「深い会」「浅い会」を理解する

会は引き分けの延長であり、全身の筋肉、関節が整い、最大限に伸び合った状態を表します。そのため、筋肉がゆるむことは許されず、充実した会が手に入らなくなります。

 

その上で範士の先生は会には二種類あると説明しています。ここでは、二種類の会を理解し、より会の内容の理解を深めるとともに射の技術の向上につなげていきます。
 
 深い会、浅い会を理解する
会の理想の形は矢の線と両肩の線ができるだけ近づくようにすることです。そのために、右親指付け根が右肩の角のはずれに、右ひじは肩の後方まで回りこむまで引き込みます。

 

ここまで矢束が取れて、じっと持っていると体の中の緊張感が大きくなっていき、やがて離したくなるタイミングが来ます。そのタイミングに任せ、左右対称にポンと離すと矢はまっすぐに飛びます。

 

このじわじわ来る緊張感が来ることを範士の先生は「心身の合一」や「心身の調和がとれた」と表現しています。あるいは余計な考えや思考が抜けて、ただ引き続けている気持ちだけになり、これを誠実な状態を表現しています。

 

身、弓、的が全き調和の状態になれるように努める精進の最後の段階を行じているのである。この境涯になると、行射している自己もなく、弓もなく、的もなく清浄な雰囲気が生まれてくるようになるのが本筋である〜高木範士〜

 

身と心を如何にして調和し合一させるかというと、引き取って来た両拳が、その最終点に到達したとき、なお一層筋肉の伸び合いによって堅持する〜鈴木伊範士〜

 

会は静かで済んでいなければいけない、緊張はしているが、力味は出してはいけない。むしろ無表情で心がジワジワとしまっていき心技一本の感じである。〜神永範士〜

 

そして、離したいタイミングが訪れるときは、「心と体によどみなく一致し、発射の機を熟する」と表現します。
 
身と心を如何にして調和し合一させるかというと、引き取って来た両拳が、その最終点に到達したとき、なお一層筋肉の伸び合いによって堅持するとともに、狙いを定めて発射の機を熟せしめることである〜鈴木伊範士〜

 

このように、矢をしっかり引き込み、全身の筋肉を最大限に活用すれば、全力な気持ちに包まれて余計な思考のない状態になります。それから、自然に離れのタイミングが作るのではなく来るようになります。このような一連の流れを「深会」といいます。

 

これが、矢束が十分にとれず、引き分けが小さい状態で収まったとします。すると、両腕、肩、胸の筋肉の関節にずれや不正が起こり、弓と弦の抵抗力を受けられない部分が出てきます。それにより、早く緊張感が訪れてしまい、早く放すようになります。これが「早気」といいます。

 

しかし、矢束が十分に取れていない状態でも会が長く保つことができます。引き分けが小さく、右ひじが後方に回っていなくても、会に入ると長くその姿勢を保つことができます。

 

しかし、十分に引けていない姿勢はどこか筋肉のゆるみが出ています。そのため、会は長くなりますが、じっと待って離したくなるタイミングが来ません。すると、どこで離せばよいかわからないため、長く保とうとします。

 

しかし、どれだけ待っても離すころあいが来ません。そのため、自分の力で離そうととしてししまいます。これは「もたれ」の症状です。深い会のような、体に緊張感が訪れないことを浅い会といいます。

 

会に入って離れの順序になっているのに放し得ない、いわゆるもたれというのがある。それと反対に、まだ放してはならない、放すまいと努力しながらも、射者の心に背いて飛び出す早気というのがあるが、これは共に難治の病射であって〜祝部範士〜

 

 適度に長く深味のある会が理想
会が短いことは外観で目立つため、よく指摘されます。本人も直そうと思ってもなかなか直らないため、困惑します。

 

しかし、早気より深刻な病気があります。それは、浅い会になっていることです。なぜなら、会に入っても離す機が訪れず、いつまでも待つことです。そのため、離れがゆるむ可能性があります。

 

