わった後の心構えとして理想の状態を説いており、千葉範士、神永範士も残身における「澄まし」の重要性を説いています。
 
実射に移る以前の澄を「前の澄」といい、実射のときの澄を「中の澄」といい、射終わって退場するまでを「後の澄」という。〜千葉範士〜
 
自然離れに余韻があるが、これが「澄まし」である。つけ離れしたものには、残身にも取り付けた感じのものが残る〜神永範士〜

 

射を行う目的は、自然の理を動作の上で表現することです。これは弓道教本一巻に記載されている内容で、動作の中に理が存在しなければいけないと解説しています。意味のない動作を行うと、心身がおろそかになってしまい、射の動作に悪い影響を与えます。

 

その中で澄ましとは、心が落ち着き、平静の状態で射を行う重要性を説いたものです。弓道は「経験」「知識」「自我」「妄想」「雑念」によって自分の引き方がわからなくなることがあります。これらの考えのゆがみは一度ついたらなかなか取り払うことができず、射に悪い影響を与えます。

 

こういった自我意識の偏重は理想の状態である「澄まし」から、少しずつ遠ざかっていることを表します。そのため、平静の状態を保つために弓道の体配、射の動作に心を整える作用があります。

 

体配における動作や、腰の切り方は心身の負担のない体の運用を表します。そして、射では体に負担のない姿勢、押し開き動作を行います。このように、射の内容、動作が変わっていき、やがて意識しなくても合理的な動作を行うことができます。

 

こうして、自然で体にあった動作を稽古によって習得していきます。そして、稽古していくうちに動きが無意識に習得され、平静の整った残身になっていきます。無理して形や見た目にとらわれた動きは後で作った残身となります。

 

すると、射で悪い部分が出ても、手先の動作で隠し、最後の残身も形が整うから良いと判断してしまいます。最終的に直せないクセができてしまい、そこから抜け出せなくなります。
 
純意識運動から、鍛錬を積んでほとんど無意識な反射運動になってくるのであるから、離れや残心も始めは意識した運動、動作であったものが、次第に無意識な運動、動作にならなければならなければならない〜高木範士〜
 
残身は形ではない。すなわち七道結集の表徴である。つまり、生まれぬ先に生まれているものである。故に残身は特別つくるものでなく、射を行った全体の延長表現というべきである〜安沢範士〜
 
離れの瞬間、本能的に的中という欲望は必ず起こるのが常である。その残身のために、惑いを生じ、心身の
 
残身においては「澄まし」の状態が理想であり、それは残身で意識的に行い、自然と動きが習得されていきます。

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