たとえ早気でも矢束が十分にとれていれば、後が長くしようと努力することはできます。しかし、浅会は努力しても直らない可能性があります。最初は会が長くても、やがて短くなっていき、会が早くなっていく可能性があります。
 
深会を作ることに努力を積まなければ、やがては早気になり、廃弓に到着するというに到っては、苦酸もまた甚だしいかな〜祝部範士〜

 

会が浅いことは引き分けが小さいことにつながります。つまり、まだまだ引けるのに引けていないこと表します。緩んだ筋肉があり、隙があると心や頭に余裕が生まれてくるため、変に会でねらい目を意識したり、離し方を考えたりしてしまいます。

 

このように、引き分けが小さくて、筋肉にゆるみが出ていることは余計な考えを生み出す元となります。その結果、離れがゆるんだり、会の時間だけが長くて体力を消耗させたりしてしまいます。そのため、会は静止していてわかりにくいですが、自分の体の中に訪れる「」「離れのタイミングが訪れるとき」が来ることが大切です。
 
また、深い会、浅い会の違いは速いか遅いかということです。ただ、これは物理的な時間で早い遅いと言っているわけではありません。速いか遅いかは自分の骨格関節にはまってから各関節と筋肉を以て弓を押し続けることが大切です。

会の深浅は長く保つとか早く離れるとかの時間の問題ではない。精神気力が射形に会すれば、その瞬間に離れるのであって、会すなわち離れである。前に述べた力の充足と気息とが静かに澄んで射形に合致するかどうかによって、会の深浅が問題となるのである。〜神永範士〜

 

どこまでも精神的に掘り下げることが必要である。自分の力や技に働いただけ無心の弓に反映する。〜神永範士〜

 

すべての筋肉、関節を活用していなければ、どこかがゆるんでいることを表します。この姿勢ではどれだけ待っても離れのタイミングが訪れることはありません。その結果、筋力、体力だけが消耗してしまいます。すると、離れがゆるんでしまうため、射は悪い内容に終わってしまいます。

 

会から離れまでただ時間的に待つことに意味がない。〜宇野範士〜
 
或る私の関係者に平素行動に頼る遅鈍な人がいた。どうせ一切の射行為がのろいのだが、会に入ると中々放さない。ただわけもなく十五、六秒も保っているのでその心情をたずねたら、その秒数をかけなければ、発射心が起こらないと言うのだ。・・・・・
 
深会精神を遵奉して、果ては二十秒も三十秒も待つという人もあるが、それは第一に弓が弱すぎるとみるべきである。十秒も持てば腕力の上において弛みが来るというほどの弓を把るべきである〜祝部範士〜

 

古来、深い会はあまり好まれませんでした。その理由は当時は今よりはるかに強い弓を使っていたため、会が長いと逆に押し続ける気力を腐らすからでした。しかし、現代になって浅会は一時的には当たっても後でどんどん当たらなくなり、しまいには戻せなくなる可能性があります。長く弓を続けるためには、一時期的中しなくても会を伸ばす努力が大切です。

 

堕落性を有ったものが、するするとん(会に入って出会いがしら放すこと)や一ィ二ィ三ィポンで中りが出れば、例外なく必ずと言えるほど早気になり、一ィニゥポンになり、一ィポンになる。ここまでは中るが、この一ィポン頃から救われぬ早気になり、同時に的中も落ち、完全なる廃弓に到達する。
 
後年の早気留めのために、幾秒かを持加えなければならない。「するするとん」の拍子中りに、後涯の射続けという見地からは、それが正しい道法である〜祝部範士〜
 
会以前における因縁は「離れ」「残心」における結果となって現れる。したがって、早い因縁で会に入ったものは早く離れる場合もある。会が二、三秒で離れても、規矩の完備されたものであれば、それで良いわけであるが、楽に良い射を行わんとすれば大をなさないのである。〜神永範士〜

 

会には深い会と浅い会があります。長く継続して的中させるなら深い会を理解し、稽古で実行していく必要があります。

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